太田述正コラム#935(2005.11.6)
<ペロポネソス戦争(その6)>
(本篇は、形式的にはコラム#912の続きですが、実質的にはコラム#909の続きです。なお、前回のコラム(#934)に数字の誤りが多数あったので、私のホームページとブログを訂正してあります。ただし、結論には全く影響はありません。)
(4)嫌われ者アテネ
前404年、四面楚歌状況に陥ったアテネが、ついにスパルタの軍門に下る日がやってきます。
スパルタ側は、民主主義アテネの象徴であった城壁が破壊されるのを見て楽曲入りで快哉を叫びます。
スパルタに与し、アテネから追放されていた時期があったとはいえ、アテネ市民にして哲学者ソクラテスの弟子のクセノポン(クセノフォン=Xenophon。前440??前357?年)(注7)でさえ、ペロポネソス戦争におけるアテネの敗北は「自由なギリシャの始まりを劃した」、と記しているくらいです。
(注7)前401年、時のペルシャ王の弟が起こした叛乱にギリシャ人傭兵部隊の一員として参加し、叛乱失敗後、この部隊のギリシャへの撤退中にリーダーの一人に選ばれ、後にこのときの体験を著作「アナバシス(Anabasis)」にまとめたことで知られる。(この間、恩師ソクラテスは前399年に刑死する。)
その後スパルタの下で再び起こったスパルタとアテネの戦争に従事し、アテネから追放処分を受ける。ただし、スパルタとアテネの和解後、この処分は解かれる。
彼は、「ギリシャ史(Hellenica)」(ツキジデスの「戦史」が27年間続いたペロポネソス戦争の20年目までで、著者の死により未完となった後を、クセノポンが48年間分書きつづったもの)、「ソクラテスの思い出(Memorabilia of Socrates)」、「ソクラテスの弁明(Apology of Socrates)」の著者としても名高い。
(以上、http://www.iep.utm.edu/x/xenophon.htm、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%83%8E%E3%83%9D%E3%83%B3、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%90%E3%82%B7%E3%82%B9、及びhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E5%8F%B2(いずれも11月5日アクセス)による。)
4 所見と問題提起
ハンソンは、政治的自由・資本主義・個人主義・民主主義・合理主義・開放的議論、といった価値(、つまりは自由・民主主義)を信奉する体制は、戦時において恐るべき力を発揮する、と指摘しています。
このような体制は、それ以外の体制との間で戦争をした場合、個々の戦闘では負けることもあるけれど、長期的に見ると勝利を勝ち取るものだ、というのです。(ただし、どのような体制でも、道義的に非難されるような戦い方をするかどうかの点では必ずしも違いがないことに、ハンソンは注意を喚起しています。)
私も全く同感です。
ではどうして、自由・民主主義体制であったアテネを盟主とする陣営(デロス同盟)が、長期にわたって続いたペロポネソス戦争で、自由・民主主義とは対蹠的な体制であったスパルタを盟主とする陣営(ペロポネソス同盟)に敗れたのでしょうか。(しかも、デロス同盟よりペロポネソス同盟の方が軍事的・経済的に優位にあったわけでもありません。)
私が援用したハンソンの本にの書評等には、この点について触れたものがありません。
私なりにその理由を挙げてみましょう。
第一に、デロス同盟に加盟していたポリスのうち、アテネのような成熟した自由・民主主義体制のものは、私の知る限り一つもなかったことです(典拠失念)。そうだとすれば、デロス同盟とペロポネソス同盟の間の戦争を、自由・民主主義体制と反自由・民主主義体制の間の戦争と見ることはできません。
第二に、社会全体のごく少数の者だけしか自由・民主主義を享受できなかったことから、アテネを成熟した自由・民主主義体制と見ること自体にやや無理がある、とも言えそうです。
いずれにせよ致命的だったのは、第三に、戦争の過程で次第に、アテネが帝国主義的姿勢・・非自由・民主主義的姿勢・・でデロス同盟加盟諸ポリスに臨むようになったことです。これでは、自由・民主主義を加盟諸ポリスに広めることができるわけがありません。それどころか、加盟諸ポリスの多くが抱いていたアテネへの敬意は敵意へと変わって行くのです。
最後に問題提起をしておきましょう。
石原慎太郎東京都知事の訪米して13日に行った講演中の下掲の箇所は、自由・民主主義体制の米国と反自由・民主主義体制の中共(中国)とを比較したものですが、皆さんはどう思われますか。(私自身は、先の大戦中に日本政府が、鬼畜米英何するものぞ、と国民向けに行ったプロパガンダをちょっと思い出しました。)
「中国が核兵器を持ち、<今年6月に>かなりの正確性をもって<潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)の発射>実験に成功したことは極めて大事な歴史的な事実<だ。>・・戦争は生命の消耗戦<だが、>生命に対する価値観がまったくない中国は憂いもなしに戦争を始めることができる。私たちは米ソが対立していた冷戦構造よりもはるかに危険度の高い緊張の中に置かれている・・<米国にあっては、>米中の緊張が高まり、互いの引き金が引かれた(場合は)、その戦火が拡大すればするほど、生命を尊重する。そういう価値にこだわる市民社会をもつ米国は・・戦争で中国には・・勝てないと思う」(注8)(http://www.asahi.com/politics/update/1104/002.html。11月5日アクセス)
(注8)石原都知事の結論は、「<だから、>中国に対して講じるべき手段は経済による封じ込めだと思う。・・封じ込めを推進するため、インドやロシアと連携を強化す<べきだ>」というものですが、議論が拡散するので、この結論のことは当面忘れましょう。
(完)