太田述正コラム#1001(2005.12.15)
<日中関係の現状(その1)>
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1 始めに
中共のGDPの数値は20%多く訂正されるべきだとの報道がなされました。
そうなれば来年あたりには、中共は、英国・フランス・イタリアを一挙に抜いて、米国・日本に次ぐ世界第三の経済大国に躍り出ることになります。
経済学者は、以前から中共中央の把握している経済データが、社会主義経済の名残でモノの生産面が中心であり、サービス部門の把握が不十分であると指摘してきました。
このことは、経済発展段階が近似しているインドと比較するだけで明らかであるというのです。
例えば、2002年のGDPで見ると、インドの場合、その51.0%がサービス部門であるというのに、中共の場合、34.6%でしかありませんでした。
それに、(モノの生産に関しては、今でもデータの過剰申告のきらいがあるのに対し、)サービス部門では税金逃れのための過小申告が常態化している、という実態があります。
もっとも、中共経済の高度成長と、元の対米ドル・レートが2.5%切り上がった上に、ユーロやポンドの対米ドル・レートが下がっているので、上記訂正がなくても、GDPが世界第三位になるのは時間の問題でした。
(以上、http://www.atimes.com/atimes/China_Business/GL15Cb06.html(12月15日アクセス)による。)
日米関係が世界第二と第一の経済大国の間の、世界一重要な二国関係であるとすれば、もはや世界第三の経済大国当確となった中共と日本との二国関係がいかに重要なものであるかが分かります。
その日中関係は極めて悪いように見えますが、本当のところはどうなのでしょうか。
2 「険悪な」日中関係
中共の温家宝首相は3日、中国が小泉純一郎首相の靖国神社参拝を理由に拒否している日中首脳会談の実現の見通しについて「日本の指導者が自らの誤りを正すために実際に行動を起こすことを期待する」と述べ、小泉首相の参拝自粛表明などが再開の前提になるとの認識を強調しました(http://www.tokyo-np.co.jp/00/detail/20051203/fls_____detail__063.shtml。12月4日アクセス)。
また、ASEANプラス3・首脳会議の枠組みを利用した日中韓三カ国首脳会談は1999年に始まり、これまで毎年、計6回開催されできましたが、先般マレーシアで開催されたASEANプラス3・首脳会議の際に行われる予定だった日中韓三カ国首脳会談(ただし、中共は温家宝首相)は、中共の、「現在の(中日関係の)雰囲気と条件を考慮した」延期要請に従い、行われませんでした(http://www.tokyo-np.co.jp/00/kok/20051205/mng_____kok_____004.shtml。12月5日アクセス)。
それだけではありません。
このASEANプラス3・首脳会議と同じ時期に民主党党首の前原氏は訪中したのですが、胡錦涛国家主席らは会談に応じず、走り使い程度の戴秉国筆頭外務次官らが対応しました。2002年の鳩山由紀夫氏は江沢民、2003年の菅直人氏は胡錦涛といずれも中共の国家主席と会談しており、異例の対応となりました(http://www.asahi.com/politics/update/1213/006.html。12月14日アクセス)。
中共側は、事前調整で胡錦涛か曽慶紅国家副主席らトップクラスの要人との会談を設定する方針を示していたが、直前になって「都合がつかない」と通告してきたとされ、産経新聞は、前原氏が8日のワシントンでの講演で述べた中国脅威論などに反発した可能性が高い、としていますhttp://www.sankei.co.jp/news/051213/sei106.htm。12月14日アクセス)。
このように、日本の首相や野党第一党の党首が相手にされないのですから、日中関係は誰の目にも険悪であるように映ります。
しかし、本当にそうなのでしょうか。
その正反対だ、と私は思います。
3 この上もなく良好な日中関係
まず、小さなエピソードから始めましょう。
中共の人民網(人民日報の電子版)は、朝日新聞のサイトからの引用の形で、「インドネシアのオランダからの独立戦争(1945?49年)で、現地の独立軍に身を投じた元日本兵・・小野盛・・さん・・が戦時につけていた・・日記と、3通の戦闘報告書が存在することが明らかになった。同戦争では後に書かれた回想録などは知られているが、史料として価値の高い同時期の記録が公になったのは初めて。約1,000人の日本人が参加し、数百人が死亡したとされる同戦争の実態解明に光を当てる発見だ。・・参戦した動機を小野さんは「大東亜建設ノ礎石タラントシ同胞ノ義戦ニ参加」(46年2月13日)と記していた。・・小野さん<は、>日本人部隊の副隊長として指揮したゲリラ戦で、同戦争で最大級の戦果をあげていたが、<これまで>インドネシアの史書には記録がなかった。」という記事を、11月初頭に掲載しました(http://j.peopledaily.com.cn/2005/11/02/jp20051102_54803.html。11月3日アクセス)。
この記事を読んで、思わず私は目をこすりました。
(続く)