太田述正コラム#10688(2019.7.20)
<三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』を読む(その81)>(2019.10.8公開)
これまでアジアにもそれなりの共通の生活の現実はありましたが、それを形成したのは、主として前近代の中華帝国、近代以降のヨーロッパ諸国や日本のような植民地帝国、さらに冷戦下の米国や中ソ両国のような覇権国を発信者とする垂直的コミュニケーションでした。
そこでは相互に対等なさまざまのアクターの間の水平的コミュニケーションに基づく文化は生まれなかったのです。
共通の歌は、そのような「文化」の表現です。
今やアジア、とくに日韓中三国の若い世代の間にいくつかの共通の歌が生まれつつあることは、「アジア文化」が漸くその実質をもちつつあることの一つの徴候としてとらえることができるかもしれません。・・・
⇒このあたりについては、あくまでも印象論ながら、そうではなくて、クラシック音楽が日本発のクラシック的歌謡曲と共に東アジアに普及し(注93)、その後は、日本発と韓国発の米国流ポップスが東アジアに普及して現在に至っている(注94)、ということではないでしょうか。
(注93)「シンガポールやマレーシアを中心とした東南アジアには、<支那>系の住民が多く、それらのうち福建系の住民は台湾語とほぼ同じ言語(ビン南語)を話すため、台湾語でカバーされた日本の演歌<(歌謡曲。以下同じ(太田))>や台湾語のオリジナル演歌が「福建歌」「Hokkien Song」として普及しており、現地の作詞家によってオリジナルの歌詞を付けられたカバーも存在する。インド系の歌手で、福建歌=演歌の歌唱をメインに活動している者もいる。また、これらの演歌はタイ語、ベトナム語、クメール語、マレー語、インドネシア語など、現地の言語で再びカバーされた曲もあるが、一般に「チャイニーズ・ソングのカバー」と認識されている。
<中共>では、・・・台湾の歌手が・・・<漢>語・・・でカバーした日本の演歌が広く浸透しているが、これらの演歌は一般に台湾の歌として認識されており、「台湾歌」と呼ばれている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%94%E6%AD%8C
中共への普及に関しては、テレサ・テンの功績が決定的に大きい。↓
「テレサ・テン<は、日本でも大活躍をしたが、彼女>の歌は、1978年に<中共>が世界に向けて「改革・開放」路線を打ち出したあとに、最初に<中共>に流入してきた外国音楽の一つだった。・・・<彼女は、>伝統的な台湾や<支那>の民謡を西洋風の感傷的な曲に仕立ててヒットさせた」
https://courrier.jp/news/archives/153687/
(注94)「米軍が、日本、韓国、フィリピン等の東アジア地域に、欧州ではドイツ、イタリア等に<、>基地を設置したことは、米軍基地が設置された各国、各地域のポピュラー音楽文化に影響を与えた。・・・<これら地域、諸国の米軍基地における>米軍クラブは、<米国>発のポピュラー音楽のグローバル化を推し進めると同時に、各国独自のポピュラー音楽文化の発展というローカル化にも貢献した」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/tits/23/4/23_4_32/_pdf/-char/ja
つまり、音楽に関しては、ポピュラー音楽を含め、広義のクラシック音楽が、イスラム圏の大宗と南インドを除き(典拠省略)、全球を席捲しつつある、ということであって、そこに、「アジア文化」的なものが「漸くその実質をもちつつあることの・・・兆候」を見出すことなどできないのではないか、ということです。(注95)
(注95)本題をはずれるが、狭義のクラシック音楽は、次第に、欧米のでもなく、世界のでもなく、東アジアのものになりつつある、という印象を私は持っている。
ピアニストの例だが、以下の通りだ。↓
「「ピアノのオリンピック」ともいえるショパンコンクールでは、20世紀後半からすでに6位までの入賞者に1人か2人の東アジア人が入っていたが、2000年以降はその割合が増していった。2000年には入賞者6人中3人、2005年には入賞者6人中5人が東アジア人となり、2010年には6人中0人に減るも、2015年には6人中4人が東アジア人(もしくは東アジア系北米人)となっており、コンスタントに過半数を占めるようになってきている。」
https://ameblo.jp/gnuton/entry-12405725668.html
そんなことではなく、はるかに巨大な「アジア文化」が、ある意味垂直的、ある意味水平的、に生まれつつあると私が思っていることは、皆さんには想像がつくと思います。
そうです、日本だけに根付いたところの、人間主義を中核とする日本文明が、日本が米国をも使って支那の権力を奪取させたところの、中共の当局の主導の下、支那に継受されつつあることを通じて・・。(太田)
(続く)