太田述正コラム#10794(2019.9.11)
<サンソム『西欧世界と日本』を読む(その16)>(2019.11.30公開)

 江戸文学が、移りゆく舞台上の、何か変ったことがらを認めるのに敏速でありながら、想像や洞察に欠けているのは、こうした理由によるものである。

⇒サンソムの偏見にも困ったものです。(太田)

 「浮世」を描いた絵画と同様、江戸文学は現世の装飾的・娯楽的・喜劇的な、時には猥褻な面を捉えて描写することに、異様な名人芸を示している。
 なぜならそれは、日々の仕事をもつ住民たちに提供されたものだからである。

⇒偏見に基づいて書いているからこそ、非論理的な文章になってしまっています。↑↓(太田)

 平民的な起源をもつにもかかわらず、町人が生活上の様式感覚を発展させたという点もつけ加えておかなくてはならない。
 ふつう江戸小説の主人公に帰せられている特質が、フランス語のchic(シック)(垢ぬけしたありさま)に当る粋<(注20)>(すい)と、都会人のどこかフランス語のsavoir faire(サヴォア・フェール)(処世の才覚)のようなもの、すなわち、あらゆる偶発事件に際していかに行動すべきかに精通していることを意味する通<(注21)>(つう)とであることは、意味深い。」(274、277)

 (注20)「九鬼周造『「いき」の構造』(1930)では、・・・「いき」と「・・・すい・・・」は同一の意味内容を持つと<し、>・・・外国語で意味が近いものに<サンソム同様、フランス語の>「coquetterie」「esprit」などを挙げたが、形式を抽象化することによって導き出される類似・共通点をもって文化の理解としてはならないとし、経験的具体的に意識できることをもっていきという文化を理解するべきであると唱えた」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%81%8D
 九鬼周造(1888~1941年)。一高、東大文(哲学)、欧州に8年間留学し、現象学を学んだ。京大講師、同大博士、同大助教授、教授。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%e4%b9%9d%e9%ac%bc%e5%91%a8%e9%80%a0
 (注21)「江戸時代中期から始った日本特有の美意識の一つ。江戸時代前期に上方で形成された遊興の意識「粋 (すい) 」と類似するもので,特に江戸庶民の間で形成された。・・・本来,人情の機微に通じる意であるが,ことに遊里の遊びに用いられ,遊び方の万般に通じていることをいう。外面的には服装が洗練され,流行に敏感であり,書画,骨董,俳諧,茶の湯,古典などのあらゆる教養に通じることを要求された。」
https://kotobank.jp/word/%e9%80%9a-98898

⇒サンソムは、「注20」を知らずして「粋」について書いたのなら不勉強ですし、知っていたのなら、どうして、「すい」とだけ読んだ・・恐らく、英語の原文でsuiとしていたに違いない・・のか、どうして、欧米語の近似語としてchicを選んだのか、を説明すべきでした。
 私自身は、「いき」と「すい」は微妙に異なる意味内容をもつとしつつ、「江戸の「いき」は吐く息に通じるそうで、不要なものはため込まず、サッパリ・スッキリとこそぎ落とすのだそうです。引き算の美。しかし、見えないところにお金をかけるのが江戸っ子。それに対して、上方の「すい」は吸う息に通じ、何でも取り入れ、蓄積していく足し算の美。着こなしも身のこなしも優雅にはんなりとやるのが二枚目。」
https://wanosuteki.jp/post_4486
という説が、お気に入りです。
 また、「注21」に照らせば、サンソムの「通」の理解についても、微妙にズレている感が否めません。
 私なら、欧米語で近似語がないので、「通人」の方の「通」ですがと断った上で、英語のconnoisseur(英語)(フランス語なら、connaisseur(男)、connaisseuse(女))
https://eow.alc.co.jp/search?q=connoisseur
https://www.google.co.jp/search?q=google+%E7%BF%BB%E8%A8%B3&ie=&oe=
を選ぶところです。
 九鬼もサンソムも、「すい/いき」や「つう」に近似する欧米語として、英語ではなく、フランス語を選んでいるところからも、そもそも、イギリス人は、美意識に係る土地勘に乏しそうであるところ、サンソムも、こういう分野に関しては断定的な筆致は特に慎むべきだったのではないでしょうか。(太田)

(続く)