太田述正コラム#11035(2020.1.9)
<丸山眞男『福沢諭吉の哲学 他六篇』を読む(その20)>(2020.3.31公開)
「ヨーロッパに於て精神と自然が一は内的なる主観として一は外的なる客観として対立したのはまぎれもなくルネッサンス以後の最も重大な意識の革命であった。
⇒またぞろ、丸山は、諭吉の論述と無関係な蘊蓄の披露に戻っていますが、一応、お付き合いをしておきましょう。(太田)
古代に於ても中世に於ても夫々(それぞれ)異なった形態に於てではあるが、<精神と自然の>両者は相互に移入し合った。
⇒私がかねてから指摘しているように、古典ギリシャと古代ローマは、プロト欧州文明/欧州文明、にとっての古代ではありませんし、欧州は(中世ならぬ前近代の)プロト欧州文明から(近現代の)欧州文明へと変貌を遂げたけれどイギリスはアングロサクソン文明一本で来ているので、イギリスには欧州におけるような時代区分はあてはまらないというか、そもそも、イギリス史はそのような時代区分にはなじまないわけです。(太田)
ここで基底となっていたのは、アリストテレスの質料–形相<(注24)>の階層的論理であった。
(注24)「アリストテレスは、あるものにそのものの持つ性質を与える形相(エイドス)は、そのもののマテリアルな素材である質料(ヒュレー)と分離不可能で内在的なものであると考えた。・・・
<形相>が<質料>と結びついて現実化した個物をアリストテレスは現実態(エネルゲイヤ)と呼び、現実態を生み出す潜在的な可能性を可能態(デュナミス)と呼んだ。今ある現実態は、未来の現実態をうみだす可能態となっている。このように、万物はたがいの他の可能態となり、手段となりながら、ひとつのまとまった秩序をつくる。アリストテレスはまた、「魂とは可能的に生命をもつ自然物体(肉体)の形相であらねばならぬ」と語る。ここで肉体は質料にあたり、魂は形相にあたる。・・・質料そのもの(第一質料)はなにものでもありうる(純粋可能態)。これに対し形相そのもの(第一形相)はまさにあるもの(純粋現実態)である。この不動の動者(「最高善」・・・)においてのみ、生成は停止する。
すなわち、万物はたがいの他の可能態となり、手段となるが、その究極に、けっして他のものの手段となることはない、目的そのものとしての「最高善」がある。この最高善を見いだすことこそ人生の最高の価値である、としたのである。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%A2%E7%9B%B8
⇒こんなものは何の価値もない妄想だと考えればいいのです。
私に言わせれば、同じ二元論でも、支那に生まれたところの、陰陽論・・「原初は混沌(カオス)の状態であると考え、この混沌の中から光に満ちた明るい澄んだ気、すなわち陽の気が上昇して天となり、重く濁った暗黒の気、すなわち陰の気が下降して地となった。この二気の働きによって万物の事象を理解し、また将来までも予測しようという<思想>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B0%E9%99%BD
・・の方が、はるかにもっともらしさがあります。(太田)
そうして、それは同時に、スコラ哲学に於て社会的秩序の位階制を基礎づける論理でもあったのである。
⇒「注24」からも想像できるように、アリストテレスの「最高善」を「神」と言い換えたものが、(恐ろしく単純化して言えば、)スコラ哲学であるところ、アリストテレスは、自身の責任ではないとはいえ、欧州においてキリスト教という妄想の「体系化」に活用されたわけであり、罪作りなことをしたものです。(太田)
近世の自然観は、このアリストテレス的価値序列を打破して、自然からあらゆる内在的価値を奪い、之を純粋な機械的自然として–従って量的な、「記号」に還元しうる関係として–把握することによって完成した。
⇒イギリスには前近代も近代もなく、従って、前近代から近代への過渡期であるところの「近世」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E4%B8%96
もなかった、とも申し上げておきましょう。(太田)
しかも価値的なものが客体的な自然から排除される過程は同時に之を主体的精神が独占的に吸収する過程でもあった。
自然を精神から完全に疎外しこれに外部的客観性を承認することが同時に、精神が社会的位階への内在から脱出して主体的な独立性を自覚する契機となったのである。
ニュートン力学に結晶した近代自然科学のめざましい勃興は、デカルト以後の強烈な主体的理性の覚醒によって裏うちされていたのである。・・・
近代理性の行動的性格を端的に表現するのが、いわゆる実験精神である。
近代的な「窮理」を中世的なそれから分つものはまさにこの実験である。」(54~55)
⇒丸山は、欧州→イギリス、的なことを書いているけれど、「実験精神」を含め、近代科学は、イギリス→欧州、という流れなのである、と改めて申し上げておきます。
科学方法論としての実験の世界初の提唱者は、バスラ出身のイブン・ハイサム(Ibn al-Haitham。965~1040年)です
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%B5%E3%83%A0
が、彼の影響を受けつつ、それをイギリスにおいて定着させる契機となったのがロジャー・ベーコン(Roger Bacon。1214~1294年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%B3 (及び上掲)
でしたし、それを科学方法論として確立させたのは、同じくイギリスのフランシス・ベーコン(Francis Bacon。1561~1626年)だった
https://en.wikipedia.org/wiki/Experiment
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%B3_(%E5%93%B2%E5%AD%A6%E8%80%85)
、からです。
欧州の啓蒙哲学者(=アングロサクソン文明継受提唱者)のヴォルテールは、この、イギリスの「ベーコン<を、>・・・経験哲学の祖・・・として<いる>」(上掲)ところです。(太田)
(続く)