太田述正コラム#9602005.11.21

<フランスにおける暴動(その10)>

 (3)在日「差別」の起源

  ア 戦前には「差別」すらなかった

在日朝鮮人(在日)「差別」の起源は、部落差別より更に後であり、1910年に日韓併合がなされた以降、半島から日本列島へ朝鮮の人々が渡ってくるようになってからです。

 さて、米国のように、建国当時こそアングロサクソンが多かったけれど、その後、様々な国や地域から次々に移民がやってきたような所でも、新しい国や地域からの移民は、ことごとく「差別」の対象になりました。異なった文化を背負い、英語がしゃべれず、ダーティージョッブに就き、がむしゃらに働く人々が差別や「差別」の対象になるのは、ごく自然なことです。

 ただし、米国では支那人や日本人等のアジア人とユダヤ人(青年)だけは、「差別」ならぬ歴とした差別の対象になりました(注15)。

 (注15)米国におけるアジア人差別については、コラム#254参照。アイビーリーグの大学のユダヤ人入学差別については、別の機会に論じたい。

 (時間が経過するとともに、これら新移民は、移民先の社会にとけ込み、「差別」や差別は姿を消していく、という経過をたどるのが普通です。)

 朝鮮半島出身者については、これにプラスして日本の植民地出身者であった、という事情が加わりました。ですから、彼らに対し、当時の日本人が、優越意識をもって臨んだ可能性は排除できません。

 しかし、果たして戦前の日本に在日に対する差別や「差別」はあったのでしょうか。

 戦前(戦中を含む)来日した在日一世達の証言を孫引き紹介している、鄭大均「在日・強制連行の神話」(注16)(文春新書2004年。64?109頁)を見る限り、「危ない仕事を朝鮮人に多くさせていた。たくさんの人が、事故やまた人為的に殺されていた。」といういささか眉唾物の証言(101)のほか、具体性があるのは「賃金の格差は・・日本人に対して3分の2から2分の1」という(、他のすべての証言と食い違う)証言(注17(101)くらいであるのに対し、差別はなかった(103頁)とか日本人に親切にされた(104?107頁)という、しかも具体性のある証言が多いことに驚かされます。

  (16) タイトルから分かるように、この本を読めば、朝鮮の人々の日本への「強制連行」なるものなど全くなかったことが良く分かる。

 (注17)もっとも、半島ののんびりしていた農村からやってきた在日女性が、紡績工場で働く日本人女工の働きぶりにびっくりした、という証言(107頁)等から想像すると、在日中の能力・意欲が乏しい者、あるいは日本語ができない者、に対しては日本人と同等の賃金は支払われなかった、ということはあったに違いない。

 

ついでながら、在日が日本人にではなく、同じ在日にひどい目にあった、という証言が散見されます(102頁)。これは、いわゆる慰安婦問題で、半島人の女衒にひどい目にあった半島人の慰安婦が、日本人や日本政府を逆恨みするケースが少なくない(典拠省略)ことを思い出させます。

とまれ、これでは戦前の日本では在日差別どころか、在日「差別」すらなかった、と言わざるをえません(注18)。

(注18)それなら1923年(大正12年)の関東大震災の時の朝鮮人虐殺は何なのだ、という反論が予想される。

実際に起こったことは、大震災後の流言飛語に基づき、自警団等が、(当局発表で)在日死亡231人・重軽傷43人、支那人死亡3人、在日と誤解された日本人死亡59人・重軽傷43人を惹き起こしたもの。(もっとも、完全な流言飛語というわけではなく、大震災後、在日は殺人2名、放火3件、強盗6件、強姦3件を犯している。)

しかしこれは、未曾有の大災害後の異常心理が生起させた突発的な不幸な事件なのであって、これをもって当時、在日「差別」ないし差別があった証左である、とは言えない。(大震災の起こった年の在日人口は、8万人余であったところ、虐殺事件があったというのに、翌1924年には12万人余へと急激に増加している(鄭大均上掲143頁)ことは興味深い。)

(以上、特に断っていない限りhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD1112日アクセス)による。)