太田述正コラム#1045(2006.1.14)
<「アーロン収容所」再読(その10)>
(3)英国人に頭の上がらぬ米国人
英国防省の大学校での、英国人の前に出るとかしこまっていた米国人達の姿を思い出させたのが、Aylwin-Foster英軍准将が執筆した、イラクでの米軍の不穏分子対処方法を厳しく批判した米陸軍の雑誌Military Review掲載論考です。
この准将は、昨年までイラク軍の教育訓練に携わっており、現在在ボスニア欧州平和維持軍(Eufor)副司令官をしています。
この論考の要点は次のとおりです。
米軍の「やればできる」的発想("can-do" approach)が、逆説的に「危うい楽観主義」("damaging optimism")を生んでいる。米兵は、対不穏分子作戦術や地域住民の「心と考え」を惹き付ける必要性について十分教育訓練を受けていない。
米軍の将校達は、英軍等が軍事力の行使に消極的すぎると批判するが、米軍の戦略は、「全てのテロリストと不穏分子を殺害するか捕らえる」ことであり、このように敵の殲滅を戦略的目標にしていることから、米軍は、迅速にして強力な在来型戦闘を絶対視するきらいがある。
こんな単純なやり方は、非生産的であって、多くの住民の反発を生んで米軍の任務遂行を困難なものにしてしまう。
米軍は、目的さえ正しければ、たとえ失敗が生じたり一般市民に死傷者が出たとしても、一般市民の理解は得られると思っているが、それは間違いであり、不穏分子の思うつぼだ。
2004年の春にファルージャで4人の米国籍の軍事会社社員が殺害された時の米軍の反応は、まさに「道徳的正義感」に突き動かされたものであり、敵の全面的殲滅という不釣り合いに大きな反撃に乗り出してしまった。ファルージャの限られた場所にめがけて、一晩で40発以上の155ミリ砲弾を発射するなどということは、全く愚かなことだった。
この論考は、英軍将校のコンセンサスを代弁したものであると言ってもいいようです。
この論考に対する米軍の将官や将校達の反応は、先生の叱責にぶつぶつ言いながらも頭を垂れる、といった感じであり、英国防省の大学校での米国人達の姿を思い起こさせました。
(以上、http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,1684561,00.html、及びhttp://www.csmonitor.com/2006/0112/dailyUpdate.html(どちらも1月13日アクセス)による。)
過去の帝国統治や北アイルランド紛争対処を通じて培われた英軍の低強度紛争への対処に係る識見と能力に対しては、世界最強の米軍と言えども、敬意を表せざるをえないのです。
(4)アパルトヘイトとアングロサクソン
萬晩報の伴氏の目には、「アーロン収容所」に見られるような、被支配者と交わろうとしない英軍の姿と、英国の植民地であった南アのアパルトヘイトとが二重写しに見えたようですが、それはとんだ誤解です。
確かに、南アでのボーア戦争の時には、英国は強制収容所をつくって、ボーア人達をそこに押し込め、ボーア人戦闘員達とその他のボーア人達を切り離すことによって、戦争を勝利に導いた(コラム#310、880)のですが、これはあくまでも有事における措置であり、南アが独立してから成立した、平時の黒人隔離政策であるアパルトヘイトとは何の関係もありません。
アパルトヘイトはボーア人が推進したのであり、ボーア人の母国オランダ
が所属するところの欧州文明の所産であって、南アのアングロサクソンは、アパルトヘイトに非暴力による反対運動を続け、最終的に国際社会の科した経済制裁、黒人の行った武力闘争とあいまってアパルトヘイト解消がもたらされたのです。
(以上、http://news.ft.com/cms/s/7540679e-833a-11da-9017-0000779e2340.html(1月14日アクセス)による。)