太田述正コラム#10736(2019.8.13)
<三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』を読む(その105)>(2019.11.1公開)
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[本居宣長と西周の弥生性・縄文性]
「・・・明治7(1874)年、西周は『百一新論』『致知啓蒙』 を刊行して国民の啓蒙につとめるほか、明六社の結成にかかわり、積極的に『明六雑誌』へ論説を掲載しはじめた。
「国民気風論」『明六雑誌』32号(明治8年3月刊行)では、本居宣長の和歌「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花<(注134)>」に、日本人の気風としての「忠良易直」─忠は「まめ」、良は「おとなしい」、易は「すらり」、直は「すなお」─を見いだし、専制政府のもとで自らを奴隷視する、上にとって御しやすいこのような気質は、無気力の人民を生み出すことになるとし、国民を、宮殿の奥で育った長袖袴の子どものようである、と形容している。
(注134)「ソメイヨシノのように満開を過ぎたころに葉が出るのではなく、開花と同時に赤茶けた若葉が出る・・・同じ場所に育つ個体でも一週間程度の開花時期のずれがあるため、同じサクラでもソメイヨシノと異なり、短期間の開花時期に集中して花見をする必要はなく、じっくりと観察できる。ソメイヨシノの植栽の普及する前の花見文化はむしろ、このように長期間にわたって散発的に行われるものであった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%82%B6%E3%82%AF%E3%83%A9
「花は直径3センチほどで、色は白が基本だが、ほんのりとピンク色を帯びるものもあり、実生によって自然に変異したバリエーションがある。現代人にとっては地味に見える花だが、ソメイヨシノが普及する明治時代以前には広く国民に好まれていた。」
https://www.uekipedia.jp/%E8%90%BD%E8%91%89%E5%BA%83%E8%91%89%E6%A8%B9%E2%91%A1/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%82%B6%E3%82%AF%E3%83%A9/
西周は主体的にものを考え、自己を鍛える必要があると主張したのであった。・・・
明治7年1月、板垣退助や副島種臣らが民撰議院設立建白書を提出して、自由民権運動が盛んになっていたが、人々の意識変革が重要であり、民選議院を設立するには時期尚早であるとする考え方を、西周も共有していたのである。
ところがこの3年後に、西周が偕行社で行った講演「兵家徳行」では、日本固有の「忠良易直」が一般軍人にふさわしく、「国民気風論」で奨励していた「民権家(自由民権運動家)風」、「状師家(法律の専門家)風」、「貨殖家(蓄財に励む者)風」は軍人にあってはならないエトスであると論じている。
一見すると矛盾しているようにみえる<が、>・・・菅原光氏は、・・・西周は軍人社会が平常社会と正反対の性質をもつと考えており、彼の軍人社会論は常に平常社会論を意識していたと論じている。」
https://www.waseda.jp/flas/rilas/assets/uploads/2017/10/177-192_Shinko-TANIGUCHI.pdf
さて、この論文の著者は、菅原説に異論があるようだが、私としては、本居が、大和魂が縄文性と弥生性の複合的なものであることに気付いていなかったはずはない、との思いから、菅原説に同意したい。
すなわち、「はかりごとを加えず善悪ともにありのままのさまを尊ぶ大和民族古来の素直な態度・・・もののあはれ<を知ること>・・・に対して、<支那>文明に特徴的であると宣長の考えた、<漢意は、>物事を虚飾によって飾りたて、様々な理屈によって事々しく事象を正当化したり、あるいは不都合なことを糊塗したりする、はからいの多い態度を指す。
・・・宣長は・・・<このような、>「<大和心=>やまとごころ」と「<漢意=>からごころ」の対比による・・・思想体系を築き上げた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E6%84%8F
と一般にされているけれど、これは皮相な理解であって、本居が提唱した漢意
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E9%AD%82
なるものは支那文明性(阿Q性)であったところ、日本に昔からあった大和魂・・日本文明性・・を本居は二つの要素に分け、そのうちの一方であるところの、私の言う弥生性を表す言葉として本居が提唱したのが「大和心」、で、もう一方であるところの、私の言う縄文性を表す言葉として本居が提唱したのが「もののあはれ」(注135)、であったのではないか、と。
(注135)「「もののあはれ」を知るとは、物の持っている「性質情状(あるかたち)」を、ありのままに知ること。そして、「物のあるかたち」は人間の認識を超えた「奇異くすしあやし)き」ものであるから、「もののあはれを知る」とは「ものの奇異(くすしあやし)さ」を知るということ。
このとき、「知る」とは、知的認識や観念・概念理解ではなく、その「奇異(くすしあやし)さ」をそのまま受容し、物の「性質情状(あるかたち)」をありのままに味わい、思わず「あはれ」という「嘆息の辞」を発するのみ。これがそのまま「情」として結実する。」
http://www.norinaga.jp/essence-09.php
私自身の理解は、全てを知ることは不可能な自然や他人を、しかしできる限り知ることに努めた上で、この自然や他人を尊重し、活かす言動を行うのが「「もののあはれ」を知る」ことであり、人間主義の何たるかである、というものだ。
誰か、直接、本居の著作にあたって、この私の仮説を検証してみて欲しいものだ。
なお、西の、弥生性についての認識は、否定的なものから肯定的なものへと深化したわけだが、縄文性(もののあはれ)についての認識は、井上とは違って、深化しないままで終わった可能性がある。
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(続く)