太田述正コラム#954(2005.11.18)
<正念場の胡錦涛政権(その3)>
(3)ネオ儒教イデオロギー
台湾の教育部は、昨年11月、高校の教科から、支那古典を更に削減する方針を発表しました。
孔子や孟子等の著作を、教科から落とすというのです。
言うまでもなくこれは、台湾「独立」を志向する陳水扁政権として、支那人ならぬ台湾人としての教育を推進する一環なのでしょうが、表向きは、生徒の負担軽減、及び伝統と現代とのバランスの確保、ということになっています。
ところがその一方で、孔子廟等で行われる、支那古典教育・・これを台湾では讀経班(Duchingban)という・・がブームになっています。父兄としては、子供に漢字力を身につけさせるとともに、儒教の古典が中心なので、徳育教育にもなる、と考えているようです。
(以上、http://www.taipeitimes.com/News/taiwan/archives/2005/04/16/2003250674(4月16日アクセス)による。)
そこで思い起こされるのが、昨年来の、中共における孔子の再評価の動きです。
私は単に、歴史認識の見直しが前近代史にも及んだもの、と受け止めていました(コラム#884)。
しかし、台湾で讀経班がブームだとすると、孔子の再評価は、対台湾戦略の一環、つまりは漢人民族主義の発露である、と受け止める必要がありそうです。
いや、それどころか、もっと恐るべきねらいがあるのではないか、と最近考えるに至りました。
胡錦涛としては、儒教は、男女差別観を内包していること一つとっても、そのままでは現代に通用しないけれど、儒教を現代にマッチする形にアレンジして、ネオ儒教化することによって、胡錦涛政権が掲げる漢人民族主義を補完するとともに、より普遍性のあるイデオロギーとして、中共の国内支配の正当化及び中共の勢力圏の拡大に使おうとしているのではないか、ということです。
ネオ儒教が中共の勢力圏拡大に使えるのは、ASEAN主導で、日本・韓国・中共を巻き込む形で東アジア諸国によって推進されている東アジア共同体構想(注3)が、その共通理念として自由・民主主義を掲げているために中共がその主導権をとれないでいるところ、中共が儒教の本家としてネオ儒教を掲げることで、この共通理念と抵触しない形で主導権をとれる可能性が出てくるからです。
(注3)東アジア共同体構想については、日本の東アジア共同体構想評議会議長にして日本国際フォーラム理事長である、元外務官僚の伊藤憲一氏の「東アジア共同体の夢と現実」(http://www.ceac.jp/j/pdf/051012_ito.pdf)参照。東アジア共同体構想の問題点は、経済的相互依存関係の深まりや大衆文化の共有の進展等は見られるものの、地域・国によって経済格差が依然大きいことであり、中共・北朝鮮・ベトナムという専制国家を抱えていることであり、安全保障を提供している米国が域外国であることであり、台湾問題がくすぶっていることであり、更には、脱亜入欧してしまって久しい日本人はもとより中共の人々も、自分達をアジアの一員とは考えていないことだ。(アジアの一員と考えている中共の人々は、6%しかいない(http://www.glocom.org/indexj.html。11月16日アクセス)。)
中共として、儒教が、支那はもとよりかつて漢字文化圏に属した朝鮮半島・ベトナム・日本に濃淡はあるものの、大きな影響を及ぼしたこと、また漢人の海外移住に伴って東南アジアの華僑の間でずっと信奉されてきたことを、勢力圏拡大に生かさない手はないと考えない方が不思議でしょう。
このような観点から、11月15日付の人民網論説(http://j.peopledaily.com.cn/2005/11/15/jp20051115_55151.html。11月16日アクセス)は注目されます。
この論説は、東アジアに、世界の他の地域と共通の点も多いけれど異なった点もあるところの共同価値が生まれつつあるとし、それは「5つのCと1つのO」であり、5つのCとはConsultation(協議)・Consensus(コンセンサス)・Cooperation(協力)・Comfort Level(快適さの水準=全員が快く感じるようになるのを待って、初めて実行する、ということ)・Closeness(緊密)であり、1つのOとは「Openness(開放性)」だとしています。
換言すれば、「よく協議をした上でコンセンサスに到達したものから、慎重に実施に移すことによって協力を推し進め、加盟国の緊密さを増進させていく。ただし閉鎖的クラブにはしない」ということです。
この共同価値なるものは、私には、新しい装いをまとった儒教的価値に見えます。
このような中共の思惑に呼応するような日本国内での議論も出てきています。
東京大学客員教授の河東哲夫氏が、11月14日付で日本経済新聞のサイトに掲載された論考で、アジアの大都市住民の生活意識を調査した「アジア・バロメーター」(猪口孝、田中明彦他。明石書店)を見ると、東アジアの住民意識にはいくつかの共通点が見られとし、日本、韓国、中共、ベトナムにおいては、他のアジア諸国におけるよりも、他人に対する信頼感が高く、信ずる宗教によって他人への態度を変える度合いも少ないし、また東アジアの大都市住民は、東アジアの農村や東アジア以外のアジアの住民に比べて自分を中流と位置づける度合いが高いし生活に対する満足度も高い、と指摘した上で、東アジアでは、儒教的価値観の上に日本や米国の現代ポップ文化の影響が認められ、新しい「東アジア文明」が生起しつつあるように見える、と主張した(http://www.glocom.org/indexj.html上掲)のが、その一例です。
(続く)