太田述正コラム#10152005.12.23

<現在のイランを見て思うこと(その4)>

 どうして、私が李登輝の「敬虔」なるキリスト教信仰をこれほど問題視するかと言うと、宗教的バイアスが往々にして人に不適切な言動を行わしめることがあり、それが有力な人物(達)の場合には、大きなダメージを社会に及ぼすことがあるからです。

 その卑近な例を一つ挙げましょう。

 先の大戦が起こったのは、当時の米国の朝野が支那に肩入れをする一方で、日本には敵意を抱いていたからです。

その理由の一つは、支那ではキリスト教徒をどんどん増やせたけれど、日本ではほとんど増やせなかったところにあります。このような「アンチ・キリスト」たる日本の「帝国主義」が、キリスト教徒を多数含むところの支那の民衆を苦しめている、という米国人宣教師達のとてつもなくバイアスがかった声が、キリスト教原理主義傾向のある米本国の世論を喚起し、政治家を動かしたのです(注8)。

 (注8)拙著「防衛庁再生宣言」(日本評論社)213頁でもちょっと触れたが、より詳しくは、同書の217頁に掲げたその典拠を参照。

 その結果が、先の大戦であり、それによって得をしたのは共産主義勢力(ソ連と中国共産党)だけで、日本はもとより、(キリスト教徒を含む)支那の民衆も英国もひどい目に遭い、しかも米国自身も大損をする、というばかげたことにあいなったのでした。

そもそも、李登輝の言っていることは、台湾の歴史に鑑みても支離滅裂です。

キリスト教徒が大統領になったり総統になったりすることに私は反対するものではありませんが、李登輝は、台湾の総統のような指導者にとって最も重要なことは神を信じることであり、深い宗教心だ、と言っていることからすれば、若かりし頃は筋金入りの共産主義者であった無神論者の経国(Chiang Ching-kuo1910?88年)は無条件に総統不適格者ということになり、キリスト教徒だったその父親の蒋介石は、総統たる必要条件(必要十分条件ではない)を充たしていた人物だ、ということになります。

しかし、蒋介石は骨の髄からのファシストであり、かつ腐敗を絵に描いたような人物であったのに対し、経国は清廉であり(注9)、かつ総統当時に台湾の民主化の端緒を切り、かつ台湾生まれで日本人として教育を受けた李登輝を自分の後継者に指名した人物でもあります(注10)。

(以上、コラム#178参照。ただし、経国については、http://en.wikipedia.org/wiki/Chiang_Ching-kuo1223日アクセス)による。)

(注9)日本降伏以降の支那での国共内戦当時に短期間上海市長を勤めた経国は、中国国民党の腐敗の根源であるところの、彼の義母である(やはりキリスト教徒の)宋美齢の実家である宋家の腐敗を暴こうとしたが、宋美齢が蒋介石に手を回してこれを拒ませた。爾後、経国と宋美齢は、生涯冷たい間柄であり続けた。

 (注10)そもそも蒋介石は、台湾(中華民国)の総統の座を、代々蒋家の人間に継がせていくことを目論んでいた。

 あの頭脳明晰なる国士、李登輝の目をこれだけ曇らせるのですから、やはり宗教は恐ろしい、と私は思うのです。

 それだけではありません。

 李登輝がキリスト教を持ち上げるたびに、台湾独立にシンパシーを有する台湾の人々・・その大部分はキリスト教徒ではない・・の反発を招き、台湾独立推進派に対する信頼性を揺るがしているに違いないのです。

 李登輝が晩節を汚したくなかったら、キリスト教に関し今後は口を閉ざすか、それができなければ一切政治から手を引くことです(注11)。

 (注11)このような李登輝が、日本人に対して武士道を説くことに対する不快感を、私はホームページの掲示板#479やコラム#182で表明してきたところだ。確かに新渡戸稲造(1862?1933年)はクリスチャンであって武士道を論じたし、たまたま新渡戸は台湾の植民地経営にも携わったことがあるが、新渡戸が(ミッション系の東京女子大学の初代学長になっていることはさておき、)李登輝のようにキリスト教の「布教」に熱心であったという事実はない。(http://www2.city.morioka.iwate.jp/14kyoiku/senjin/senjin/nitobe/1223日アクセス)等)。

(完)