太田述正コラム#951(2005.11.16)
<正念場の胡錦涛政権(その2)>
このNYタイムス記事の概要は次のとおりです。
もともと、胡耀邦復権については、中国共産党の最高指導部である政治局常務委員会の中が、是とする者が胡錦涛を含む5名に対し、非とする者が4名、と分かれていた。
この4名には、温家宝首相も含まれ、各人非とする理由は様々だったが、4名に共通していたのは、胡耀邦復権が、胡氏の死を悼んだ示威行動から始まった1989年の天安門事件の再評価論議を引き起こすのではないかという懸念だった。
9月に決まった胡氏復権について、是非の議論が再び蒸し返されている旨の報道がなされたのは、11月始めに、香港の政治雑誌Openによってだった。
胡錦涛は、死後、学生が胡氏をかついだことで、胡氏に責任を問うのはおかしいとして、その復権、特に生誕記念日行事は予定通り勧めるべきだとして、この議論を打ち切った。
しかし、党内のこのような反対論に配慮したからだと推察されるが、記念日行事は、胡耀邦が実際に亡くなった11月20日ではなく、その二日前の18日に人民大会堂で(予定されていた参加人員500人から300人へと規模を縮小するが、温家宝首相を含む3名の政治局常務委員が参加して)行われることになった。
18日には、胡錦涛はAPEC首脳会議に出席するために韓国を訪問中であることから、記念日行事に参加しなくてもすむからだ。
なお、これも予定されていたとおり、胡耀邦の生誕地の湖南(Hunan)省と、亡くなった地でありかつ共青団の歴史的根拠地である江西(Jiangxi)省でも、生誕記念日行事が行われる。
また、同じく予定されていた胡耀邦の評伝の出版についても、11月中には、その第一部が出版される運びだ(注2)。
(注2)生誕記念日行事については、その後更に毎日新聞が、読売の記事とNYタイムス記事の中間くらの精度で、同趣旨の内容をサイトで報じた(http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20051116k0000m030149000c.html。11月16日アクセス)。
NYタイムス記事のアップロード時期からして、生誕記念日行事の開催について、読売新聞が特ダネだと唱えることはおこがましいし、何よりも記事の精度が比べものにならないことがお分かりいただけたことと思います。
なお、このNYタイムス記事の内容からして、読売による、回想録や評伝の出版が禁じられた、という報道もフライングであった、ということになりそうです。(内容を守旧派よりのものに改めた上で出版、ということになるのではないでしょうか。)
読売が、敢然と中共の奥の院の切り込もうとしたことは、日本のメディアの中では異例のことであり、評価しますが、どうやら、共産党内の守旧派にうまく利用されるだけに終わったようですね。
小姑的に日本のプレスを批判することが、本稿の目的ではないので、先に進みましょう。
(2)国共合作の進展
胡耀邦復権について、共産党内で議論が行われている間も、中共の対台湾戦略は着々と進行しています。
光復節は、1945年10月25日に台北市内で行われた「中国国民党」政権の陳儀台湾省行政長官と日本の安藤利吉・台湾総督が日本の降伏文書に署名したことを記念して台湾で設けられた記念日であるところ、これまでは、対日戦争の主役は「中国共産党」軍であったというフィクションが崩れかねないため、中共では光復節が祝われることはなかったのですが、今年10月25日、北京(の人民大会堂)で初めて光復節(60周年)式典が挙行されました。
これは、9月3日の胡錦涛による中国国民党軍の「復権」(コラム#861)の論理的帰結であり、台湾内の親中共派に対する、更なる懐柔作戦の実行です。
式典には、中共側から賈慶林・全国政治協商会議主席らが出席し、台湾側からは台湾第3野党で親中共派である「新党」の郁慕明主席が出席しました。
(以上、http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-taiwan14oct14,1,4747749,print.story?coll=la-headlines-world(10月15日アクセス)、及びhttp://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/photojournal/archive/news/2005/10/25/20051026k0000m030050000c.html(11月16日アクセス)による。)
注目されるのは、11月1日に訪映された香港のTVでのインタビューで、中国国民党の新党首である馬英九(Ma Ying-jeou)が、1989年の天安門事件に触れて、「7月4日<の学生等の虐殺>問題の是正がなされない限り、われわれは再統一について議論することはできない。・・もし7月4日についての評価がくつがえされれば、中国本土が人間の価値と人権について新しい考えを持つに至ったことを意味する。そうすれば台湾の人々は安心するだろう。」とした上で、今後とも天安門事件に抗議する毎年の集会に参加するつもりだが、そのことが北京との関係に影響を及ぼすとは考えていない、と述べた(http://www.taipeitimes.com/News/taiwan/archives/2005/11/02/2003278397。11月3日アクセス)ことです。
これは、自由・民主主義化を標榜しつつ、胡耀邦や中国国民党の復権を行った胡錦涛に対し、更に(天安門事件で学生等の虐殺に反対して失権した)趙紫陽の復権という課題をつきつけたものです。
馬は、胡錦涛の前に超えることのできないハードルを提示したわけではないと私は見ています。
馬は、胡錦涛は早晩、中国共産党内の守旧派を抵抗を排して、天安門事件の再評価・趙紫陽の復権まで踏み込むに違いないと思っているのでしょう。
それにしても、胡錦涛は恐るべき人物です。
私は、胡錦涛が、漢人民族主義と相互補完関係にある、より普遍性のあるイデオロギーについて、アドバルーンを揚げていることに最近気がつきました。
ネオ儒教(私の命名)です。
(続く)