太田述正コラム#970(2005.11.26)
<ホロコーストはあったのか?(その2)>
5 アーヴィングの改心
(1)ホロコースト否定論終焉へ
ところが、どうやらアーヴィングは改心した模様なのです。
そうだとすると、ホロコースト否定陣営は、回復しがたいダメージを蒙ったことになります。
(2)敗訴まで
1998年にアーヴィングは、英国の出版社が出した本の米国人女性研究者に対し、英国で名誉毀損の裁判を起こします。この本でアーヴィングが最も危険なホロコースト否定者と名指しされたことが事実に反する、というのです。
これは、彼がホロコースト否定者であったことはない、という趣旨なのか、この本が出た時点では既にホロコースト否定者ではなくなっていた、という趣旨なのかは、(典拠では)定かではありません。
被告側証人となった、ケンブリッジ大学現代史教授のエヴァンス(Richard Evans)は、2年間にわたってアーヴィングの著作と第一次資料とをつきあわせた上で、以下のように証言します。
「アーヴィングのすべての本や講演や論考の中のたった一つの段落、たった一つの文章でさえ、それが扱っている歴史的事案の正確な描写であると信じられるものはない。・・彼はおよそ歴史家の名に値しない。」と。
しかし、このアーヴィングに対する酷評は、エヴァンス自身の歴史学者としての良心と資質に疑問を投げかけさせるものです。
というのは、アーヴィングがこの裁判を起こす前の1996年に、長らくスタンフォード大学でドイツ史の教授を務めた米歴史学界の重鎮であるクレイグ(Gordon Craig。現在は故人)が、The New York Review of Booksに掲載されたアーヴィングの(ゲッペルスに関する)本に対する書評の中で、アーヴィングのホロコースト否定論は歯切れが悪いし、それが誤りであることはすぐ分かるので、大部分の人は彼をうさんくさく思うだろうが、アーヴィングのこの本は、先の大戦をドイツ側から見たものとしては、最良の研究であり、われわれは彼を無視するわけにはいかない、と記している(注)からです(http://www.nybooks.com/articles/article-preview?article_id=1421(11月25日アクセス)も参照した)。
(注)この裁判が終わった後の2000年に、現存者としては世界一の軍事史家であるとされる英国のキーガン(Sir John Keegan)は、アーヴィングは創造的な歴史家としての多くの資質を備えており、彼の書誌家としての技術は比類がなく、彼の著作は人を飽きさせないが、そのホロコースト否定論に関しては、アーヴィング自身、本当だとは思ったことは一度もないのではないか、と指摘している(http://en.wikipedia.org/wiki/John_Keegan(11月26日アクセス)も参照した)。
結局、判決は要旨次のようなものになりました。
アーヴィングは秀でた知性を持ち、先の大戦の歴史について該博な知識を有しており、第一次資料を広く渉猟して徹底的に研究し、様々な新発見を行った。しかし、アーヴィングは自分のイデオロギー上の理由から、ホロコーストに関しては、一貫して意図的に第一次資料をねじまげ、例えばヒットラーのホロコーストへの関与がなかったものとした。アーヴィングはまぎれもないホロコースト否定論者だ。しかも彼は反ユダヤ主義者であり、人種主義者であり、ネオナチズムを掲げる極右勢力に加担している・・・。
アーヴィングは控訴しますが、再び敗れ、敗訴が確定します。
その結果、アーヴィングには歴史家失格の烙印が押されただけでなく、彼は訴訟費用等で破産に追い込まれます。
(3)オーストリアにて
逮捕されて以来、ウィーンで拘置され、保釈も却下されたアーヴィングは、弁護士に対し、要旨次のような意向を明らかにしています。
陪審には有罪を認めた上で、自分は改心しているとして情状酌量を求めたい。自分は、1989年にオーストリアでホロコースト否定論を講演した後、解禁された旧ソ連時代の第一次資料を1990年代に研究した結果、それが誤っていることが分かった。ユダヤ人が収容所のガス室で大量に殺されたことは間違いなく、ホロコーストは確かにあったのだ。もはや議論の余地はない。
(以上、http://www.guardian.co.uk/secondworldwar/story/0,14058,1651305,00.html(11月26日アクセス)による。)
ナチスを生む体質
ドイツやオーストリアではホロコースト否定を罰する法律があるのですね。異論を法律で禁止しようとする体質がナチスの台頭を許す素地になったのではないでしょうか。
このような点について論述して頂ければ幸です。