太田述正コラム#10814(2019.9.21)
<2019.9.21オフ会次第(その1)>(2019.12.10公開)

1 始めに

 本日の東京オフ会出席者10名中、広島県と長野県からの出席者から、未明に、会場である拙宅の住所等が分からない旨のメールが届いていたのを早朝に発見し、返信しておいたのですが、担当幹事がそういった連絡をしていなかったのは、どちらの方も、今まで出席歴があるので、当然、住所等が分かっているはずだと思ったからだとのこと。
 「講演」原稿を殆ど無視してしゃべる、というのがこれまでの私のスタイルだったのですが、かなり前に問題提起をして、読者の皆さんとやりとりを続けてきたことから、新たにしゃべる材料を見つけられず、そのため、本日の「講演」はすぐ終わってしまって質疑応答になりました。

2 質疑応答
 (順序不同。Oは私。その他のアルファベットは必ずしも特定の発言者と1対1で対応していない。)

A:事前に送付された原稿案を読んだが、今回のは読むのに難儀した。
B:私もそうだった。知らない固有名詞が多過ぎたので・・。
O:私の思考過程を随所に盛り込んだことも、分かりにくさを生んだのかもしれないな。
C:私は、交易説が正しいとこれまで思っていたが、どうやら間違っていたようだ。
B:島津斉彬コンセンサス/杉山元構想の話よりも今回のゲルマン人大移動の最終フェーズの話の方が、一般の人は信じ易いのではないか。
O:確かに、前者の方はいくらもっともらしいとは思っても、信じてしまうと、自分の世界観が根底から覆ってしまうので信じようとはしないだろうが、後者の方は、基本的には他人事の話だからな。
 ところで、またもやネタ切れになってしまったが、何かないだろうか。
C:ローマ人は縄文性、ゲルマン人は弥生性、と形容することもできると思うが、欧州は、ローマ時代からゲルマン時代へ、つまり、ゲルマン人がローマ人の支配者になることで、縄文性の世界が弥生性の世界へと一元的に切り替わったのに対し、日本の場合、同じ民族の中で、縄文性と弥生性が併存し続けたところ、どうしてそうなったのか、をネタにしたらどうか。
O:なるほど、そもそも、弥生性を引っ提げて日本列島に渡来した弥生人達が、どうして支那を出奔したのか、も、不思議と言えば不思議だ。
 弥生性が希薄だったはずの支那で弥生性に富む自分達が残りの人々を征服し、支配する、というオプションもあったはずなのに・・。
 この関連で、支那や朝鮮半島では、どうして弥生性が希薄なまま推移したのに、日本列島でだけ弥生性が濃厚なまま推移したのか、ということも不思議だ。
 ただ、危惧するのは、これらの問題意識の解答を求めようとするところまではよしとしても、解答の手掛かりになるような諸研究が存在しないのではないか、という点だ。
 よって、これ、せっかくいただいたネタだが、仮置きにさせていただく。
D:太田さんは、あえて「ポリティカルコレクトネスを完全放棄した」指摘をしていた(コラム#10813)けれど、自分が社会人になっての最初の仕事はアフリカのナイジェリアでのものであり、その時思ったのは、ケンブリッジだのオックスフォードだのを出ている人々を含め、てんでダメだ、ということだ。
O:黒人は、現代人における、サラブレッドなのだが・・。
 ところで、漢人は、北狄、西戎、南蛮、はよしとしても、東夷とまで言ったのはどうしてだ、東の朝鮮半島や日本列島の人々の方が知能が高いというのに、と、誰も指摘してくれていないが、まず日本列島のことは遠過ぎてよく分からず、朝鮮半島については、支那に比して人口が圧倒的に少なかったため、知能が高い人々の絶対数において、顕著な差があったことから、誤解したのではないか、という仮説を立ててみたい。
 (北狄と西戎は人口がやはり圧倒的に少なくて知能が高い人々の絶対数において圧倒的な差があったところ、それと同じことである、と漢人は受け止めたのではないか、ということ。
  南蛮については、人口は結構多かったと思われるので、漢人は支那と概ね同じベースで比較できたのではなかろうか。)
 なお、清の初期の皇帝達は、欧州人宣教師やイギリス人使節と直接会っても、彼らに対する南蛮人視を変えなかったが、自分の廷臣達に比較して彼らの知的能力が劣っていた上、彼らが、キリスト教などという「バカバカしい」宗教を信じていたり、大変な危険を冒して交易にやってきたり、軍事力を誇示したり、したのだから、当たり前だろう。

(続く)