太田述正コラム#10804(2019.9.16)
<サンソム『西欧世界と日本』を読む(その21)>(2019.12.5公開)

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[旗本奴]

 「普通武士」が「無気力な、時としては放縦な生活を営み、他方上級武士は、・・・・・・しばしば腐敗していた」例は、むしろ、江戸時代初期にあった。
 旗本奴がそうだ。↓

 「江戸時代前期(17世紀)の江戸に存在した、旗本の青年武士やその奉公人、およびその集団、かぶき者である。派手な異装をして徒党を組み、無頼をはたらいた。代表的な旗本奴は、水野十郎左衛門(水野成之)。代表的な団体が6つあったことからそれらを「六方組」(ろっぽうぐみ)とよび、旗本奴を六方(ろっぽう)とも呼ぶ。
 同時期に起こった町人出身者のかぶき者・侠客を「町奴」と呼ぶ。・・・
 異装・異風とよばれるファッション面だけでなく、独特な「六方詞」を生み、そのことばで詠む「六方俳諧」(ろっぽうはいかい)という文化を生んだ。・・・
 「旗本奴」のムーヴメントは、幕府による厳正なる取締りにより終焉した。それぞれの組の頭目以下一党の幕府による処刑である。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%97%E6%9C%AC%E5%A5%B4

 その発生「原因」は、「200年の平和時代を通じて、多数の特権的軍事階級が存在したという事実に内在する矛盾」ではなく、戦国時代が一転して「平和時代」になってしまったため、「特権的軍事階級」の一部が目的意識を失い、一種のアノミー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%83%9F%E3%83%BC
の状態に陥ってしまったからだ、と言えそうだ。
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[マルクスの理想社会?–江戸時代]

 江戸時代においては、主要生産手段(土地)が公有化されていた。↓

 「将軍が全国の土地の所有者であり、大名は将軍から領地を与えられ、その一部を家臣達に分与しているという概念を持っていました。
 従って、一つの土地についても、将軍・大名・家臣などの複数の者が関わっていて、大名の領地であっても、同時に将軍やその大名の家臣の領地であったという状態だったのです。・・・
 <また、>村の土地は村の管理下にあり、村も所有者であったと言えます。百姓たちが土地を独占的に所持していたのではなく、村全体として所有をしていたというのが実態でした。」
https://ameblo.jp/orange54321/entry-12150942742.html
 「一般<町>民にとって<は、>土地は借りるものであり、「財産」ではなかった」
https://www.homes.co.jp/cont/press/rent/rent_00260/
  「<農地であれ町人地であれ、およそ>土地の売買は禁止されていましたが・・・、町人地では沽券と呼ばれる証文(保証書・権利書の意味を持つ)により取引が行われており、豊富な資金を持つ商人たちが土地を<事実上>所有するようになったのは当然のでき事でした。
 <そして、>町人(商人)や町役には、長屋を持ち、大家を雇い、庶民へ賃貸する、という社会的責任がありました。」
https://www.able.co.jp/homeowner/chintaikeiei/

 (社会全体から見ればほんの一部に過ぎなかったところの、武士階層、を除き、)個々人は独立しており、男女間も完全に平等だった。↓

 「武家人口は江戸時代の戸籍資料によると、総人口に対してわずか7~8%のマイノリティです。
 現在の私たちの祖先のほとんどが農民や町人であったわけで、日本人=武士という考え方は間違いです。当時の庶民たちの結婚は、夫婦別姓であり、ほとんどの夫婦が共働き(銘々稼ぎという)でした。何より、夫婦別財であり、夫といえども妻の財産である着物などを勝手に売ることはできなかったのです。
 要するに、明治民法が制定されるまでの日本人庶民の結婚とは、限りなくお互いが精神的にも経済的にも自立したうえでのパートナー的な経済共同体という形に近かったわけです。別の見方をすれば自由でもあり、夫婦の関係は対等でした。」
https://toyokeizai.net/articles/-/202863?page=2
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(続く)