太田述正コラム#945(2005.11.13)
<フランスにおける暴動(その2)>
(本件での、フランス在住の読者と私との間のやりとりを、HPの掲示板上でご覧下さい。)
3 ワシントンポスト
私が、ニューヨークタイムスより高く評価しているワシントンポストは、どうでしょうか。
同紙は、9日付でコラムニストのアップルボーム(Anne Applebaum)の過激なコラム(http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/11/08/AR2005110801109_pf.html。11月10日アクセス)を掲載しました。
その概要は次のとおりです。
故ミッテラン仏大統領は、ロサンゼルスの黒人暴動のようなことは絶対にパリでは起きないと宣ったものだ。「フランスは世界で最も社会的保護水準が高い国だからだ」とさ。
また、フランスの高級紙のル・モンドは、「カトリーナによる惨禍は、ブッシュの体制に原因があることを示している。長年月にわたって忘れ去られていた問題が前面へと戻ってきた。貧困・国の<施策の>不在・人種差別、という問題が・・。」とこの8月に同紙一面で書いてくれたものだ。その記事の下には、ブッシュが死体が多数浮いている状況をTVで見て、「これはどこの国だ。(そして自国の将軍達に向かって、)遠くの国なのかね。何とかしてやらなくっちゃ」と言っているマンガが載っていた。
このマンガのブッシュをシラクに代え、各地で放火の火の手があがっているTV画面に代えた上で、全く同じセリフをシラクに言わせてみたいものだ。
いずれにせよ、それから先が米国とフランスとでは、まるで違う。
まず、ブッシュは、2日後には、TVで対応策を発表したが、シラクがそうしたのは11日も経ってからだった。
次に、米国民はカトリーナ災害に対して、20億ドルの義捐金を寄付したが、フランスではサルコジ(Nicolas Sarkozy)内相が、暴動に参加している人々を「クズ(scum)」と呼び、火に油を注いだにもかかわらず、彼の人気は全く衰えなかった。
<ここで、ニューヨークタイムスの記事と同様、黒人は米国人であることが当然視されているが、移民はフランス人とみなされていない、という話が記された後(太田)、>米国では黒人や黒人街の存在は誰の目にも見えているが、フランスの移民は目に見えない。非移民は、移民街があたかも存在しないかのようにふるまっているし、移民は、スポーツの世界を唯一の例外として、フランスの政治、文化の世界等に全く登場しない。2002年の大統領選挙はシラクと極右のル・ペン(Jean-Marie Le Pen)との間で戦われたが、その最大の争点は、移民問題だった。しかし、選挙が終わってからのTVのトークショーには、ただ一人の移民(黒人や北アフリカ人)も登場しなかった。
フランスに移民差別があるのは厳然たる事実なのだ。
それなのに、フランス政府は、移民がフランス的イスラムの旗を掲げることすら許さないし、移民の就職や仕事の面での差別を解消する施策を講じようともしてこなかった。
こんなことでは、今後、フランスからイスラム過激派テロリストが輩出する、という可能性も排除できない。そうなると、米国も大迷惑だ。
だから、米国として、フランスに寛大な気持ちをもって、差別問題への取り組み方を伝授してやる必要がある。
それにはまず、ル・モンドの論説の「米国」と書いてあるところを線で消して「フランス」に差し替え、コピーをとって、フランス国民に大量に郵送するところから始めたらどうか。
10日付のワシントンポストの記事(http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/11/09/AR2005110902074_pf.html。11月11日アクセス)は、今回の移民の暴動は、フランス特有の問題であって、同じく多数の移民を抱えている西欧(含む英国)の他の国には波及しない、と指摘しました。
実際、フランスでの暴動が始まってから、ブリュッセルとベルリンで若干車が燃やされたりはしましたが、これは単なる物真似犯罪であり、フランス以外では、暴動は全く発生していません。
この記事によれば、その理由は以下のとおりです。
一、フランスにおける移民の分離(segregation)・失業・社会的疎外状況は、西欧諸国の中で最もひどい。
二、フランス以外の国、特にドイツでは、移民の面倒をみたり、移民に非暴力を教えるクラブや組織のネットワークが発達している。
三、フランス以外の国、特にドイツでは、二世以降の移民がスラムや分離された環境から抜け出て、就職することが、フランスにおけるほど困難ではない。
四、フランスだけに、抗議を暴力に転化するという長い伝統がある。移民は、フランスの農民や組合員がやってきたことに倣っているに過ぎない。