太田述正コラム#11067(2020.1.25)
<丸山眞男『福沢諭吉の哲学 他六篇』を読む(その36)>(2020.4.16公開)
「「一国の政府たるものは、兵馬の権柄を握て和戦の機を制し、其議定したる法律を執行して国内の治安を保ち、万般の害悪を防て民利を保護するに止まり、或は一歩を進めて其民利の道を発達せしむるが為めに法を設くることなきに非ざれども、是とても唯その発達の妨と為る可き害物を圧するのみ。即ち政府の事は都て消極の妨害を専一として積極の興利に在らず」(安寧策、明二三、全集十二・・・)として政府の機能をどこまでも「妨害の妨害」・・・に限定する典型的な市民的自由主義の政治観が帰結されるのである。・・・
⇒ここもまた、私は、諭吉は、「政府/政治権力論を、江戸時代を念頭に、欧米の言葉や思想を援用して展開した」に過ぎないのではないか、と、見ているわけです。
ここでは過去コラムを挙げませんが、代わりに、(身内びいき的発言だろうなどと茶々を入れずに、)現在の徳川家当主の「江戸時代は・・・小さな政府・低い税金・民間への大幅な権限移譲で、市場経済が発展した。」
http://www.gakushuin-ouyukai.jp/gakubukai/keizai_22_koenkai.htm
という声に耳を傾けて下さい。(太田)
しかしながら政府の機能のこうした限定は、いささかも統治機構の弛緩ないし非能率の擁護ではない。
却って権力の統一性と能率性は凡そいかなる形態たるを問わず、政府たるもののConditio sine qua non・・ラテン語、必要不可欠の条件・・でなければならない。
福沢はなによりこの意味において強力政府の味方であった。・・・
⇒このことこそ、諭吉が最も言いたかったことではないでしょうか。
彼が、江戸時代の政府/政治権力の在り方の肯定的な側面を語ってきたのは、偏に、この否定的な側面を語らんがためだった、と、私には思えてならないのです。
すなわち、江戸時代の幕藩制は「権力の統一性」に欠け、かつ、幕府における月番(注38)制は「権力の能率性」に欠け、るものであったので、日本が欧米勢力の東漸に直面する時代になっている以上、これらは正されなければならなかったのである、と、彼は指摘したかったのではないか、と。(太田)
(注38)「老中をはじめ、寺社・町・勘定奉行など<は、>毎月交替でそのうちの一人が諸般の政務を担当<した。>」
https://kotobank.jp/word/%E6%9C%88%E7%95%AA-571208
老中・若年寄に関しては、「用番」とも言う。
https://kotobank.jp/word/%E7%94%A8%E7%95%AA-653310
福沢が・・・何を言おうとしているかはその前後の文言によって明らかであるように、決して政府権力範囲の広汎さを意味しているのではなく、政権を「一所に統轄する」・・・(施政邇言、全集十一)<?(太田)>・・・こと、いいかえれば政治におけるリーダーシップの確立を指しているのである。」(122~124、304)
⇒丸山は、これを諭吉の提言と捉えていますが、私見では、そうではなく、江戸時代の政府/政治権力がいかなるものであったかを百も承知していたところの、当時の、旧武士を中心とする知的日本人達に対して、単に、明治維新の意義、意味、を、欧米の言葉や思想を援用して解説してあげているだけなのです。(太田)
(続く)