太田述正コラム#10742(2019.8.16)
<三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』を読む(その108)>(2019.11.4公開)

 それは、まず第一に、これまで「強兵」なき「富国」路線を推進してきた電力を算出するエネルギー資源の供給の危機を顕在化させたことです。
 関東大震災の場合には対照的に、その後当時の東京電燈(東京電力の前身)や台湾電力の米貨社債発行引受がウォール・ストリートの有力投資銀行によって行われ、外資による電力開発を誘発する契機となりました。<(注138)>・・・

 (注138)「東京電燈は、1923年(大正12年)に関東大震災で甚大な被害を受けた。だが復興は急ピッチで進み、翌年2月には8割以上の復旧をみた。また、震災後急増した電力需要に対応するため、隅田川沿いに千住火力発電所(4本のお化け煙突で有名)の建設も開始し、1929年(昭和4年)には50000kWの供給力を持つ大型発電所となった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%9B%BB%E7%87%88

⇒どこが「対照的」なのかさっぱり分かりませんが、そもそも、外資と言っても、国債じゃあるまいし、自己資本ならぬ他人資本(注139)を国内に仰ごうが外国に仰ごうが、当該企業に返済能力さえあれば、同じことではありませんか。(太田)

 (注139)「株主からの出資によるものを資本金といい、それに自社で稼いだ利益を蓄えたお金を加えたものを自己資本という。また、銀行からの借金など、第三者から調達し返済義務があるものを他人資本とよび、自己資本と他人資本を合わせたものを総資本という。」
https://kotobank.jp/word/%E8%B3%87%E6%9C%AC-75051

 原子力危機についてはそれに先立つ石油危機とは異なり、これを突破しうる展望が開かれていません。
 原子力危機は経済問題のみならず、政治問題ともなり、国内政治の不安定化要因となっています。
 しかも今日のエネルギー危機は日本にのみ限定されず、世界的なものです。
 これがエネルギー資源をめぐる国際的対立を惹起し、領土紛争を激化させています。

⇒三谷のこの辺りの「分析」は全くいただけません。
 この三谷本が上梓されたのは2017年3月であるところ、彼が原稿を岩波書店に提出したと思われる2016年時点で、原油価格は、ドル建てのNY市場でも円建ての東京市場でも、2011年の東日本大震災の時点よりも大幅に値下がりしている、というのに・・。
 同じことが、日本の天然ガス輸入価格についても言えます。
 (ちなみに、天然ガス価格は調べませんでしたが、原油価格については、その後も、さして値上がりしていません。)
 三谷は、2013年の震災以後の一時的な化石燃料価格の高騰の時に、この思い付き的な「分析」を行い、その後の化石燃料価格の大きな下落にもかかわらず、この「分析」の変更ないし撤回を行うのを怠ったということのようですね。
https://www.rakuten-sec.co.jp/web/commodity/lineup/crude_oil/long_chart.html ←原油
http://honkawa2.sakura.ne.jp/4124.html ←天然ガス (太田)

 そのような趨勢に即応して、日本では「安全保障環境」の変化が強調され、さらに進んで軍事力の強化(「強兵」)の必要さえ叫ばれています。
 戦後の富国路線の行き詰まりが「強兵」の主張を再び呼び覚ましつつあるかのごとくです。

⇒「そのような趨勢」なる三谷の「分析」自体が誤っているのですから、それが正しいことを前提にしたこのくだりは、論理必然的に、三谷の単なる妄想に過ぎない、ということになるはずです。(太田)

 このような状況にあって、重要なのは各国・各地域のデモクラシー(自由と平等の価値観)の実質的な担い手です。

⇒デモクラシー=自由と平等の価値観、であるワケがないでしょう。
 例えば、イギリス史においては、民主主義と自由主義は、長い間、敵対的関係にあり続けてきました(コラム#省略)。(太田)

 また、デモクラシーにとっての平和の必要を知る「能動的な人民」(active demos)の国境を越えた多様な国際共同体の組織化です。

⇒アテナイがそうであったように、戦争が民主主義をもたらしてきた面があることは否めない事実
https://www.claremont.org/crb/basicpage/democracy-and-warfare/
であるわけですが、そうである以上、平和は民主主義の後退ないし形骸化をもたらしかねないのであって、民主主義が「平和の必要を知る「能動的な人民」」を生み出す保証もまたない、と私は思います。
 英領北米植民地時代から現在に至る、戦争の連続であったところの、米国の歴史は、まさにこのことを裏づけているのではないでしょうか。(太田)

 すなわち国家間(inter-state)の協力とともに、市民社会間(inter-social)の協力を促進する努力が必要なのです。

⇒ここは、一般論としてはその通りですが・・。(太田) 

(続く)