太田述正コラム#10072005.12.19

<チャールス1世を断頭台に送った男(その2)>

(ホームページの掲示板に掲げた「重大なお知らせ」を再掲します。

「第2回 まぐまぐBooksアワード」の投票が、21日(の午前10時?)まで行われています。後実質1回しか投票することはできません。

http://books.mag2.com/dynamic/m/0000101909/index.htmlをクリックして、ぜひとも本コラムへの人気投票をお願いします。

このコラムを書き始めてから4年以上経ちます。しかし、総購読者数はかろうじて1,300名を超えたに過ぎず、コラムへの「訪問者数」も月間2万5,000人程度に達して以降、微々たる伸びにとどまっています。

その上今回の投票結果で、昨年と変わらず12位(あるいはそれ以下)で終わるようであれば、そろそろ年貢の納め時でしょう。

今年一杯で本コラムの執筆は取りやめ、来年のしかるべき時期から、本コラムの本数を大幅に減らした上で、有料コラムとして再開を期したいと思います。

他方、10位以内に食い込めば、無条件で本コラムを続けます。その場合、何人かの読者からのご要望もあり、来年の早い時期にオフ会を開催したいと思っています。

読者の皆さんによる評決の結果が楽しみです。)

3 クックの処刑

 クックはアイルランドで、アングロサクソンの地主のためではなく、アイルランド人の小作人のための判決を連発します。そのため、大地主達は、クックの法廷への出頭を拒むようになったほどです。

 ところが、クロムウェルが死ぬと世の中のムードが徐々に変わり、1660年には王制復古となり、チャールス2世が即位します。

 今度は、クックらチャールスを死に追いやった者がが断罪される番でした。

 彼らを、裁判官の手を経ずに逮捕拘束し、かつまたコモンロー上の人身保護手続き(habeas corpus)(注3)の彼らへの適用を排除するため、彼らは裁判が始まるまで、イギリス本国外の英領ジャージー(Jersey)島等に送られました(注4)(注5)(注6)。

 (注3)人身保護手続きによれば、裁判にかけるまで長期間拘束された者は解放されなければならない。

 (注4)これに比べれば、チャールス1世の裁判は、手続き的にはおおむね公正だった(ただし、後述参照)。普通の人であれば、有罪・無罪を宣言しないと巨大な石を体の上に載せられ宣言を強いられ、その過程で命を落とすことも再々だった。しかも、大部分の裁判は何時間かで終わるのが通例だった。

 (注59.11同時多発テロ以降、米国が、本国法の適用を回避するため、逮捕拘束したテロリスト容疑者をキューバのグアンタナモ米軍基地に送り込んでいることと同じだ。

 (注6)この脱法行為を防ぐため、1679年にイギリス議会は人身保護手続法を制定し、この手続きの適用を英国の海外領まで拡大した。現在、米国の弁護士達は、このイギリスの法律を援用して、グアンタナモ基地に拘束されている人々を米国法の保護下に置くべくブッシュ政権との間で綱引きを続けている。

 そして、裏切り者にして国王殺として有罪となったクックは、庶民(非貴族)であったので、イギリス法に則り、生きたまま内蔵を摘出された上で四肢をばらばらにされる刑に処せられことになりました。

 他の9人の国王殺し(注7)とともに、処刑台に引き立てられたクックは、最後に「われわれは裏切り者ではありません。自由を隷属より好むところの、イギリスの国民及び苦界に呻吟する全ての面々よ、われわれは皆さんの自由を確保しようとしたまでなのです。」と述べ、従容として死を迎えました(注8)。

 (注7)うち2人は、北米英領マサチューセッツ植民地(初植民は1620年)でハーバード大学を1636年に創立した後、母国に帰国していたピューリタンだった。

 (注8)チャールス1世もまた、従容として死を迎えたことは、忘れてはなるまい。イギリス人の気骨は尊敬に値する。

(続く)