太田述正コラム#1036(2006.1.9)
<「アーロン収容所」再読(その2)>
2 「アーロン収容所」の評判
最初に、伴氏の論考(前掲)から引用しよう(注3)。
(注3)長々と引用したのは、「アーロン収容所」を読んでおられない読者に、この本に具体的にどんなことが書かれているかをご理解いただくためだ。(この本の頁が示されていない場合は、私が挿入した。)なお、読んでおられない方にこの本を読まれることをお勧めする。現在は中公文庫から出ている。会田の意見にわたる部分はともかく、事実についての記述は示唆に富んでいるからだ。
『アーロン収容所』<は>会田雄次・・がそのむかし学徒動員でビルマ戦線に投入され、戦後ラングーン(現ヤンゴン)のアーロン収容所に収容された時の経験を書いたものである。
この本はまだ中公新書で87版を重ねている名著である。
会田雄次氏はアーロン収容所での屈辱的な体験として「女兵舎の掃除」でイギリス人のアジア蔑視の実態を憤慨しながら書いている。当時の西洋人はアジアの人々を「人間」として扱っていなかった(56?61頁)。南アフリカでの体験からさもありなんと考えた。
人権だとか民主主義だとかは西洋での約束事でアジアやアフリカではまるで関係ない事柄なのだということを改めて知らされたのである。
『アーロン収容所』を読んでいない人にために「女兵舎の掃除」のくだりを転載してみたい。
「英兵兵舎の掃除というのはいちばんイヤな作業である。もっとも烈しい屈辱感をあたえられるのは、こういう作業のときだからである。………その日は英軍の女兵舎の掃除であった。看護婦だとかPX関係の女兵士のいるカマボコ兵舎は、別に垣をめぐらせた一棟をしめている。ひどく程度の悪い女たちが揃っているので、ここの仕事は鬼門中の鬼門なのだが、割当だから何とも仕方がない」
「まずバケツと雑巾、ホウキ、チリトリなど一式を両手にぶらさげ女兵舎に入る。私たちが英軍兵舎に入るときは、たとえ便所であろうとノックの必要はない。これが第一いけない。私たちは英軍兵舎の掃除にノックの必要なしといわれたときはどういうことかわからず、日本兵はそこまで信頼されているのかとうぬぼれた」
「その日、私は部屋に入り掃除をしようとしておどろいた。一人の女が全裸で鏡の前に立って髪をすいていたからである。ドアの音にうしろをふりむいたが、日本兵であることを知るとそのまま何事もなかったようにまた髪をくしけずりはじめた。部屋には二、三の女がいて、寝台に横になりながら『ライフ』か何かを読んでいる。なんの変化もおこらない、私はそのまま部屋を掃除し、床をふいた。裸の女は髪をすき終わると下着をつけ、そのまま寝台に横になってタバコを吸いはじめた」
「入ってきたのがもし白人だったら、女たちはかなきり声をあげ大変な騒ぎになったことと思われる。しかし日本人だったので、彼女たちはまったくその存在を無視していたのである」
「このような経験は私だけではなかった。すこし前のこと、六中隊のN兵長の経験である。本職は建具屋で、ちょっとした修繕ならなんでもやってのけるその腕前は便利この上ない存在だった。………。気の毒に、この律義な、こわれたものがあると気になってしょうがない。この職人談は、頼まれたものはもちろん、頼まれないでも勝手に直さないと気がすまないのである。相手によって適当にサボるという芸当は、かれの性分に合わないのだ」
「ところがある日、このN兵長がカンカンに怒って帰ってきた。洗濯していたら、女が自分のズロースをぬいで、これも洗えといってきたのだそうだ」
「ハダカできやがって、ポイとほって行きよるのや」
「ハダカって、まっぱだか。うまいことやりよったな」
「タオルか何かまいてよってがまる見えや。けど、そんなことはどうでもよい。犬にわたすみたいにムッとだまってほりこみやがって、しかもズロースや」
「そいで洗うたのか」
「洗ったるもんか。はしでつまんで水につけて、そのまま干しといたわ。阿呆があとでタバコくれよった」
N兵長には下着を洗わせることなどどうでもよかった。問題はその態度だった。「彼女たちからすれば、植民地人や有色人はあきらかに人間ではなかったのである。それは家畜にひとしいものだから、それに対し人間に対するような間隔を持つ必要なないのだ、そうとしか思えない」
(以上、36?41頁)
萩原周二さんという私と同世代のブロッガーは、次のように言っておられます(http://shomon.net/books/books1.htm。1月8日アクセス)。
イギリス人にとっての日本人なんて、同じ人間ではないのです。ロシアの防波堤に利用して、それで終わりにしたいだけの存在だったのでしょう。同じ人間、同じ文明人だと日本人を思っていたとは、到底思えません。・・<ここで、上記女兵舎でのエピソードへの言及がなされた後、>彼女たちイギリス人にとっては、捕虜の日本兵は。ただの家畜でしかないのです。
だが、さらにこのことは、日本兵ばかりではなく、イギリス軍と一緒に戦ったインド兵についても、イギリス人は同じ戦友としてではなく、日本兵と同じ家畜くらいにしか考えていなかったのだと思います。これがイギリス人のアジアに対する考えでした。それを著者は如実に感じとっていきます。民主主義だろうが、ヒューマニズムだろうが、自由だろうが、それは要するに白人だけが甘受すべきものであり、アジア人やアフリカ人は、白人のための家畜同様の存在なのです。そうした存在の内の日本人がイギリス人等々の白人に刃を向けたのですから、イギリス人は不快そのものだったのでしょう。
また、著者が強く感じたこととして、これまた有名なエピソードとして知られているわけですが、イギリス軍の中の階級差別です。将校と兵隊とは、階級が違っている、すなわち、将校はみな貴族で、兵隊は庶民なわけですが、それが日本軍と大きく違う点は、同じイギリス人でありながら、教養だけではなく、体格から全然違うという点です(102?110頁)。
「英国情報」というサイトを立ち上げておられる水谷さんは、次のように言っておられます(http://www5b.biglobe.ne.jp/~mizutani/ub-01.htm。1月8日アクセス)。
英国を知る為に絶対第一に読むべき本、それが本書、会田雄次『アーロン収容所』である。・・<そして、やはり上記兵舎でのエピソードへの言及がなされた後、>その他にも、日本人捕虜の衛兵を全く気にすることなく、男女の交わりを遠慮なく見せる英軍下士官の例も挙げられている(74?75頁)。英国(そして他の西欧諸国)の植民地経営が、それなりに実効的であったのは、原住民を全く人間扱いしなかったという点に負うところが大きいと私は考えている。・・英国に行ってみたいと思う人は、須く先ず本書を読んでから行くべきである。
最後にもう一カ所だけ引用して本稿を終えたい。「イギリス人を全部この地上から消してしまったら、世界中がどんなにすっきりするだろう」(75頁)
【評価】最高。絶対に読むべき。
ジャパンタイムスに昨年8月末に掲載されたコラム(http://search.japantimes.co.jp/print/opinion/eo2005/eo20050829hs.htm。1月8日アクセス)でニューヨーク在住の翻訳家でエッセイストのHiroaki Sato 氏は次のように言っておられます。(私が翻訳した)
会田を、1年半にわたる二箇所での収容所生活において怒りと絶望に追い込んだものは、何ヶ月も深刻であった食糧不足(26?27、76頁)ではなかった。その一部がつらく屈辱的なものであったところの過酷な労働(31?37、50頁)でもなかった。悪名高い日本軍による、理由もなく行われる平手打ちや殴打といった物理的暴力に英軍が訴えるようなことはほとんどなかった。もっとも、英軍は日本兵に四つんばいになることを命じたりその顔めがけて小便をしたり(63頁)、といった数々のことに秘密裏にふけりはした。
「西欧ヒューマニズム」の学徒である会田をして、万々が一、ふたたび英国と戦うことがあったら、「女でも子どもでも、赤ん坊でも、哀願しようが、泣こうが、一寸きざみ五分きざみ切りきざんでやる」(52頁)という幻想を抱かせたゆえんのものは、英軍兵士・士官・男・女が東洋人を完全に「人間以下」とみなしていたことを完膚無きまでに自覚させられたからだ。例えば、食事の質への不満を彼らにぶつけると、いつも「<日本軍に支給している米は、当ビルマにおいて、>家畜飼料として使用し、なんら害なきものである」という返答が戻ってくる(62、76頁)。この態度は全てのアジア人・・グルカ兵だろうが(この典拠は?(太田))、インド兵だろうが(117、149頁)、ビルマ人だろうが(164~165、218頁)、日本人だろうが・・に対してとられていたのだ。
(続く)