太田述正コラム#1009(2005.12.20)
<チャールス1世を断頭台に送った男(その4)>
(「第2回 まぐまぐBooksアワード」の投票ができるのは後わずかです。
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今回の投票結果が、昨年と変わらず12位(あるいはそれ以下)で終わるようであれば、今年一杯で本コラムの執筆は取りやめ、来年のしかるべき時期から、本コラムの本数を大幅に減らした上で、有料コラムとして再開を期したいと思います。他方、10位以内に食い込めば、無条件で本コラムを続けます。)
6 終わりに代えて・・著者について
本来なら、他人の著書の中身をご紹介する時は、「である」調で書くことにしているのですが、今回は余りにも長いので、「です」調で書きました。
最後に、この本の著者であるロバートソンをご紹介しておきましょう。
ロバートソンは1946年に豪州のシドニーで生まれ、法廷外弁護士(solicitor)の資格をとってから、ローズ奨学生(Rhodes Scholar)(注11)として1970年に英国にやってきてオックスフォードで学び、1974年に法廷弁護士(barrister)になります。
(注11)英国人のセシル・ローズ(Cecil John Rhodes)が創設した奨学金制度による奨学生。一時対象国が拡大されたこともあったが、基本的に旧英領植民地・米国・ドイツの優秀で人格も優れた学生が対象。オックスフォード大学に2年間留学できる(卒業できる3年目までの延長が可能)。ローズ奨学生であった有名人は、マーシャル米最高裁長官・フルブライト米上院議員・ホーク豪州首相・クリントン米大統領を含め、数多い。(http://en.wikipedia.org/wiki/Rhodes_Scholar。12月19日アクセス)
彼は、売れっ子弁護士の一人であり、イギリス法や国際法の著書も何冊かありますが、現在は国連のシエラレオネ国際法廷(Special Court for Sierra Leone=SCSL)(注12)の裁判官をやっており、その勤務をしながら、週末や休暇にロンドンの自宅に戻り、古い裁判記録等を参照しながらこの本を執筆しました。
(注12)シエラレオネでは、10年間にわたって、隣国リベリアのテイラー(Charles Taylor)大統領(当時)が支援する反乱軍と政府系の民兵組織との間で、ダイヤモンド鉱山の利権をめぐる内戦が続いた。1999年に国連の調停で和平がなった。2002年1月に、内戦の過程で双方が犯した残虐な戦争犯罪の責任者を裁くため、国連はSCSLを設置した。この国際法廷は、犯罪が行われた現地において、国際法と国内法の両方を適用して行われる新しいタイプであり、ルワンダやユーゴの戦争犯罪を裁く国際法廷に比べて迅速かつ安価であるというふれこみだ。審理は2004年3月に開始された。(http://www.globalpolicy.org/intljustice/sierraindx.htm。12月19日アクセス)
彼は1992年の珊瑚海海戦50周年の時に故郷の豪州で、TVのドキュメンタリー番組の制作を行ったことがあります。その番組のタイトルは「44日間」であり、主人公は、1942年にキティーホーク戦闘機の航空隊司令だった彼の父親であって、父親がその航空隊を率いて、シンガポール陥落(2月15日)からの珊瑚海海戦(Coral Sea battle。5月8日)(注13)の間に行われた44日間の豪州領ニューギニアのポートモレスビー(Moresby)防衛戦をいかに戦ったかを描いたものです。
ロバートソンの夫人は小説家であり、二人の間に子供二人がいます。
(注13)1942年5月8日、珊瑚海で日本海軍の空母機動部隊と米海軍を主力とする米英豪連合軍の空母機動部隊との間で、歴史上初めて航空母艦同士が主力となって戦闘を交えた戦い。連合軍の正規空母1隻の損害に対し日本軍は軽空母1隻の損害であり、日本はこの海戦に作戦的には勝利している。しかし、この戦いで日本の機動部隊も航空機を多数消耗し、連合軍はポートモレスビーを攻略するという当初の日本の作戦目標を放棄させることができた。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%8A%E7%91%9A%E6%B5%B7%E6%B5%B7%E6%88%A6。12月19日アクセス)
(完)