太田述正コラム#919(2005.10.23)
<ガーディアンの靖国神社ブログ(その3)>
4 どうして私は靖国に行くことに余り気乗りしないのか
(1)始めに
ガーディアン・ブログで、私は二度にわたって「私は靖国に行くことに余り気乗りしない」と記したところですが、この点をブロッガー達が誰も追及しなかったのにはいささか拍子抜けしました。
そこで、この場で私の真意を明らかにしておきたいと思います。
「靖国に行くことに余り気乗りしない」のには、二つ理由があります。
併設の遊就館で独特の近代史観が展開されていること(史観問題)と、戊辰戦争以降の日本が関与した戦争における日本政府関係者たる広義の戦死者(いわゆる英霊)以外の物故者が祀られている場がないこと(祭神問題)、の二つです。
(2)神道について
この議論をするにあたっては、神道とは何かを、復習しておくことが不可欠です。
まず第一に、神道の「神々は恵みをもたらすと同時に、怒りを津波や噴火などで示す存在でもありま」(コラム#826)す(注1)。
(注1)中共の人民網が、小泉首相の靖国参拝を「理論的」に批判する論説を掲げている(http://j.peopledaily.com.cn/2005/10/19/jp20051019_54447.html。10月20日アクセス)。その内容の余りの支離滅裂ぶりには哀れすら感じるが、神道がらみの言葉をたくさん紹介しており、善悪峻別論に立脚している点はいかがかと思いつつも、日本語の勉強にはなった。(神道の神には「善神」(ぜんじん)と「悪神」(あくしん)の二種類があること、前者は「和魂」(にぎみたま)や「祖霊」と相通じる平安の神であるのに対し、後者は「荒魂」(あらみたま)や「怨魂」(えんこん。戦乱・伝染病・災害などの犠牲者の霊)と相通じる邪悪の神であること、「荒魂」を「和魂」や「善神」に変えるのが「鎮魂」(みたましずめ)であるのに対し、「祖霊」への慰謝の念の表明が「慰霊」(いれい)であること、等々を指摘している。)
つまり、神道にあっては、神々は、尊敬(respect)と同時に畏怖(awe)の対象なのであり、逆に言えば、尊敬と同時に畏怖の対象になりうるものは、ことごとく神たりうる、ということなのです。
第二に、神道とは、儀礼に則って、禊(自らの浄化儀礼)を行った上で、あるいは祓(他者あるいは自分を含む集団に対する浄化儀礼)を受けた上で(コラム#828)、このような神々が祀られている神社に参拝(おまいり)する、ということに尽きる、ということです(注2)。
(注2)小泉首相は、TVニュースで見る限り、手水を使うことも、鈴鐘を鳴らすことも、(賽銭を投じて一礼こそしたが)二礼二拍手一礼もせず、要するに儀礼をほとんど行わなかったのだから、先般の靖国神社訪問は参拝とは言えない。墓参りではあるまいし、これでは官用車を降りて靖国神社の境内を散歩をしただけのことだ。ひょっとして彼は、国会議員になって(特別扱いで本殿に上がり、神職の指示に従う形で)靖国神社等に参拝するようになるまで、(初詣も含めて)神社に参拝したことが一度もないのではないか。
つまり、神道には、かような儀礼だけがあって、教義がなく、従って神道では説教も布教も行われないのです。
ですから、神道は儀礼(ritual。儀式)なのであって、宗教(religion)とは言えません(コラム#889)。(宗教以前の宗教、という言い方はできるかもしれません。)
第三に、神道には(教義はないけれど、)記紀等に記されているところの神話があります。このため、神道は日本固有の一般的な習俗であって、普遍性はない、ということになります(注2)。
(注2) 弥生人は支那から持ち込んだ祖先(祖霊)崇拝と稲作とを結びつけた日神(天照大御神。アマテラスオオミカミ)神話と縄文人の原始神道とを合体させて、神道を創造することにより、縄文人支配の正当化を図った(コラム#828)。(弥生人の大首長の子孫である)天皇の祖先とされる天照大御神を祭神とする神社のうち、最も格式の高い伊勢神宮が、現在神社の大部分が加入する神社本庁の本宗(ほんそう)とされているところにその名残がある(http://www.isejingu.or.jp/isemairi/isemairi.htm、及びhttp://www.jinjahoncho.or.jp/honcyo/index.html(どちらも10月23日アクセス))。
(3)史観問題
祭神の問題は後述するとして、まず、遊就館で近代史観が展開されているという問題から始めましょう。
遊就館は、ア 軍事博物館であり、イ 英霊の慰霊顕彰の場であり、ウ 近代史の真実を明かす場である、と靖国神社は主張しています(http://www.yasukuni.jp/%7Eyusyukan/index.html。10月23日アクセス)。
私は、アとイについては、もっと拡充されることを切に願っていますが、ウについては、アやイの一環として、英霊が物故された背景・原因・状況等に係る史実の展示を行うことはともかくとして、反対です。近代史観の展開を行った瞬間に、靖国神社は教義を持ち、神道の神社であることをやめて、宗教化した、と見られても仕方がないからです(注3)。
(注3)もとより、私は靖国神社が神社として奉じているであろう古代史観(神話)を放擲せよなどといった野暮なことは言わない。
(続く)
大田さんいつもメルマガ拝見させてもらってます。頻度も多く
内容も多岐にわたり、色々勉強になります。
今回の「靖国靖国に行くことにあまり気乗りしない」のコメントを拝読しました。私の意見としては「気乗りしないのだったら行かなきゃいい」です。私は大阪在住なので靖国には行った
事がありません。 また東京にはなじみも居ませんし、知り合いもいませんから行くこともありません。 靖国に関しては大田さんのようなインテリの方の多くは、何らかのこだわりをお持ちで参拝の是非を論議しますが、ただ単に靖国が他の神社に
比べて歴史も浅く国策に基ずいて建立された神社だから、素直にお参りできないだけじゃないですか、いい例が民主党の前原代表で、岡田代表同様A級戦犯が祀られているからお参りしない、太田さんは近代史の真実を明かす場というのは、神社が宗教化しておかしいから気乗りしない。いいじゃないですか靖国
ぐらい。 参拝しに行く人で若い人は特に嫌日教育を受けた世代が殆どだと思います。 というか戦後世代は殆どその毒が回ってると言っていいと思います。 靖国に行った事で其の展示物や説明をみて、左から真ん中ぐらいに針が振れて丁度いいぐらいでしょう。自虐史観に基づいた展示は日本全国でこれでもかと思うぐらいやってるのに、その逆は無いというのはバランスが悪いでしょ、だから靖国神社に行った時ぐらい遊就館で戦争展示物をみて、靖国寄りの近代史観の展開があったとしても問題視する必要はないと思います。 またそれを見たくなかったら行かなきゃいいのです。だれも反対しないでしょう。
逆に右よりの近代史観の展示が常設されてたら、是非見に行きたいと思いますね、だって関西圏内ではそういう所があると聞いた事がありませんから。