太田述正コラム#1032(2006.1.5)
<キリスト教と私・・拾遺集(その2)>
4 キリスト教世俗化の必要性と困難性
(1)世俗化の必要性
グレゴリー・ポール(Gregory Paul)という研究者は、米学会誌のJournal of Religion and Societyに掲載された論文で、以下のような指摘をしています。
唯一神を信じる程度が高ければ高い人が多い社会ほど、殺人率・若年死亡率・性病罹患率・10代妊娠率・妊娠中絶率が高まる。
米国は、先進国中、最も唯一神を信じる程度が高い人が多く、これがあてはまる。
米国内でも、唯一神を信じる程度が高く、反進化論的である人が多い南部及び中西部について、(そうではない東北部と比較して、)これがあてはまる。
英国のコラムニストのモンビオット(George Monbiot)は、上記論文を引用し、更に、(米国ではブッシュ政権の肝いりで性的禁欲キャンペーンが行われているところ、)米国は、10代妊娠率が先進国中、インド・フィリピン・ルワンダの率より高い唯一の国だし、また米国は先進国中最も所得分配が不平等な国でもあるが、これらは米国が、先進国中、最も唯一神を信じる程度が高い人が多いことと関係していると思われる、と指摘しています。
その上でモンビオットは、「もし神が存在しないのなら、何をやっても許されることになってしまう」と言ったドストエフスキーや、「社会が世俗化すると中絶率が高まる」と言ったヨハネ・パウロ2世や、「己のエゴと己の欲望を最高の目標とするところの、相対主義の専制に向かってわれわれは進んでいる」と言った現法王はみんな間違っている、と述べています。
(以上、http://www.guardian.co.uk/Columnists/Column/0,5673,1589406,00.html(10月11日アクセス)による。)
唯一神を信じる程度を低める、すなわち世俗化する必要がどうしてあるのか、良くお分かりいただけましたでしょうか。
(2)世俗化の困難性
にもかかわらず、どうして米国では世俗化が進展しないのでしょうか。
以前(コラム#1024で)、私の「赤ちゃん独り寝」仮説を提示したところですが、教会に通うことにメリットがあるからだ、という説が米MITの経済学者であるグルーバー(Jonathan Gruber)によって唱えられています。
グルーバーによれば、教会出席率が2対1の二つの世帯を比較すると、前者は後者の所得より9.1%多く、扶助受け取り率(welfare participation)は16%少なく、離婚率は4%低く、有配偶者率は4,4%高い、というのです。
彼は、そうなると考えられる理由を四つ挙げています。
第一は、教会出席率が高い世帯ほどコネを増やせるのではないかということです。(そもそも、米国では、同じ宗派の人は同じ地区に固まって住んでいる、ということが知られている。)
第二は、教会出席率が高い世帯ほど、その宗派の学校・・おおむね良い学校・・に子供を通わせ、そこでもコネを増やせるのではないかということです。
第三は、教会出席率が高い世帯ほど、その世帯員の日常的問題でストレスを感じる度合いが小さくなる結果、労働や結婚の市場において、成功しやすくなるのではないかということです。
第四は、教会出席率が高い世帯ほど、困ったときに同じ宗派の信徒から有形無形の支援が得られるので、立ち直りが早いのではないかということです。(別の研究によれば、教会出席率が高い白人世帯では、同じ所得の教会に出席しない白人世帯と比べて、所得が10%を減った時の食費と衣料費の落ち込み度合いが35%少ない。)
(以上、http://www.csmonitor.com/2005/1114/p15s02-cogn.html(11月14日アクセス)による。)
以上は、米国以外の国や、一神教以外の宗教を信じる人が多数を占める社会にもあてはまるのかどうか、比較研究したものがないので、確たることは言えませんが、どうも米国だけにあてはまることのようですね。
(続く)