太田述正コラム#11041(2020.1.12)
<丸山眞男『福沢諭吉の哲学 他六篇』を読む(その23)>(2020.4.3公開)
「『<文明論之≫概略』はこうした書出しで始まっている。
「軽重、長短、善悪、是非等の字は、相対したる考より生じたるものなり。軽あらざれば重ある可らず、善あらざれば悪ある可らず。故に軽とは重よりも軽し、善とは悪よりも善しと云ふことにて、此と彼と相対せざれば軽重善悪を論ず可らず。斯(かく)の如く相対して重と定(さだま)り善と定りたるものを議論の本位と名(なづ)く」・・・
まずこのテーゼの意味するところを最も広く解するならば価値判断の相対性の主張ということに帰するであろう。
福沢によれば事物の善悪とか真偽とか美醜とか軽重とかいう価値判断はそれ自体孤立して絶対的に下しうるものではなく、必ずや他の物との関連において比較的にのみ決定される。
我々の前に具体的に与えられているのは、決して究極的な真理や絶対的な善ではなく、ヨリ善きものとヨリ悪しきものとの間、ヨリ重要なるものと、ヨリ重要ならざるものとの間、ヨリ是なるものとヨリ非なるものとの間の選択であり、我々の行為はそうした不断の比較考量の上に成立っている。
従ってまた、そうした価値は何か事物に内在する固定的な性質として考えらるべきではなく、むしろ、事物の置かれた具体的環境に応じ、それがもたらす実践的な効果との関連においてはじめて確定されねばならぬ。
具体的状況を離れて抽象的に善悪是非をあげつらっても、その議論は概ね空転して無意味である。・・・」(70~71)
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[万邦無比の万世一系の天皇制?]
「約300年も前に、新井白石が「万世一系の天皇制は日本の伝統と文化」なる日本史観の根幹の一つを形成した、水戸史学の『大日本史』を「夢中に夢を説き候ようのことに候。」・・・と指摘してい<ます。>・・・
<そもそも、>『日本書紀』神功皇后紀<に>「耶馬一国」の都城・首都が北九州であることを示す記事<があり、>・・・「倭国ヤマト朝廷論」のみならず、「万世一系の天皇制論」<は>根本から崩壊するのです。
それはまた同時に、・・・「邪馬台国・九州説=東遷論」も、『日本書紀』『古事記』のみならず、古代中国・朝鮮王朝の各正史の対日交流記からも、共に約1300年以上前に否定されていること<にな>るのです。・・・
以上の・・・日本古代史論は、実は、これを掲げる支配者の支配の絶対的正当化をはかる思想・理論なのです。
しかしこれがたとえ支配的ではあれ、一個の学説としてあつかわれ、これに対して批判の自由があればまだしもです。
近代日本は、この歴史学的体裁の理念を戦前・戦後ともに、憲法(第一条)に規定しています。
つまりこれは、憲法規定以外の「日本史観」は、憲法の名において認めないという途方もない規定です。」
https://books.google.co.jp/books?id=D2GSCwAAQBAJ&pg=PT44&lpg=PT44&dq=%E4%B8%87%E9%82%A6%E7%84%A1%E6%AF%94&source=bl&ots=zoWLkBDRTi&sig=ACfU3U1TjMUtKHg6x_9fS92ZphEuXcUucw&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwjw1rOotP3mAhUu7GEKHYQFDrA4FBDoATAFegQIChAB#v=onepage&q=%E4%B8%87%E9%82%A6%E7%84%A1%E6%AF%94&f=false
(草野善彦(注25)『「邪馬台国」は北九州と『日本書紀』に–なのに、なぜ論争なのか–』より)
(注25)「1933年生まれ。武蔵野美術学校(大学)卒」
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784780712414
草野の素性が必ずしも定かではなく、また、上掲の引用文中の草野の諸指摘の典拠群に直接あたったわけでもないが、興味ある諸指摘ではあると思う。
なお、私は、「「日本」という国号の表記が定着した時期は、7世紀後半から8世紀初頭までの間と考えられる」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC
ところ、それ以降においては「万世一系の天皇制<が>日本の伝統と文化」の一つである、と、一応言えるのではないか、という認識であり、草野の諸指摘については、それまでの時代の話でしょ、だからどうしたの、という感想だ。
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⇒『文明論之概略』の冒頭部分、及び、同書文中の「日本の天皇制も、それ自体が優れているわけではなく、それを生かすも殺すも運用次第である、換言すれば、それがいかなる機能を果たしているか次第である」との趣旨であると私が受け止めた(前出)箇所、並びに、すぐ上の囲み記事、を踏まえて、またぞろ、先回りして申し上げれば、諭吉にとって、天皇制をその重要な属性とする日本の国体を守り、宣揚するにあたっての心構えを説くのが『文明論之概略』のテーマであったのではないでしょうか。(太田)
(続く)