太田述正コラム#1027(2006.1.2)
<キリスト教と私(その6)>
(7)所見
スタークの言っていることに対しては、キリスト教を欧米の興隆の原因とする説について既に行った批判と同じ批判が当てはまります。
ただしスタークの新著について、NYタイムスがキリスト教関係の一連の本の書評の中で取り上げた上で、更にこの本だけを対象に書評を掲載したことにかんがみ、かつまた、スタークの言っていることのうち、西欧の中世において、修道所(修道会)が様々な革新的取り組みを行ったことを具体的に記述している部分は面白いと思って、少し詳しくご紹介させていただきました。
さて、これらの説について、私なりの総括をしましょう。
ヴェーバーが、プロテスタントが資本主義をもたらしたと考えた理由は、前に(コラム#990で)述べたように、後進国ドイツの先進国英国(及び米国)に対するコンプレックスのせいだ、というのが私の考えです。
ヴェーバーの生きた時代、アングロサクソン諸国(英国及び米国)は引き続き資本主義先進国であったのに対し、後発資本主義国であったドイツはアングロサクソン諸国に必至になって追いつこうとしていました。
ヴェーバーの思考過程は次のようなものであったと推察されます。
「英国等のアングロサクソン諸国とドイツ(やオランダ)はいずれもプロテスタントが多数を占める国だ。その英国・ドイツ・オランダで資本主義化が始まったのは16世紀だった。16世紀というのは、宗教改革がドイツで起こり、欧州諸国と英国に大きなインパクトを与えた世紀だ。よって、資本主義は宗教改革がもたらしたに違いない。そうだとすると、ドイツは世界の資本主義化(=近代化)のさきがけであり、現在もなお、アングロサクソン諸国と並んで世界の資本主義をリードする存在である以上、アングロサクソン諸国にコンプレックスを抱く必要はない。」
このヴェーバーの説に対し、カトリック教徒が多数を占めるベルギやフランスで、ピレンヌやブローデルが反発したのは当然です。イタリアの著名な歴史家であるファンファーニ(Amintore Fanfani。1908?99年)もピレンヌやブローデルと同趣旨のヴェーバー批判を行っています。
というのも、16世紀にドイツやオランダで起こったような資本主義化であれば、宗教改革が始まる少なくとも100年以上前には既に北イタリアの都市国家群で始まっていたからです。
もっとも彼らは、カトリシズムが資本主義をもたらした、とまでは言いませんでした。
彼らは、ベルギー・フランス・イタリア等カトリック圏の欧州諸国が、ドイツ・オランダ等プロテスタント圏の欧州諸国よりも資本主義化(=近代化)において遅れをとっているだけでなく、このドイツ・オランダ等でさえ、アングロサクソン諸国より遅れをとっていることを自覚していたからでしょう。
私が思うに、ピレンヌ・ブローデル・ファンファーニらは、意識するとしないとにかかわらず、ヴェーバーが密かに企図したところのドイツ(とオランダ等)の欧州からの足抜けを許さず、ドイツに対し、ベルギー・フランス・イタリアと同様、等しく(アングロサクソン諸国と比較して)後進国たる自覚を持て、と呼びかけたことになるのではないでしょうか(注10)。
(以上、事実についてはhttp://www.ecs.gatech.edu/support/sandra/paper.html(1月2日アクセス)による。)
(注10)これら欧州カトリック圏の学者による、ヴェーバー説の史実の誤りを指摘した批判に対し、ヴェーバー説を内在的に批判したのはアングロサクソン圏の学者だ。英国出身の南アのロバートソン(H. M. Robertson)は、1933年に、ヴェーバーがプロテスタント固有のものとして提示した「召命(calling=天職)」観念は、16?17世紀のカトリシズムたるジャンセニズムやイエズス会においても見出せると指摘し、マッキノン(Malcolm H. MacKinnon)は1989年に、ヴェーバーはカルヴィニズムにおける「召命」観念を誤解しており、この観念は、世俗的活動とは関わりを持たない、と指摘した。また、英国のトーニー(Richard Henry Tawney)は、1926年の著書、Religion and the Rise of Capitalism(宗教と資本主義の興隆。岩波文庫から邦訳が出ている)の中で、ヴェーバーが言うようにプロテスタンティズムの倫理が資本主義の精神をもたらしたのではなく、商業や金融の盛んな欧州の地域においてリスクをとって利潤を追求するという資本主義的精神が生まれ、それをプロテスタンティズムが倫理として採用した、と指摘した。更に、カナダ出身の米国のヴァイナー(Jacob Viner)は、1978年に、カルヴィニズムが国家宗教となったスコットランドでは、18世紀になるまで、そのせいで経済発展が妨げられた、と指摘した。
それでは、現在の米国におけるスタークによる、キリスト教資本主義原因説のむしかえしを、われわれはどのように解釈すればよいのでしょうか。
(続く)