太田述正コラム#10981(2019.12.13)
<丸山眞男『政治の世界 他十篇』を読む(その27)>(2020.3.4公開)

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[丸山眞男と学士助手]

1 始めに

 随分時間が経ってしまいましたが、表記シリーズに戻る運びになったところ、この際、丸山との関係で学士助手制度を取り上げておきたいと思います。

2 学士助手制度とその問題点

 (1)趣旨

 最初に、丸山や三谷太一郎が学者としての第一歩を学士助手としてスタートさせたことの問題点を記しておきたいと思います。

 (2)学士助手

 その学士助手とは次のようなものです。↓

 「東京大学法学部では、大学院とは別に、学部成績で一定の要件を満たした者から毎年10名程度を助手(現在の助教)として採用し(このため、「学士助手」と呼ばれる)、3年間の任期中に論文(「助手論文」と呼ばれる)を作成させ、研究者として養成するという制度があった。

⇒「助手論文」の評点の高い者は東大法学部に残り、それに次ぐ者は同じ東大内の教養学部や社会科学研究所等に「異動」し、その他は、他の国立諸大学に「出向」したり公立諸大学や私立諸大学に「斡旋再就職」するわけだ。(太田)

 任期中に論文を提出すれば、東京大学法学部をはじめとした大学の助教授・講師として採用されることが多い。この結果、最短で25歳で助教授となるが、これは大学院博士課程修了を最短で通過した場合に比べ2年早く、かつ実質的に終身雇用の職である助教授になることができ、また助手時代も国家公務員として所定の給与を受けられるという恵まれたポストであった(なお、修士課程修了後に同様の3年任期の助手に採用されるケースもあった)。
 大学院を経ず「学士」で助手として採用する制度は、東京大学法学部の他、京都大学法学部(京都大学法学部では「学卒助手」と呼ばれる)やその他の旧帝国大学法学部、一橋大学法学部、中央大学法学部等でも、若干の例がある。しかし、研究者養成の主要なルートとして学卒の助手を制度化していたのは東京大学法学部のみである(なお、旧制大学時代においては、今日のような大学院システムは整備されておらず、法律学に限らず他の学問分野でも、学士から直接助手や副手などに採用するケースは珍しくなかった。)。
 東大法学部生は元来官僚志向が強いうえ、他にも法曹や民間企業など、有力な進路が多数存在する中で、実務志向の強い法学・政治学の分野で学究を目指すものは必ずしも多くない。そうした中、優秀な学生に対してそれらと遜色の無いアカデミックキャリアを提示することで、研究者の卵を確保したいという事情が、この制度が長きに渡って継続した背景にある。
 この結果、かつては東京大学法学部教官の最終学位はそのほとんどが「東京大学法学士」であり(教員には他大学の出身者すら稀であった)、博士号を持つ者は、教員となってから論文博士号を取得した少数の者のみという特異な様相を呈していた。
 しかし、助手の3年間に研究者として十分な基礎鍛錬を積めないのではないかという意見や、国際的にも異例な博士号を軽視する慣行への疑問も存在した。
 法科大学院制度が導入された2005年以降は、東京大学大学院法学政治学研究科では「学士助手」制度を廃止し、法科大学院又は大学院修士課程修了者から「助教」を採用する制度が導入された。この助教は、3年間の任期中に助教論文を書き上げこれを提出することで大学の准教授ないし講師のポストに就くことができる(「助教論文報告会」が毎年執り行われている)ものであった。
 その後、旧司法試験が終了し、新司法試験に一本化されて司法試験予備試験が導入された後、「学部在学中に予備試験と司法試験の双方に合格した」者に限り、「学士の学位の保有のみであっても東京大学大学院法学政治学研究科の助教に採用する」という、かつての学士助手に類似した制度が導入されている。例えば、2017年4月に採用予定の助教の募集要項では、「志願者は事前に将来専攻しようとする科目の担当教員に面接して指示を受けること」を求められ、選考方法は「面接、成績、健康診断」によると定められている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E5%A3%AB%E5%8A%A9%E6%89%8B

 結局、東大法学部の教授の全部またはその大宗が、欧米の諸大学では存在しないところの、学士助手制度ないしそれに「類似した」制度(以下、「学士助手等」制度という)の出身者で占められる状況が現在まで一貫して続いている、ということになります。

 (3)その問題点

 学士助手制度等の問題点は、学業成績のみで将来の東大法学部教授が選ばれることです。
 毎年10名前後が選ばれ、その中で助手論文の出来がいい者が選ばれるし、出来がいい者がいなければ誰も選ばれないことだってありうるのだから、学業成績のみではないではないか、と思われるかもしれませんが、法学も政治学も専攻分野は細かく分かれていますから、実質的競争はなきに等しく、当該分野の先輩教授のお眼鏡にかなうかどうかが肝であって、そういった要素が基本的に排除されるところの、(他大学で授与されたものを含む修士号を原則持ち、しかも他大学のものを含む原則博士課程在籍者を対象にした)博士論文の審査を経ての博士号という形での研究者資格の付与、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%9A%E5%A3%AB
とは全く異なります。
 ですから、結局のところ、学業成績のみで将来の東大法学部教授が選ばれる、と言ってよいのです。
 しかし、恐らく想像はつくと思うのですが、ある者の学業成績の良しあしと研究者としての良しあしとは違います。
 第一に、東大法学部の場合、分かり易い政治学の例で言えば、政治学関係の教科だけでなく、法学関係の教科もよくできなければ総合成績がよくならず、学士助手等に選ばれないわけですが、私が前から申し上げているように、法学中の必修教科である民法・・政治学には殆ど無関係・・は理科系の「学問」であることから、理科系の能力も問われ、政治学分野が抜群にできたとしても学士助手等にはなれない結果、最適格者が排除される虞があることです。
 第二に、教科の試験の答案として書く文章は、短いことや典拠等を付ける必要がないこと等から、論文とは到底言えないところ、東大法学部には卒業論文もありませんから、論文を一本も書いたことがなく、当然のことながら、論文執筆の指導を受けたこともない者が、東大法学部で教授として論文執筆を(教育と並ぶ)生業とすることになりうることです。
 第三に、一番致命的なのは、学業成績は、研究者には不可欠であるところの、創造性、の指標たりえないことです。
 創造性の最も重要な要素は新しい問題を発見する能力ですが、そんなものが教科の試験で問われることなどありえないのですから、学士助手等に選ばれた者が研究者としての適性がある保証など全くないというのに、そんな者が東大法学部の教授になりうることです。

(続く)