太田述正コラム#9772005.11.30

<ホロコーストはあったのか?(続x3)>

1 初めに

 なかなか、ホロコースト論議が終息に向かわないのには困ったものです。

 論議の中身より、その周辺的な話の方が気になっています。

 ここでは、二点だけ取り上げます。

2 議論の仕方

 議論の鉄則は、典拠を挙げて行うことです。

 しかし、その典拠をでっちあげて議論をふっかけてくる人があれば、どうしますか。

 そんな議論を受けて立つ必要はない、というよりそんな議論を受けて立ってはいけないのです。

 ホロコースト否定論は、まさにこのような類の議論なのです。

 だから、私に対し、ホロコースト否定論に対しどうして具体的な反論をしないのか、とおっしゃる人に対しては、呆れ、怒らざるを得ないのです。

 なお、ホロコースト否定論にシンパシーを示すことは、いくら匿名だとは言え、ホロコースト否定論を(インターネット上で)流布させたとみなされる懼れがなきにしもあらずであり、フランス等、かかる行為を処罰する国々に入国した時に逮捕されない保証はありません。

 これはちと大げさだとしても、余り軽いノリでこの種の議論はしない方が身のためですよ。

3 第二次資料の読み方

 ある読者が、私が「ユダヤ人を主体とする強制収容所が強制労働を目的とするものであったとする指摘は、ホロコースト否定論者によっても全くなされていない。」という主張をコラム#976で行い、その論拠の一つとして、ホロコースト否定論を論駁しているhttp://www.nizkor.org/qar-complete.cgiというサイトでも、そんな指摘は取り上げられていない旨記したところ、取り上げられている、という反論を寄せられました。

 同サイトの関係ありそうな箇所は、下掲のとおりです。

6. If Auschwitz wasn’t a "death camp," what was its true purpose?

The IHR says (original): It was a large-scale manufacturing complex. Synthetic rubber (Buna) was made there, and its inmates were used as a workforce. The Buna process was used in the U.S. during WWII.  

The IHR says (revised): It was an internment center and part of a large-scale manufacturing complex. Synthetic fuel was produced there, and its inmates were used as a workforce.

Nizkor replies: True to some extent. Auschwitz was a huge complex; it had ordinary POW camps (in which British airmen were also held, and they testified of atrocities in the nearby extermination camp). Auschwitz II, or Birkenau, was the largest camp, and the gas chambers were there. Auschwitz III, or Monowitz, was the industrial manufacturing plant. Many prisoners were indeed used for forced labor in Auschwitz. But the "unfit" — meaning the elderly, the children, and most of the women — were immediately sent to the gas chambers.

(太田訳)

第6問 アウシュヴィッツ「死の収容所」ではないとして、一体それは何だったのだろうか。

IHRの以前の答え:大規模な製造施設だった。合成ゴムがここでつくられ、収容者は労働者として使われた。同様の合成ゴム工場は先の大戦中に米国にもあった。

IHRの現在の答え:大規模な製造施設の名称であると同時にその一隅にあった収容センターの名称。合成燃料がここでつくられ、収容者は労働者として使われた。

Nizkorによる論駁:部分的には正しい。アウシュヴィッツは巨大な施設だった。通常の捕虜収容所(そこに捕らわれていた英空軍兵士達は、近くの絶滅収容所での残虐行為の証人となった)もあった。アウシュヴィッツ?Uまたの名はビルケナウ(Birkenau)は最大の収容所であり、ガス室(複数)がそこにはあった。アウシュヴィッツ?Vまたの名はモノヴィッツ(Monowitz)は産業製造工場だった。沢山の囚人達がアウシュヴィッツで強制労働に使われた。しかし、「不適者」、すなわち老人と子供と大部分の女性は、直ちにガス室に送られた。

 これは、IHRInstitute for Historical Review)というホロコースト否定団体によるQA形式のパンフレットの、各Aに対し、Nizkor名で反駁を加えたもののうちの一部です。

 さて、ユダヤ人絶滅計画が実施に移された1942年以降、ユダヤ人が収容されていた収容所は、ポーランド内だけでも6箇所もあり、このほか、ソ連領内にも同様の収容所があるにもかかわらず、IHRが(ユダヤ人が収容されていた収容所としては一番大きいとはいえ、)アウシュヴィッツしか工場を併設していた収容所を挙げていない、というのが留意すべき第一点です。

 しかも、「収容者は労働者として使われた」と言っているだけで、「ユダヤ人収容者は(あるいは、ユダヤ人収容者も)労働者として使われた」とは言っていない、というのが留意すべき第二点です。

 つまり、IHRは、アウシュヴィッツだけではユダヤ人も強制労働に使われていたと言いたいわけではなく、要は、アウシュヴィッツは工場施設であって、労働力として(通常の労働者のほか)収容者も使われていたけれど、ユダヤ人絶滅施設ではなかった、ということが言いたいのでしょう。

 ですから、ホロコースト否定論者が、収容されたユダヤ人は、(労働に耐え得ない者を除き、)全員強制労働に使われていた、ということを主張していた、ということには、冒頭の典拠からはなりません。

 後は蛇足です。

 ナチスは、時間をかけて次第にユダヤ人迫害のレベルを上げて行ったのであって、(地域によって時期的にはズレがあるが)やがてユダヤ人全員が収容所に入れられ、強制労働に使われるに至り、その後、1942年からは絶滅目的でユダヤ人虐殺が開始され、逃げたり隠れたりして収容所行きを逃れた者以外の欧州及び占領下のソ連のユダヤ人は、終戦までにほぼ絶滅されます。

(以上、http://72.14.203.104/search?q=cache:6PUhBLKjwaEJ:www.virtualmuseum.ca/Exhibitions/orphans/english/themes/pdf/glossary.pdf+Jew%3Bforced+labour%3BNazis&hl=jahttp://www.holocaust-education.dk/tidslinjer.aspも参照した。)

 虐殺の過程で、老人・子供・大部分の女性、を先に殺し、大人の男性は強制労働に従事させることがあったのは、毎日キャパシティ一杯の人数の虐殺を整斉と実施していくに際して、「在庫」たる大人の男性に生存への希望を抱かせ、蜂起の芽を摘まんがためであり、強制労働させることが目的ではありませんでした。