太田述正コラム#1050(2006.1.19)
<日独伊の「民主主義」と米国(その1)>
1 始めに
戦前の日本において民主主義が終戦まで機能していた、と拙著に記してからというもの、このことをこのコラムでも(コラム#36、47、48、155、210、213、571)言い続けてきました。英ガーディアン紙のブログに「参戦」した時にも、さりげなくこのことに言及しました。ブッシュが米国が戦後日本を民主化したと繰り返し言っていることをコラム(#611)で批判したこともあります。
先般、戦前の日本が「一応」民主主義国家であったとする論考(Mark Helprin執筆)がロサンゼルスタイムスに掲載され(http://www.latimes.com/news/opinion/sunday/editorials/la-op-helprin15jan15,0,6982840,print.story?coll=la-home-sunday-opinion。1月16日アクセス)、ほんのちょっと溜飲を下げました。
この論考の概要を批判的に紹介した上で、米国の政治家や学者の民主主義観がいかにご都合主義的なものであるかを明らかにしたいと思います。
2 ロサンゼルスタイムス論考の批判的紹介
(1)論考の概要
ブッシュ大統領は、民主主義国家は平和愛好国家だとした上で、民主主義を世界に普及させるべく米国は努力しなければならないと主張している。
しかし、そもそも民主主義国家は平和愛好国家だと言えるのだろうか。
歴史を振り返ってみると、必ずしもそうではないことが分かる。
女性や黒人が選挙権を持っておらず、民主主義が不完全であった19世紀後半の話ではあるけれど、民主主義国たる米国は、南北戦争・米墨戦争・米西戦争と戦争ばかりをやっていたものだ。
また、第一次世界大戦を引き起こした元凶であるドイツは民主主義国だった。開戦直前には議会は弱体化していたが、これは国民の意思を受けてのことだった。戦争が始まると、議会は、恐らく非民主主義国ロシアの脅威に対処すべく、戦闘的姿勢を取り戻し、それによって議会は再び強力になった。
民主主義国イタリアが協商側についたのは、オーストリアから南チロル地方を奪取する良い機会だと考えたからだ。国民主権は、この目的のための参戦を促進することはあっても決してブレーキにはならなかった。
先の大戦前の日本は、この両国ほどではなかったが、それでも民主主義国であると言えた。戦争の10年前には日本の議会制政府は形骸化し衰亡していたが、1937年には蘇り、再確立する寸前まで行った。戦争の間を通じ、明治憲法は停止されることなく、効力を有し続けた。
(2)批判
筆者は、イタリアの民主主義はムッソリーニが国王によって首相に任命されて全権を掌握した1922年に、そしてドイツの民主主義は授権法が成立してヒットラーが全権を掌握した1933年にそれぞれ終わったとみなしているのでしょう。そこで、先の大戦時の日本と第一次世界大戦時のドイツとイタリアを、反証例として挙げているわけですが、私としては不満が二つあります。
一つは、非民主主義に堕することがついになかった日本の民主主義の強靱性を筆者は強調すべきだったというのが第一点であり、戦前の日本の民主主義は第一次大戦前のドイツやイタリアの民主主義より進んでいた、というのが第二点です。
第二点について、ご説明しましょう。
(続く)