太田述正コラム#947(2005.11.14)
<フランスにおける暴動(その3)>
4 英国のプレスの論調
やはりここで、英国のプレスの論調にも触れておく必要がありそうです。
まず、ファイナンシャルタイムスから。
フランスの移民が最も活躍しているのはスポーツの世界だ。
1998年のサッカーのワールドカップと2000年の欧州選手権でフランスは優勝したが、2000年の時のナショナル・チームを見ると、両親か祖父母がグアダループ・マルチニク・アルジェリア・アルゼンチン・セネガル・ポーランド・ポルトガル・ガーナ出身の選手の中に、若干の白人が混じっている、という構成だった。そして、アルジェリア系のジダン(Zidane)は国民的英雄になった。
フランスはついに統合された多民族国家になった、とシラク大統領以下は胸を張ったものだ。
しかし、すぐにそうではないことが明らかになった。
1999年と2000年に実施された世論調査では、むしろ反移民感情が高まっているという結果が出た。
そして、2001年にサッカーでフランスとアルジェリアが対戦した時のことだ。
フランスのアルジェリア系の青年達は、フランス国家斉唱の際に口笛を吹き、やがてグランドになだれ込んで試合を中止させてしまったのだ。
更に、翌2002年には、大統領選挙で、移民排斥を叫ぶル・ペンが二位になったときた。
(以上、http://news.ft.com/cms/s/f2e042ee-5321-11da-8d05-0000779e2340.html(11月13日アクセス)による。)
以下は、ガーディアン(オブザーバーを含む)からです。
今次暴動は、移民が移民街に押し込められ、失業率が40%近くに達し、その一方で社会的プログラムへの予算が20%も削減されてきたことが背景にある。
しかも、雇用主や警察は移民を差別的に扱ってきた。
とりわけ、警察が移民にしょっちゅう身分証明書の提示を求めたり、移民を手荒に扱ったりしてきたことへの憤懣がたまってきていたところへ、二人の移民の青年が感電死し、それに警察が関与していたといううわさが流れたことがきっかけとなってパリ近郊で暴動が発生し、フランス政府関係者、就中サルコジ内相の移民を侮辱するような発言が火に油を注いだ結果、それが拡大した。
アムネスティー・インターナショナルが、本年4月、移民に身分証明書を提示させる際に手荒な扱いをしても、警察がお咎めなしなのは問題だと指摘したばかりだった。
だからフランスの場合、移民問題そのものへの取り組みが必要なことはもちろんだが、警察改革を行い、その移民に対する姿勢を改めさせることも不可欠だ。
(以上、http://www.taipeitimes.com/News/editorials/archives/2005/11/11/2003279723(11月12日アクセス)に転載されたガーディアンの9月11日付のフリーランド(Jonathan Freedland)のコラム)、及びhttp://www.guardian.co.uk/france/story/0,11882,1635906,00.html(自身も移民であるフランスの移民問題専門家の意見)、並びにhttp://www.guardian.co.uk/france/story/0,11882,1635483,00.html(フランスの青少年犯罪問題専門家の意見)(どちらも11月13日アクセス)による。)
なお、サルコジ内相の一連の発言は決して許されるものではないが、彼が、移民に対するアファーマティブアクションやモスクへの国家補助の必要性をかねてから指摘しているところの、フランスにおいてはめずらしい政治家であることも事実だ(http://www.guardian.co.uk/france/story/0,11882,1607367,00.html。11月13日アクセス)。
ここで、よりマクロ的視点から、フランスの移民問題に光を当ててみよう。
第一に、英国と比較した場合、フランスが移民・少数民族問題に取り組む理念に問題がある。
フランスでは、移民に対し、移民としてのアイデンディティーを捨てて、非移民と同じになることを要求する。
ちなみに米国では、移民に対しては、移民)としてのアイデンティティーと米国人としてのアイデンティティーという二重のアイデンティティーを持つことを認めてきた(例えば、「日系」「米人」)。しかし、インディアンのように元から米国に住んでいたり、黒人のように強制的に米国に連れてこられた人々に対しては、この一般的理念が通用しないのが悩ましいところだ。
他方英国では、移民に移民としてのアイデンティティーをそのまま保持することを認めている。
(以上、http://www.taipeitimes.com/News/editorials/archives/2005/11/11/2003279723前掲、及びhttp://www.guardian.co.uk/france/story/0,11882,1640824,00.html(英国の少数民族出身の大学教師の意見)による。)
英国ではこれを多文化主義(multiculturalism)と呼んでいる。
これは英国で、1980年代の少数民族地区の暴動を一つの契機にして形成された理念であって、フランスと違って、各々の少数民族のそれぞれ異なった文化を認め、それらを法律でもって守る、というものだ。
もろん、白人と各々の少数民族がばらばらに並存をしていて良い訳ではないが、何を持って紐帯とするかは、依然模索中だ。
こういうわけで、英国における多文化主義は完全なものではなく、いまだ発展途上の段階にある。
しかし、移民・少数民族問題に取り組む理念としては、この多文化主義は、現時点では最善のものであり、ひょっとしたら、未来永劫、最善のものかもしれない。
(以上、http://www.taipeitimes.com/News/editorials/archives/2005/11/11/2003279723前掲による。)
(注2)英国のこの理念がフランスや米国のそれに比べて優れている、とは言えないとする意見も英国にはもちろんある(http://www.guardian.co.uk/france/story/0,11882,1640824,00.html前掲)。
第二に、英国と比較した場合、フランスが移民・少数民族問題に取り組む姿勢に問題がある。
フランスは米国と同様に、憲法の平等原則を振りかざして移民問題に対処するという、上からのアプローチをしてきたところに根本的な問題がある。この問題には、英国のように、下からのアプローチをすることが肝要なのだ。そうしなければ、移民の抱える貧困・社会的隔離・失業、といった問題を解決できるはずがない。 (以上、http://www.guardian.co.uk/france/story/0,11882,1635528,00.html(11月13日アクセス)による。)
英国は、40年も前に、欧州諸国に先駆けて本格的な差別禁止諸法を制定し、かつ、一世代も前に、地方人種平等評議会のネットワークを立ち上げ、今では数百名の常勤の職員と何万人にものぼる、無償のボランティア要員を擁しており、問題が顕在化しないよう、事前に予防することにおおむね成功してきた。
(しかし、フランスの現況は論外として、米国のように、100人の上院議員中黒人が1人しかいない、という状態よりはマシだが、英国の下院議員646名中少数民族出身者が15人しかいないというのではまだまだ少ない。人口比から言えば、議員が60人いてもおかしくない。)
(以上、http://www.guardian.co.uk/france/story/0,11882,1635431,00.html(11月13日アクセス)による。)
第三に、英国と比較した場合、フランスが全般的におかしくなってきている、という根本的問題も見逃せない。
つまり、今次暴動は、今年5月のEU憲法批准否決、それに引き続く2012年オリンピックのパリ開催失敗、の延長線上に位置づけることもできるのだ。
このように見てくると、現在のEU加盟国に関しては、1970年代や80年代には労使紛争が最大の社会問題であり、そのために政権が倒れたりすることもあったところ、このままでは、21世紀における最大の社会問題は、英国一国を除いて、移民問題ということになりかねない(http://www.guardian.co.uk/france/story/0,11882,1635431,00.html前掲)。