太田述正コラム#10835(2019.10.2)
<皆さんとディスカッション(続x4213)>

<太田>(ツイッターより)

 「逆風小泉進次郎氏、「演説の中身のなさ」を改めて検証する…」
https://blogos.com/article/407779/
 彼の父さんに幹事長に抜擢される前の安倍チャンの演説内容だって同じような代物だったはずだ。
 いや、首相になってからの改憲案の中身のなさも大変なもんだ。
 だから、進次郎だって日本の首相なんて軽く務まるさ。

<太田>

 昨日の鯨馬さんへの返事の続きです。
 アジア、とりわけインド亜大陸と東南アジア、への欧米勢力の進出の始まりについては下掲の通りです。↓

 「セイロン<島で、>・・・1505年にポルトガル人がコロンボに商館を建設し植民地化<を開始したが、>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AB
「1658年に・・・オランダ<が、ポルトガルに代って>・・・ポルトガル領セイロン<を実効支配するに至った。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%AC%E3%83%AB%E9%A0%98%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%83%AD%E3%83%B3
 「1510年、ポルトガル提督<の>・・・アフォンソ・デ・アルブケルケはビジャープル王国を打ち負かし、・・・ゴア・・・に恒久の植民地を手に入れた。・・・
 <その後、>ポルトガルはグジャラート・スルターン朝(グジャラート)のスルターンから数カ所の領土を得た。ダマン(正式併合1539年)、サルセット、ボンベイ、バセイン(1534年占領)、ディーウ(1535年併合)である。これらの領土はポルトガル領インドの北部地域となった。ダマンからチャウルまで海岸沿いに100キロ広がり、内陸へ30から50キロあった。地域は城塞都市バサイムが支配した。ボンベイ(現在のムンバイ)は、1661年に<イギリス>王チャールズ2世の元へ嫁したポルトガル王女カタリナ の持参金の一部として割譲された。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%AC%E3%83%AB%E9%A0%98%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89
 「<上出の>アフォンソ・デ・アルブケルケは・・・1511年8月・・・に<モルッカ諸島中の>マラッカを征服し<た。>・・・
 <次いで、>スペイン人<がモルッカ諸島中の>テルナテ島およびティドレ島を支配した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%AC%E3%83%AB%E9%A0%98%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AB%E8%AB%B8%E5%B3%B6
 「1494年スペインとポルトガルが結んだトルデシリャス条約でブラジルを除く新大陸(インディアス)がスペイン領有と<されたが、更に>、1529年のサラゴサ条約でフィリピン諸島<が>スペイン領有と<され>た。・・・1565年にはスペイン副王領ヌエバ・エスパーニャ(メキシコ)を出航した征服者ミゲル・ロペス・デ・レガスピ(初代総督)がセブ島を領有したのを皮切りに19世紀末までスペインのフィリピン支配が始まり、徐々に植民地の範囲を広げ、1571年にはマニラ市を植民地首府とし、フィリピン諸島の大部分が征服され、スペインの領土となった。これ以降、約250年間、マニラとアカプルコ(メキシコ)をつなぐガレオン貿易が続いた。 1762年に、一時的にマニラが<英>軍に占領されたが、1763年にパリ条約が結ばれ再びスペインの管轄下に戻った。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%B3#%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E6%A4%8D%E6%B0%91%E5%9C%B0%E6%99%82%E4%BB%A3
 「オランダ東インド会社・・・は、1602年3月20日にオランダで設立され、世界初の株式会社といわれる。・・・
 <同社は、>1619年には、・・・ジャワ島西部のジャカルタにバタヴィア城を築いてアジアにおける・・・本拠地とし<、以後、周辺の領域の植民地化を行っていく。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%80%E6%9D%B1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E4%BC%9A%E7%A4%BE
 「1600年<に設立されていた>・・・イギリス東インド会社の弱点は、航海ごとに、出資者を募りその売り上げ全てを出資者に返却する方式であった。この方式では継続的に商業活動を営むオランダ東インド会社との対抗が時代を経るごとに困難になってきた。1657年、オリヴァー・クロムウェルによって、会社組織の改組が実施された。この改組により、利潤のみを株主に分配する方式へ改めると同時に株主は会社経営に参画できる総会方式が採用されることとなった。・・・
 <話は前後するが、イギリス東インド会社は、>1639年に・・・マドラスの領主に招聘される形で、要塞の建設<を、同地で>開始<し>た。・・・
 <そして、同社が、上出の経緯でいわば英国王経由で獲得し、主要な拠点とした>ボンベイについで獲得した主要な拠点がカルカッタである。<すなわち、>1702年に・・・<同地に>砦の建設を開始していたが、1717年、<同>社は、ムガル帝国第9代皇帝ファッルフシヤルから、ベンガル地方における輸出関税の免除という特権を獲得した。ベンガル地方は、当時のイギリスが求めていた産物の集散地であった。このことから、<同>社の輸出の重心はカルカッタへと移動する。・・・
 <そして、>1765年、・・・イギリス東インド会社は皇帝シャー・アーラム2世からベンガル、オリッサ、ビハールのディーワーニー(州財務長官の職務・権限)を授けられ、財務長官に就任することなった。イギリスは太守の職を得たわけではなかったが、この3州の収租権を得たということはこの三州における「太守」になったも領有権を得たも同然であった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E6%9D%B1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E4%BC%9A%E7%A4%BE
 「<ちなみに、>17世紀のイギリスでは、<イギリス東インド会社のように>設立許可を受けた会社か否かを問わず、共同資本の会社形態(ジョイント・ストック・カンパニー)の事業が、従来の個人事業やパートナーシップに代わって急速に増加し、貿易のみならず国内事業も取り扱うようになった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%AA%E5%BC%8F%E4%BC%9A%E7%A4%BE

 つまり、株式会社制度の普及は、イギリスで1657年以降に生じたところ、欧米勢力のアジア支配は、それまでの1世紀半の間に、既に、ポルトガルとスペインによって地ならしがなされていた、というわけです。
 株式会社の前駆形態である設立許可を受けた会社(勅許会社)のアジア進出より1世紀も早く、ポルトガルとスペインの両国はアジアに進出し、地ならしを終えていた、とも言えますよね。
 ついでに、新大陸への欧米勢力の進出の始まりにも触れておきましょうか。↓

 「1494年<の>・・・トルデシリャス条約では新たに征服される土地と住民はスペイン国王に属すこととされ・・・このことがポルトガルやイギリス、フランスによるアメリカ大陸の征服とスペインのそれの特徴を大きく異なったものとした。・・・
 1496年にはクリストファー・コロンブスの弟バーソロミュー・コロンブスによってイスパニョーラ島東部にサント・ドミンゴが建設され、<新大陸>初の<欧州>人による都市が建設された。・・・
 エルナン・コルテスは・・・1519年に・・・無断でアステカ文明(メキシコ)の征服を開始し、・・・1521年には・・・アステカを滅亡させ・・・1535年にヌエバ・エスパーニャ副王領が創設され<た。>・・・
 現コロンビアに相当する地域には1510年11月にサンタ・マリア・ラ・アンティグア・デル・ダリエン(Santa María la Antigua del Darién)が建設され、南アメリカ初の<欧州>人による恒久的な植民都市となった。・・・
 スペイン王カルロス1世に「ペルー王国」征服の許可を得た・・・ピサロは1531年に・・・インカ帝国の征服を開始し・・・1542年にカルロス1世によってペルー副王領が創設され<た。>・・・」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%A4%A7%E9%99%B8%E3%81%AE%E6%A4%8D%E6%B0%91%E5%9C%B0%E5%8C%96
 「1564年には<フランス人の>ルネ・グーレーヌ・ド・ロードニエールが、現在のジャクソンビルにユグノー移民の安息の地としてカロリーヌ砦を造った。これに反応したスペインは、1565年にその開拓地を破壊し、現在のセントオーガスティンにサン・アグスチン開拓地を建設した。・・・この開拓地は、現在の<米>国本土で<欧州>人による最初の恒久的開拓地となった。ここを活動の基地としたスペインは今日の<米>国南東部へローマ・カトリック教会伝道師による布教を始めた。 」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E9%A0%98%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%83%80
 「スペイン帝国のために航海したポルトガル人・・・フアン・ロドリゲス・カブリリョ<は、>1542年6月、・・・・・・9月28日にサンディエゴ湾で上陸し、カリフォルニア島と考えた土地をスペイン領と宣言した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%82%A2%E5%B7%9E%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
 「バージニア会社(Virginia Company)は、北アメリカ海岸に植民地を建設する目的で、1606年に<イギリス>王ジェームズ1世に勅許された1組の<イギリス>のジョイント・ストック・カンパニー (joint stock company) ・勅許会社である。
 1607年5月14日、・・・<そのうちの一方の>ロンドンのバージニア会社・・・は現在のバージニア州・・・ 内陸にジェームズタウンを建設した。
 1607年8月13日、・・・<もう一方の>プリマスのバージニア会社・・・は現在のメイン州<の内陸に>ポパム植民地を建設した。しかし、約1年間でこの植民地は放棄され、<同>社は活動を停止した。
 <この>会社の事業を引き継いだマーチャント・アドベンチャラーズの資金により、メイフラワー号に乗って到着した宗教的集団ピルグリム・ファーザーズが、現在のニューイングランドで1620年に恒久的なプリマス植民地を建設した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%8B%E3%82%A2%E4%BC%9A%E7%A4%BE

 つまり、新大陸においても、勅許会社の進出よりも1世紀も早く、スペインという国によって進出がなされ、地ならしがなされていた、と言えます。
 というか、新大陸においては、スペインという国によって、地ならしどころか、ほぼ、欧米勢力による征服が終わっていた、と言ってもよさそうですよね。
 以上だけからでも、株式会社制度が欧米の時代をもたらした、とは、到底言えそうもありませんねえ。
 そもそも、鯨馬説は、「勅許会社(株式会社もどき)が欧米の時代を到来させた」ということなのか、それとも、「株式会社制度による欧米の経済力の発展が、既に到来していたところの欧米の時代を、(象徴的には日本の日露戦争勝利までの間、)不可逆的なものにした」ということなのか、一体、どちらなんでですか?
 前者が誤りであることは明白であるところ、後者なら、どうでもよさそうな話ながら、まだ、検討する意味は少しはありそうですが・・。
 (欧米の経済力のアジアに比しての相対的発展の主因が何であったのかを見極めるのは結構大変そうですがね。)
 いずれにせよ、ご紹介いただいた諸論考を読ませていただくのは、更に後回しに、ということで・・。

<鯨馬>

 なるほど。時間的な先後関係から株式会社は無関係と。
 大航海時代から考えれば、たしかに仰るとおりです。
 ただ、ポルトガルやスペインの欧州外進出において、株式会社未満であれ何らかのrisk-sharingの制度はあったようなことは、野口さんの記事にはありました:

 「かつて中国は「株式会社」を持たなかったがゆえに没落した」より引用
 「15世紀の末から始まるヨーロッパの大航海を可能にしたのは、商人たちの出資だ。 
 歴史の教科書には、コロンブスの場合にはスペインのイサベラ女王が、マゼランの場合はスペイン王カルロス1世が、航海のパトロンになったと書いてある。
 しかし、王室だけで航海費用を賄えたわけではない。
 大航海時代の最初の頃、王室のサポートは、多分に「お墨付き」の性格が強かったと思われる。
 シュテファン・ツヴァイクの『マゼラン』 (みすず書房 、1998年)によると、マゼランは、スペイン王室に対して、「私が必要とするのは資金ではないのです。スペインの国旗の下に航海してもよいという栄誉だけを頂きたい」と言っている。
 マゼランの航海を資金面で支えたのは、セビーリャの回漕問屋クリストファ・デ・アロだった。スペインの御前会議は、「アロのような老獪な事業家が私財をつぎ込むことを見れば、利益が特別多いに違いない」と考えて、王室財産の投資を決めたのだ。
 16世紀初頭になっても、ポルトガル王室はインドに送る船団の費用の4分の1未満しか準備できず、残りはジェノバや南ドイツの商人から借りた。
 大航海は、地中海貿易に比べて、遥かに危険な企てだった。最初は目的地までのルートがあるかどうかさえ分からない航海だったのだから、信じられないほどリスクが高かった。
 これほど大きなリスクから出資者を守るには、これまで述べたような仕組みが不可欠だったのだ。」

 野口さんは、その後さらっと株式会社を登場させていて、
大航海時代は合資会社?
海外植民地時代は株式会社
くらいのゆるやかな連続性を見ているのかもしれません。
 なお、先日のメールでは話の流れがうまくつながらず最終的に削除してお送りしなかったのですが、
 この「株式会社」説の欠点は、大航海時代以前のゲルマン大移動を説明できないところです。
 と書こうと思っていました。いずれよく考えてみます。
 よい機会を与えていただきありがとうございました。

<太田>

 私は、役所時代から、役人出身の野口さんの書かれるものに、首を傾げることが多かったのですが、今回も、やはり、読むまでもなかったですねえ。
 自説を強引に裏付けるための史実のつまみ食いはいけませんや。
 ちょっと長いけれど、以下の引用をお読みになれば、私の言わんとすることがお分かりいただけるはずです。↓

 「1484年末頃、コロンブスはポルトガル王ジョアン2世に航海のための援助を求め、・・・ジョアン2世は興味をそそられた。コロンブスは資金援助に加え成功報酬も求めたが、高い地位や権利、そして収益の10%という大きなものだった。王室は数学委員会(フンタ・ドス・マテマティコス)の諮問にかけて検討したが、回答は否決だった。コロンブス以前にも大西洋への航海は何度か試みられたがすべて失敗し、一方でアフリカ探検はディオゴ・カンがコンゴ王国との接触に成功し喜望峰に達する寸前まで来ていたこと、さらにコロンブスの要求があまりに過剰だと受け止められたことも影響した。
 再度コロンブスは提案を上奏したが決定は覆らず、ジョアン2世はコロンブスが自費で航海をするならばよいと言うのみだったが、コロンブスにはそのような資金が無く借金さえ抱えていた。・・・
 <コロンブスは、結局、>1485年中頃、8年間過ごしたポルトガルに別れを告げ・・・スペイン<に赴いた。>・・・
 コロンブスは・・・ラ・ラビダ修道院<の院長のつてで、カスティーリャの>メディナ・セリ公(伯爵)・・・と面会する機会を得た。メディナ・セリ公は興味を抱き、コロンブスが求めた数隻の船や食料など3,000-4,000ドゥカート相当の物資を準備することに合意した。
 コロンブスへの援助に同意したメディナ・セリ公だったが、このような計画は王室への許可を得るべきだと考えカスティーリャのイサベル1世へ計画を知らせると、彼女自身がこれに興味を覚えた。1486年5月1日、・・・コロンブスはコルドバでイサベル1世とその夫フェルナンド2世(カトリック両王)に謁見した。コロンブスの話にフェルナンド2世はあまり興味を持たなかったが、イサベル1世は惹きつけられた。計画は、・・・諮問委員会が設けられそこで評価されることになった。1486年だけで二度委員会は開かれたが、コロンブスが示したアジアまでの距離が特に疑問視され・・・た。・・・
 コロンブスに好意を持った委員会長・・・やメンバーのひとり<の>ドミニコ会<員>らは委員会が否定的結論を出そうとすると引き延ばしにかかっていた。これに抉れたコロンブスは<改めて、>ポルトガルのジョアン2世に手紙を送ったが、バルトロメウ・ディアスの喜望峰発見もあって話が纏まることはなかった。また弟バルトロメをイギリスのヘンリー7世やフランスのシャルル8世の元に差し向け、計画の宣伝をさせた<、が、>いずれの王からも支持は得られなかった・・・。
 一方のスペイン王室は、1489年5月12日付けでコロンブスが王室に謁見する時に必要な宿泊費を無料にする通達を出すなど不完全ではあるが金銭的援助を行<ってはい>・・・た。しかし1490年、・・・委員会は提案に反対する結論を出し<、>・・・コロンブスは諦め気味に・・・ラ・ラビダ修道院<の>・・・院長<に顛末を話したところ、彼は、>・・・イサベル1世の側近セバスチャン・ロドリゲスを<通じて>王室に再検討を促した。このわずか2週間後、コロンブスの下に王室の書簡が届き、旅金を添えて出頭するよう勧告する内容があ<り、>提案の検討はカスティリャ枢機院に移された。
 しかし1491年、枢機院にも案を否決されたために、万策尽きたコロンブスは弟バルトロメが滞在するフランスへ向かう決意を固めた。ここに、ルイス・デ・サンタンヘルが登場する。財務長官であった彼は女王説得に乗り出し、コロンブスが提示した条件は見込める収入からすれば充分に折り合い、また必要な経費も自らが都合をつけると申し出た。1492年1月2日に、・・・グラナダが陥落したことで、スペインに財政上の余裕ができたことをサンタンヘルは指摘した。元々興味を持っていたイサベル1世はこれで勢いを得てフェルナンド2世を説き伏せ、スペインはついにコロンブスの計画を承認した。この時、コロンブスはまさにフランスへ向けてグラナダを出発したところだった。女王の伝令は彼を追いかけ、15kmほど先のピノス・プエンテ村の橋の上でコロンブスに追いついた。この橋には、劇的とも言える出来事を解説する銅版がある。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%96%E3%82%B9

<太田>

 それでは、その他の記事の紹介です。

 彼女、歩く人間主義者だねえ。↓

 「渋野日向子は真のスターだ。取材現場でも神対応連発! ・・・」
https://www.msn.com/ja-jp/sports/golf/%E6%B8%8B%E9%87%8E%E6%97%A5%E5%90%91%E5%AD%90%E3%81%AF%E7%9C%9F%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%81%A0%E3%80%82%E5%8F%96%E6%9D%90%E7%8F%BE%E5%A0%B4%E3%81%A7%E3%82%82%E7%A5%9E%E5%AF%BE%E5%BF%9C%E9%80%A3%E7%99%BA%ef%bc%81/ar-AAI6qx5?ocid=spartanntp
 「「女子で1番強い人が選ばれる」 渋野日向子に聞く“日本女子オープンタイトル”とは・・・」
https://www.msn.com/ja-jp/sports/golf/%E3%80%8C%E5%A5%B3%E5%AD%90%E3%81%A71%E7%95%AA%E5%BC%B7%E3%81%84%E4%BA%BA%E3%81%8C%E9%81%B8%E3%81%B0%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%80%8D-%E6%B8%8B%E9%87%8E%E6%97%A5%E5%90%91%E5%AD%90%E3%81%AB%E8%81%9E%E3%81%8F%E2%80%9C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A5%B3%E5%AD%90%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%AB%E2%80%9D%E3%81%A8%E3%81%AF/ar-AAI6BEP?ocid=spartanntp

 小人閑居して・・。↓

 「【目黒女児虐待死 父親初公判詳報】逮捕時よりやせた雄大被告 「連れ子が邪魔だからではない」・・・」
https://www.sankei.com/affairs/news/191001/afr1910010017-n1.html

 JAL、よく、ここまで回復したな。↓

 「旅行検索エンジンKAYAKが発表!アジア太平洋地域の最優秀エアライン2019・・・<1位JAL、2位ANA>・・・」
https://www.msn.com/ja-jp/travel/news/%E6%97%85%E8%A1%8C%E6%A4%9C%E7%B4%A2%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%B3kayak%E3%81%8C%E7%99%BA%E8%A1%A8%ef%bc%81%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E3%81%AE%E6%9C%80%E5%84%AA%E7%A7%80%E3%82%A8%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3%ef%bc%92%ef%bc%90%ef%bc%91%ef%bc%99/ar-AAI7V7x?ocid=spartanntp#page=2

 一番大事な点が抜けてるな。
 東大航空学科卒業生数よりも日本の航空業界の受け入れ数が少なかったために、卒業生が、ホンダを含む自動車メーカー等に流れてきた経緯があることだよ。↓

 「なぜホンダは航空機で成功できた ハーバード大の視点 ハーバードビジネススクール教授 ゲイリー・ピサノ・・・」
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO50235490W9A920C1000000?channel=DF120920195353&style=1&n_cid=DSTPCS001

 女で身を滅ぼすジョンソン英首相?↓

 The women of Boris Johnson’s past are starting to catch up with him・・・
https://edition.cnn.com/2019/09/30/uk/boris-johnson-charlotte-edwardes-analysis-gbr-intl/index.html

 日・文カルト問題。

 <知人の田村記者が老けたのに、自分も同じ癖に驚いた私。内容は、いささか偏りが・・。↓>
 「沈む韓国経済「反日で自滅」 群馬「正論」で田村秀男氏が講演・・・」
https://www.sankei.com/economy/news/190926/ecn1909260030-n1.html
 <てやんでえ。↓>
 「羽田空港で入国拒否の韓国・独島守護団体 自主帰国を決定・・・」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/10/01/2019100180092.html
 <何度でも言う。ヤメロー!↓>
 「自治体発注工事で日本産石炭灰の使用制限 韓国・京畿道が検討・・・」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/10/01/2019100180163.html
 <カラスの勝手だろー。↓>
 「日系の韓国上場企業10社 配当額が5年で100億円超・・・」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/10/01/2019100180134.html
 <バカモン。↓>
 「「国軍の日」記念式典 「克日」メッセージ思わせる行事も=韓国・・・」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/10/01/2019100180158.html
 「韓国が信頼できる国1位は米国、警戒すべき国は・・・日本・・・」
http://life.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/10/02/2019100280050.html
 <どうせ、喜んでんだろ。↓>
 「北、実務交渉発表翌日に飛翔体…日本「島根県水域に落下」・・・」
https://japanese.joins.com/JArticle/258183
 <韓国に係る結論は正しいが、前提となる歴史認識が問題。↓>
 「・・・日本帝国主義の侵奪を記憶する理由も、今の日本の国民に竹槍を向けるためではない。国のリーダーシップが無能で、国論が中国かロシアか米国かに分裂すれば、いつのまにか隣国は外敵に急変して強盗のように攻め込んでくるという過去を忘れないためだ。ハワイのヒッカム基地でなくてもどこでも悟ることができる教訓だ。・・・」
https://japanese.joins.com/JArticle/258184
 <余計なお世話。↓>
 「米CSIS「韓日葛藤で日本のイメージ損なう…安倍首相、省察すべき」・・・」
https://japanese.joins.com/JArticle/256367
 <正しいお世話。↓>
 「米「韓国の独島飛行は非生産的」再び批判…韓日米制服組トップ会談・・・」
https://japanese.joins.com/JArticle/258175
 <話にならんわ。↓>
 「<中央日報・CSISフォーラム>「韓国は賠償を要求せず、日本ははっきりとした謝罪を」・・・」
https://japanese.joins.com/JArticle/258165
 <いい調子ね。↓>
 「日本がフッ化水素の韓国向け輸出を許可 規制強化後2例目・・・」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/10/02/2019100280061.html
 <ボルトンはトランプよりも更に無能と判明。↓>
 「・・・ボルトン氏は、韓日対立について「韓日間の緊張がここまで大きくなったことについて私がどれほど悩んでいるか、描写すべき言葉がない」として「(米国が)かつて、それ(韓日対立)にあまり多くの関心を持たなかったのは大きなミス。かつての米国の消極性はミスだった」と語った。ボルトン前大統領補佐官は今年7月に韓日を訪問し、外交的解決を注文したが、事態の悪化を食い止めることはできなかった。
 ボルトン氏は、韓日軍事情報包括保護協定(GSOMIA)破棄決定について「多様な同盟を調整する米国の能力に明白な影響を与えるので、深刻な状況を招いた」「米国の緊急の注意が必要」と語った。さらに日本について「経済報復で韓国を驚かせた」と語り、韓国については「1965年の(請求権)協定を問題にする際、(日本が報復する)リスクを理解しなかった」と語った。その上で「私はどこから(関係の復元を)始めるか分かっていると、今では確信すら持てない」と、韓日関係の難しさを告白した。・・・」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/10/02/2019100280020.html
 <朗報?↓>
 「「南北統一すべき」50.8% 2年前に比べ低下=韓国調査・・・」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/10/02/2019100280049.html
 <アイゴー。↓>
 「韓国完成車5社の9月販売 2.2%減少=1~9月も4%減・・・」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/10/01/2019100180245.html
 「輸出・物価が同伴「マイナス」…韓国経済は内憂外患–半導体単価の回復遅れ…輸出不振が長期化の兆し–需要側の物価圧力0%台…期待インフレ率は過去最低–来年の成長率1%台予想相次ぐ…経済悲観論が拡大・・・」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/10/01/2019100180247.html
 「韓国、OECD加盟国で最低の物価上昇率「汚名」・・・」
https://japanese.joins.com/JArticle/258182
 「韓国の生産人口減少→数年後にデフレ…日本型不況と類似・・・」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/10/02/2019100280013.html
 「<文大統領が唱える>平和経済はSF小説、所得主導成長は寝言・・・」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/10/02/2019100280019.html
 「米国防次官「韓国、GSOMIA延長すると信じている」・・・」
https://japanese.joins.com/JArticle/258180

 中共官民の日本礼賛(日本文明総体継受)記事群だ。↓

 <人民網より。
 なんやねん、コレ。↓>
 「日本相撲チャンピオン展が米サンフランシスコで開催・・・」
http://j.people.com.cn/n3/2019/1001/c94638-9619874.html
 <ここからは、サーチナより。
 日本に倣えシリーズの一環。結構目新しい内容。↓>
 「これが高速バスなのか? 日本の高速バスは「我が国とあまりに違っていた」・・・今日頭条・・・」
http://news.searchina.net/id/1683033
 <同じく。↓>
 「中国での狂犬病による死亡者数は年間2400~3000人ほどで、インドに続く世界ワースト2位の多さである。対して日本では狂犬病での死者はゼロであり、如何にして50年以上もそれが続いているのかを紹介する記事を、中国メディアの網易新聞が報じた。
 かつては日本でも狂犬病による死者はあったが、1950年、狂犬病の予防・万延を防止するための「狂犬病予防法」が制定された。毎年、飼い犬へのワクチンを義務化し、野犬を拘留し、狂犬病予防法を執行した7年後には日本国内の狂犬病の撲滅に成功。それから60年以上、日本では狂犬病発症による死者は発生していないのだ。
 また、日本では安易な気持ちで犬を飼えない現状を記事では紹介している。例えば、犬を家族に迎え入れる際には各自治体にて登記が必要である。また、ペットの入居禁止のマンションもあり、動物嫌いやアレルギーのある人への配慮が徹底している。さらに、家族の一員として犬を一生大切に育てていけるよう、飼育放棄とみなされた場合などには罰金が求められる。
 最後に、日本では犬の散歩時に持つ3点セット「リード」「フン処理用の袋」「お散歩ハンディシャワー(糞尿の洗浄用)」があることを紹介している。周囲に迷惑をかけないよう犬への躾をして散歩時にはリードをつなぐこと、糞は飼い主が持ち帰ること、道を汚してしまったら持参した水で洗浄するというルールが、多くの飼い主の共通認識なのだ。
 記事には「同じことを中国の愛犬家がすることは無理だ」「中国でも同じ未来になることを望んでいる」と多くの賛同意見が並んだ。」
http://news.searchina.net/id/1683044?page=1
 <これもまたそう。↓>
 「「せっかち」な中国人が抱く疑問、日本人はなぜ「待つこと」ができるのか・・・今日頭条・・・」
http://news.searchina.net/id/1683062?page=1
 <これもまたまたそう。見出しだけでは意味が分からないと思うが・・。↓>
 「同じ大学試験なのに、なぜ日本では試験内容と点数配分の統一が可能なのか?・・・今日頭条・・・」
http://news.searchina.net/id/1683045?page=1
 <日本に倣えシリーズの一環。定番。↓>
 「日本の家の「水回り設計」は利便性が高い! 中国人にとって「参考になる」・・・今日頭条・・・」
http://news.searchina.net/id/1683039?page=1
 <定番。↓>
 「日本経済はいまだに強い「失われた30年」という評価は「人を騙すもの」・・・今日頭条・・・」
http://news.searchina.net/id/1683040?page=1
 <同じく。↓>
 「他のことは差し置いても、日本の自動車文化は本当に学ぶべきだ・・・今日頭条・・・」
http://news.searchina.net/id/1683041?page=1
 <これもそう。↓>
 「日本の鉄道に「思いやり」を感じる5つの点・・・中国メディア・長安金融網・・・」
http://news.searchina.net/id/1683043?page=1
 <これもまたそう。↓>
 「日本は海外に「もう1つの日本経済を持っている」という噂は本当なのか・・・今日頭条・・・」
http://news.searchina.net/id/1683048?page=1
 <食べる方も、こんな記事を書く方もマニアック。↓>
 「これまで日本人がブラックタピオカをどんな食べ物に入れてきたかをまとめてみた・・・中国メディア・東方網・・・」
http://news.searchina.net/id/1683042?page=1
 <使いまわし記事。↓>
 「なぜ日本の商業施設では「我が国の建国記念日を熱烈に祝賀するの?」・・・今日頭条・・・」
http://news.searchina.net/id/1683052?page=1
 <かなり前の記事の使い回し。↓>
 「日本はどうして中国に比べてはるかに多い苗字が存在するのか・・・中国メディア・百度・・・」
http://news.searchina.net/id/1683066?page=1
 <そうだよー。↓>
 「日本と中国と韓国が直面する「少子化」、特に深刻なのは・・・中国<かも>・・・今日頭条・・・」
http://news.searchina.net/id/1683059
 <一応紹介。↓>
 「・・・今日頭条は・・・「日本の生活は完ぺきではなかった」と題する記事を掲載した。外国人が失望する日本の特色を6つ紹介している。
 1つ目は、「家が狭い」こと。特に欧米人は、家が狭くて天井も低いとこぼしていると伝えているが、確かに日本の住宅事情は欧米と比べると小さいが、それは仕方のないことだろう。2つ目は、「定時で帰りにくいこと」。同僚が残業していると、自分だけ先に帰ると言いにくい雰囲気があるとしている。これは、他人の気持ちを察するのが得意で、勤勉な日本人の性質が裏目に出ている一面でもあるだろう。
 3つ目は、「傘が盗まれること」。特に、透明なビニール傘が盗まれやすいと伝え、「財布は盗まないのに、こんなに安いビニール傘を盗んで日本のイメージを悪くするなんて」と残念がっている。4つ目は、「タトゥーをしている人は温泉に入れないこと」。中国でもタトゥーをしている人は多く、日本よりも気軽に入れるのだろう。最近ではシールなどで隠せば入れるところもあるようだ。
 5つ目は、「クリスマスがカップルのための日になっている」こと。また、この日にフライドチキンを食べるなど、外国人には解せない日本だけの習慣があると伝えた。最後の6つ目は、「夫婦の呼び方が差別的」で不愉快だと言う主張だ。記事は、主人や奥さんといった呼び方は決して男女差別ではないと説明している」
http://news.searchina.net/id/1683069?page=1
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<太田>

 太田掲示板の、投稿413<が、太田コラムに関する投稿ではないので、それ>を削除しようと思って、<管理者画面>に入ろうと思ったのですが、ID、PW、が分からなくなっていて、果たせませんでした。
 申し訳ないが、413を削除しておいてください。
 なお、削除手順を書いたものは発見していますが、今後のために、ID、PWを教えてください。

<山本>

 <ID略(太田)>
 <PW略(太田)>

<太田>  <削除までしていただいてはいなかったところ、教えてもらったID、PWを用いて>掲示板の方は、<自分で>削除できました。  別件ですが、<私のサーバー会社の>さくらの<管理者画面から入って行ったところにある、ファイルマネジャーに関し、>\backnumber\memberの左にクリックを入れて<有料読者がバックナンバーにアクセスする際の>パスワード<を>変更をしようとし<たのですが、>うまくいきません。  さりとて、その中の\column、\furoku、\seminar、・・・と並んでいるフォルダ群に全部左クリックを入れてパスワード変更をするのも何だかヘンです。  と言う次第で、パスワード変更方法を、この部分だけ、もう一度教えてください。 <山本> https://help.sakura.ad.jp/hc/ja/articles/206207041-%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%81%A7%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%82%B9%E5%88%B6%E9%99%90%E3%82%92%E3%81%99%E3%82%8B

⇒これ↑は既に読んでますが、それでもできませんでした。(太田)

https://help.sakura.ad.jp/hc/ja/articles/360000337782–%E6%96%B0%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%8D%E3%83%AB-%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%81%A7%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%82%B9%E5%88%B6%E9%99%90%E3%82%92%E3%81%99%E3%82%8B

<太田>

 <ほぼ同じ内容である>これ↑をチラ見をしたけれど、できそうな気がしません。
 「さくらの\backnumber\memberの左にクリックを入れてパスワード変更をしようとしてもうまくいきません。
 さりとて、その中の\column、\furoku、\seminar、・・・と並んでいるフォルダ群に全部左クリックを入れてパスワード変更をするのも何だかヘンです。」
と前信で書いたわけですが、それに即して、「¥●● の<左>にクリックを入れて」の「●●」を教えてください。
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といったこともあり、(バックナンバーの更新、と、)有料読者の皆さんが、バックナンバーにアクセスするための新PWの設定が遅れていますが、もうしばらくお待ちのほどを。
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太田述正コラム#10836(2019.10.2)
<サンソム『西欧世界と日本』を読む(その33)>

→非公開