太田述正コラム#11051(2020.1.17)
<丸山眞男『福沢諭吉の哲学 他六篇』を読む(その28)>(2020.4.8公開)
「<福沢からすれば、>公式主義と機会主義とは一見相反するごとくにして、実は同じ「惑溺」の異った表現様式にほかならない。
かくして、福沢をして「無理無則」の機会主義を斥けさせた精神態度が同時に、彼を、抽象的公式主義への挑戦に駆りたてるのである。
それがなにより儒教思想に対して向けられたことは、それが善悪正邪の絶対的固定的対立観に基いて、「一片の徳義以て人間万事を支配し」「古の道を以て今世の人事を処し」「臆断を以て先ず物の倫を説き」「天下の議論を画一ならしめんとする」等典型的に価値判断の絶対主義を代表していることから見て当然であった。
しかし彼は一見近代的立場に立つかに見える文明開化論者や民権論者においても、こうした「惑溺」が形を変えて現われているのを看逃さなかった。
⇒そもそも、ここで列挙されているところの、「」内の諸命題と儒教思想との関係が今一つよく分からないのですが、いずれにせよ、諭吉の「惑溺」に儒教批判の含意はないのではないでしょうか。
というのも、『伝習録』(前出)の中に、「物を弄びて志を失うというは、尚お猶おもって不可となす」<(ママ(太田))>というくだりが出て来るところ、諭吉は、このことを「惑溺」と言い換えているようだ、
http://magamin1029.blog.jp/archives/65273379.html
とする見解・・どうでもいいが、筆者はなかなか面白そうな人物だ・・
http://magamin1029.blog.jp/archives/cat_248934.html
に私も同意だから、というか、それが、『伝習録』のこのくだりのソースであると思われるところの、『書経』に出て来る「玩物喪志」(注30)、の言い換えであると私は思うから、です。
(注30)「「書経」旅獒 (りょごう) の「人を玩 (もてあそ) べば徳を喪 (うしな) い、物を玩べば志を喪う」から》・・・無用なものを過度に愛玩して、本来の志を見失ってしまう意で、枝葉末節なことにこだわり、真に学ぶべきことや学問の本質を見失うこと。また、自分の好みで、珍しいものなどを過度に愛好して正しい心を失うこと。」
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E7%8E%A9%E7%89%A9%E5%96%AA%E5%BF%97/
ことほどさように、諭吉の物の思考方法に、彼が自家薬籠中のものとした儒教の粋みたいなものが牢固たる影響を与えているのであって、何度も同じようなことを言って恐縮ながら、ここでも、丸山の、自己の思い込みへの「惑溺」に、ただただ呆れるばかりです。(太田)
彼<は>維新直後の「開化先生」のヨーロッパ心酔のなかに、保守主義者と同じ様なパースペクティヴの凝固性を読み取った<し、>・・・十年代における民権論者に対<しても>・・・批判<を投げかけている。>・・・
福沢は単に価値判断の絶対化という問題にとどまらず凡そ一定の実践的目的に仕えるべき事物や制度が、漸次伝統によって、本来の目的から離れて絶対化せられるところ、つまり手段の自己目的化傾向のうちに広く惑溺現象を見出した。・・・
とくに固定した社会関係の下で惑溺が集中的に表現せられるのは、政治的権威である。
ここでは本来「人民の便利」と国体の保持・・・のために存在すべき政府が容易に自己目的となって強大な権力を用い、種々の非合理的な「虚威」によって人民を圧伏させる。
例えば「位階服飾文言言語悉皆上下の定式を設」けて「君主と人民との間を異類のものゝ如く為して、強ひて其区別を作為し」、或いは神政政治の様に、無稽の神話によって君主に超自然的権威を賦与し(ウェーバーの所謂カリスマ的支配!)、更に、「世の事物は唯旧きを以て価を生ずるものに非ざる」のに政府や王朝の「長きを誇り、其連綿たること愈(いよいよ)久しければ之を貴ぶことも亦愈甚しく、其状恰も好事家が古物を悦ぶが如」き(ウェーバーの伝統的支配!)、いずれも虚威への惑溺にほかならぬ。」(84~85、87~88)
⇒ウェーバー(ヴェーバー)を持ち出すことが諭吉へのオマージュになると思い込んでいるらしい丸山に苦笑してしまいます。
引退直前でしたが、まだ、丸山が東大法学部で教授だった1970年前後は、東大の社会科学系は、依然、マルクスとヴェーバーの時代でした。↓
「日本は、非西洋圏で唯一、近代資本主義国家となった。その理由を問うために、日本人は特に、ウェーバーの理論を必要としたといえる。しかし、ウェーバーが広く読まれるようになったのは、1930年代、<政府の手によって、>マルクス主義運動が壊滅した時期である。・・・
この時期、・・・ユダヤ系の哲学者レーヴィットが日本に亡命し、東北大で教えた。彼の書いた『ウェーバーとマルクス』がよく読まれ、日本のウェーバー・ブームの発端となった。・・・」
https://book.asahi.com/article/11632086
「<そして、>丸山眞男や大塚久雄や川島武宜をはじめとして、多くの<日本の>社会科学系の学者に強い影響を与えた。ヴェーバーの日本における受容は、日本が太平洋戦争で敗北したのは「合理主義」が欠けていたためであるという問題意識と、社会科学におけるマルクス主義との対置という文脈、という2つの理由が大きかった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC
教養学部でウェーバー研究者の折原浩の「社会学」、法学部で川島武宜の「民法I」を取った(コラム#省略)ことが思い起こされます。
私自身は、すぐにウェーバーの主張の胡散臭さ・・その一端が
https://en.wikipedia.org/wiki/Max_Weber
中の’Critical responses to Weber’に出て来る・・に気付いたのですが、丸山らは最後まで気付けなかったようですね。(太田)
(続く)