太田述正コラム#997(2005.12.12)
<ネオ儒教をめぐって(その3)>
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このところ見られる、EUが対中武器輸出禁止を解禁しようとする動きは、支那と欧州の伝統的紐帯が回復する前兆ではないか、と冷や冷やしながら見守っている昨今ですが、時あたかも、アングロサクソンの中からも弱気の発言が出てきています。
現在、北京の人民大学の客員教授をしているマーティン・ジャック(Martin Jacques)(注3)は、巨大な人口を抱える中共が、経済を対外開放しつつめざましい経済発展を遂げつつあるのを目の当たりにして、中共は、このまま自由・民主主義化することなくして、早ければ21世紀中頃にも覇権国の座を米国から奪う可能性がある、というのです。(http://www.taipeitimes.com/News/editorials/archives/2005/12/10/2003283831。12月11日アクセス)。
(注3)ジャックはついこの間まで、日本の南山大学の客員教授をやっていた。彼は引き続き台北タイムスのコラムニストもやっているが、昨年まではLSEの客員研究員でガーディアンのコラムニストだった。ただしその前は、英国共産党の理論誌の編集長であり、共産主義からの転向者である、という変わり種だ。(http://www.wsws.org/articles/2004/dec2004/jac1-d15.shtml。12月12日アクセス)
4 日本が行うべきこと
さて、2004年の一人当たりGDP(注4)を比較すると、米国が40,047、日本が36,598米ドル、シンガポールが24,176米ドル、香港が23,647米ドル、韓国が13,973米ドル、台湾が13,390米ドル、中共が1,293米ドルです(The Military Balance 2005/2006, IISS。ただし、香港はhttp://www.amcham.org.hk/hongkong/american_presence.html(12月12日アクセス)による)。
(注4)最近、各国のGDPや一人当たりGDPを購買力平価で比べることがはやっているが、国や個人の経済力の指標としては、単純に年間平均交換レートでドル換算した額の方が妥当だとIISSは考えており、私もそう思う。
これを見ると、シンガポールと香港の豊かさはほぼ同じですが、領土面積はそれぞれ692.7 平方kmと1,092平方km、人口はそれぞれ440万人強と690万人弱と、まさに人口から言っても広さから言ってもどちらも、やや規模の大きい都市に過ぎません。
ですから、シンガポールの現在の豊かさは、アジアの中では瞠目すべきものがあるとしても、その秘密は、国家イデオロギーとされた儒教のおかげでも何でもなく、ただ単に、シンガポールが香港と同様、旧英領であって、英領当時からの法治主義が確立した自由貿易都市(港)であるところに求められる、と言えるでしょう。
つまり、まだアジアでは、自由・民主主義ではなく、儒教的なイデオロギーを掲げて一人当たり1?2万米ドルを超える豊かさを達成した、歴とした領域国家は出現していないのです。(言うまでもなく、共産主義を掲げるアジアの領域国家で、この水準を超えたものは出現していません。)
ですから、仮に中共が儒教的なイデオロギーを掲げ、かつこの水準の豊かさを超えるようなことになれば、その世界に及ぼすインパクトは凄まじいものがあることでしょう。
何と言っても、中共の国土の広さ(960万平方km弱)は米国(963万平方km強)に匹敵し、その人口(13億600万人強)は米国(2億9,600万人弱)の4倍以上なのですから。
(以上、面積と人口は、CIA Factbookサイト(12月12日アクセス)による。)
日本が行うべきことは、まず第一に、これまで、自由・民主主義を掲げることなくして、領域国家が、その全域に遍く豊かさを行き渡らせた例はこれまで皆無である、ということを中共の当局と民衆に対して、あらゆる機会を捉えて繰り返し伝えることです。
そして行うべきことの第二は、日本にとって自由・民主主義が欧米の借り物ではなかったように、支那の歴史の中に自由・民主主義の水脈が流れている、ということを指摘することでしょう。
そのことは、既に北京大学の政治学の教官である59歳のJiang Rongが、彼の処女作である風刺小説’Wolf Totem’で示唆しています。この小説は、彼が文化大革命の時に内蒙古に下放されたときの体験を元にしてます。
その中でJiangは、内蒙古への漢人の入植と漢文化の流入により、狼が大量に殺され、草原の砂漠化が進行していること、龍をトーテムとしているところの、儒教の影響を色濃く受けている漢人の文化の特徴は専制と権力盲従であるのに対し、狼をトーテムとしているところの遊牧文化の特徴は自由・独立・敬意・不撓不屈・協働・競争であること、を記しています。
その上で、Jiangは、支那文明はこの漢人文化と遊牧民文化の二つの文化によって成り立っているのに、前者が後者を抑圧してきたことが、支那文明が欧米の文明に後れを取った原因だと指摘しています。言うまでもなく、これは暗に中国共産党をを批判しているのです。
この小説は、既に100万部も売れ、そのほか海賊版が500万部出回っていると言われており、英国のペンギン社から近く英訳も出る予定です。
また、彼はTVで引っ張りだこになっており、面白いことに人民解放軍も彼に注目しているといいます。
しかし、その一方で彼は、中共当局によって弾圧される可能性に怯える毎日を送っています。
(以上、http://www.nytimes.com/2005/11/03/books/03jian.html?pagewanted=print(11月3日アクセス)による。)
私は以前(コラム#626、633?537、643、658、659、668、671で)、モンゴル文明と自由・民主主義との親和性を指摘したところであり、Jiangの指摘には、まさにその通りだという思いがします。
日本は、Jiangらを支援することによって、中共当局をして、支那の漢人的伝統を踏まえたネオ儒教の追求・採択ではなく、支那の遊牧民的伝統を踏まえた自由・民主主義を追求・採択させるべく、その善導に努めるべきなのです。
(完)