太田述正コラム#11053(2020.1.18)
<丸山眞男『福沢諭吉の哲学 他六篇』を読む(その29)>(2020.4.9公開)
「君臣関係を以て人間性にアプリオリに内在する理として基礎づける儒教の態度が「臆断を以て先づ物の倫を説」くところの絶対化的思惟であることは先にも触れたが、これまた政治的権威に関する惑溺の一つと考えることも出来よう。
⇒これは、儒教と言っても、陽明学等には必ずしも当てはまらない、ということを既に申し述べたところです。(太田)
ともあれ、こうした意識の倒錯によって政治的権力は単に物理的な力だけでなく、あらゆる社会的価値を自己の手に集中することによって、価値規準の唯一の発出点となってしまう。
かくして社会関係の固定しているところほど権力が集中し、権力が集中するほど人々の思考判断の様式が凝固する。
と同時にその逆の関係も成立つ。
判断の絶対主義は政治的絶対主義と相伴う。
福沢は是を「都(すべ)て人類の働は愈々単一なれば其心愈々専ならざるを得ず。其心愈々専なれば其権力愈々偏せざるを得ず」という定式で表現した(概略、巻之一)。・・・
⇒諭吉には、支那(漢人)文明が念頭にあったのでしょう。(太田)
進歩とは事物の繁雑化に伴う価値の多面的分化である–福沢の言論・教育を通じての実践的活動はつねにかかる意味における進歩観によって方向づけられていた。・・・
福沢の第二の重要な命題<は、>・・・「自由は不自由の際に生ず」<だ。>・・・
「抑(そもそ)も文明の自由は、他の自由を費して買ふ可きものに非ず。諸(もろもろ)の権義を許し、諸の利益を得せしめ、諸の意見を容(い)れ、諸の力を逞(たくまし)ふせしめ、彼我平均の間に存するのみ。或は自由は不自由の際に生ずると云ふも可なり」(概略、巻之五)。・・・
<彼は、>いわゆる徳川時代250年の平和なるものは、社会的凝固と停滞を代償として得られたものである限り、我国にとっては却ってマイナスであって、「寧ろ250年の太平を持続するよりも、其際に50年又は100年を隔てゝ内乱外戦の劇(はげ)しきものに逢はゞ、為に人心を震動して却て文明の進歩を助るの機を得たることもあらん」とまで言っている・・・。
しかもこの徳川時代すら、福沢によれば支那専制帝国に比べてはなお自由と進歩への素地があった。
⇒諭吉が、日本は欧米諸国に比べては自由と進歩への素地はなかった、と言っているわけではなさそうなことに注意が必要です。(太田)
けだし前者においては皇帝が精神的権威と政治的権力を一手に独占しているのに対して、後者においては政治的に無力な皇室と精神的権威なき幕府とが対峙牽制し、「至尊必ずしも至強ならず、至強必ずしも至尊なら」ず<だったからだ。>・・・
日本が東洋で最も早く近代化への道を歩み出し、それによって支那の国際的運命を免れえた最も内奥の思想的根拠を福沢はここに見たのであった。・・・
いかなる思想、いかなる世界観にせよ、その内容の進歩的たると反動的たるとを問わず、自由の弁証法を無視し、自己のイデオロギーによる劃一的支配をめざす限り、それは福沢にとって人類進歩の敵であった。」(88、91、93~95)
⇒このあたりはずっと、珍しいことに、丸山による諭吉の言の紹介ぶりに関して呆れるような箇所はありませんが、さしずめ私なら、以下のようなラインの紹介をしたことでしょう。
(コラム#は全て省略した。)
一、日本文明は、縄文性と弥生性という2要素からなり、そのバランサーとして天皇がいる、という文明である。
二、その政治経済社会体制は、基本的に、エージェンシー関係の重層構造がメイン、市場関係がサブ、という性格を持つ。
この重層構造の頂点には天皇が鎮座し、最高権威を持っている。
通常、天皇とは別に、最高権力者がいる。
但し、権威はこの最高権力者を含む全ての人々が、権力はこの最高権力者以外の(天皇を除く)全ての人々が、分有している。
このような意味において、日本は、常に「価値の多面的分化」した社会だった。
三、縄文性は人間主義に立脚しており、この人間主義は、自立した個人が他の諸個人と互いに忖度し合いつつその言動を律していく、というものであり、忖度する、忖度しなければならない、という意味で「彼我平均」される、という限りにおける「不自由」さこそが、逆説的に、個々人の自立、すなわち「自由」、をもたらしている、と見ることができる。
四、日本史は、縄文性>弥生性、の縄文モードと時代と、弥生性>縄文性、の弥生モードの時代をサイクルのように繰り返してきており、基本的に、縄文モードの時代は内向きで「平和」で「停滞」の時代、弥生モードの時代は外向きで(恒常的「戦乱外戦」状態であるところの「外」の諸文明の部分的継受で弥生性の回復/強化を図る、)「内乱外戦」で「進歩」の時代、である。
五、島津斉彬コンセンサス信奉者であった諭吉は、直感的に以上のことが分かっており、それを、適宜、彼の言葉で彼なりに記している。
(続く)