太田述正コラム#9872005.12.6

<思い出される大学の頃(その1)>

1 初めに

 フランスにおける移民暴動とホロコースト否定論に係る読者の反応を見ていると、既視感にとらわれました。

 いつだったかと思いめぐらしたところ、学生時代の記憶が蘇ってきました。

 1968年の大学二年の時の東大「闘争」の記憶と、1967年の大学一年の時にカルト系宗教と接した記憶です。

 昔話をするのは、年を取った証拠かも知れませんが、ご容赦下さい。

2 東大「闘争」とフランスにおける移民暴動

 (1)東大「闘争」

 当時から私は、東大紛争は、「自由のない受験時代を経てやっと大学に入ったけれど、4年経つと再び自由のないサラリーマン生活に入らなければならないというのに、その間も、勉強をし、単位をとらなければならないのはいやだ」、というまことに矮小な不満が原因であった、と考えています。「闘争」手段として、スト(授業出席拒否)とピケッティング(校舎占拠)が行われたのは、そのためだ、とさえ私は見ていました。

 ところが「闘争」参加学生達は、そうは考えていませんでした。

抑圧的な東大を改革するために自分達は蹶起したのだ、と思いこんでいたのです。そしてこの抑圧的な東大を改革することは、東大の事務局に官僚を出向させて東大を牛耳っている文部省、ひいては日本の政治を改革することに通じる、とも思いこんでいたのです。ストと校舎占拠は、東大の機能を麻痺させることによって、一連の改革の起爆剤となる、というわけです。

私は同じクラス(注1)の「闘争」参加学生に対し、何度も私の上記「情勢分析」を述べた上で、「さぞ楽しいことだろうが、もう憂さ晴らしは済んだのではないか、そろそろ「闘争」を中止すべきだ」と説得にこれ努めたのですが、連中はみんな目がつり上がっていて、私の言うことに耳を貸しません。

(注1)東大に入学すると、同じ第二外国語を選択した者同士でクラスを編成し、学部に進学するまでの間の2年間、駒場のキャンパスで過ごす。私のクラスは、フランス語のクラスで、法学部進学予定者(文1)と経済学部進学予定者(文2)によって構成されていた。

 

 さじを投げた私が、ある時、(私のクラスでは「闘争」参加者は文2の学生が多かったので、)「君らはみんな、卒業後、「闘争」などなかったような顔をして、銀行等に勤めることになるよ」と言ったところ、彼らは、大変な剣幕で、「とんでもない、少なくとも東大改革が実現するまでは絶対「闘争」を続ける」と答えたものです。

 私と彼らのとちらの情勢分析が正しく、またどちらの予測が的中したかは、言うまでもありません(注2)。

 (注2上記クラス単位でクラス代議員を複数選出し、クラス代議員が集まって、駒場の学生としての様々な意志決定が行われる。

私は、「闘争」が始まりストに突入したときには代議員ではなかったけれど、ストを収束させるために、クラスの日和見連中に根回しして代議員になり、スト解除決定に参加し、本郷の方の各学部の同様の動きとあいまって、大学当局による警察力導入に道が開かれ、「闘争」は収束に向かった。

結局、東大「闘争」は10ヶ月間続き、翌1969年の東大入試は行われなかった。

 東大生全員が学業をさぼり、東大における研究活動を阻害し、東大の施設に多大の損害を与えただけで、東大も文部省も日本政府も何一つ変わりませんでしたし、クラスの「闘争」参加者のほぼ全員が、何事もなかったかのように、銀行等の大企業の企業戦士になったときているのですから(注3)。

 (注3)その私が何の因果か、それから三分の一世紀後に、たった一人で、日本を変えようと「闘争」を行うはめになろうとは。

 (2)フランスにおける移民暴動

 私が東大「闘争」を的確に分析できたのは、私が当事者としての視点ではなく、海外経験を通じて培った第三者的視点で情勢を分析したからだ、と私は思います。

 フランスにおける移民暴動を見るにあたっても、私は、当事者の方々の話より、英米、就中英国の高級メディアの第三者的視点を重視してきました。

 では、どうして数多ある第三者的視点の中で、英米、就中英国の高級メディアの視点なのでしょうか。

 アングロサクソンが世界を牛耳るようになり、アングロサクソン・スタンダードがグローバル・スタンダードになってから既に久しいわけですが、これは、英米のリーダー達が、これまで行ってきた無数の情勢判断(情勢分析と予測)とこれら情勢判断を踏まえた意志決定が常におおむね適切であったからでしょう。だとすれば、英米、就中英国の高級メディアについても、西欧諸国や日本の高級メディアより信頼性が高い、と考えざるをえないからです。

 面白いことに、今回のフランスにおける移民暴動に関しては、東大「闘争」の時とは逆で、当事者(フランス在留)の方々はおおむね事態を軽く考えておられるのに対し、英米、就中英国の高級メディアは事態を深刻に受け止めています。

 そこで、私も事態を深刻に受け止めることにしたのですが、英米、就中英国の高級メディアとて、情勢判断を間違えることはありえます。

 間違っている、と思われる方が、反論を試みられることは大歓迎です。

 ぜひ反論を執筆していただきたいが、その際にぜひお願いしたいのは、これら高級メディアや私のコラム同様、事実については必ず「いつどこで見たか」を記すか典拠を付し、判断にわたる部分については、執筆者自身による判断は最小限に抑えるとともに、執筆者以外による判断については「いつどこで誰に聞いた判断か」を記すかやはり典拠を付し、(できるだけ)執筆者の本名と肩書きも明かしていただくことです。

(続く)