太田述正コラム#11073(2020.1.28)
<丸山眞男『福沢諭吉の哲学 他六篇』を読む(その39)>(2020.4.19公開)

 「・・・自然法から国家理由への急激な旋回に福沢を駆り立てて行った外部的な契機が、当時の日本をめぐる国際的環境にあったことはいうまでもなかろう。

⇒エッ、諭吉を含む幕末の日本人達をして、明治維新を決意させたものこそ、元文4年(1739年)夏のロシアのいわゆる元文の黒船の来航
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E6%96%87%E3%81%AE%E9%BB%92%E8%88%B9
以来の、「日本をめぐる国際的環境にあった」というのに、この維新後の話をしている時に、丸山は、何と寝惚けたことを言っているのでしょうか。(太田)

 この環境はほぼ三重の環で福沢をとり囲んだ。
 まず最も一般的にはヨーロッパ帝国主義時代の開幕という現実である。
 レーニンが帝国主義段階の出発点とした1876年はわが明治9年であり、J・A・ホブソンはヨーロッパ列強の最も激しい膨張の時期を、1884年(明治17年)から1900年(明治33年)と計算している。
 しかも英帝国を例にとって見ても、1840年から60年頃迄は所謂小英国主義(リトル・イングランティズム)<(注40)>が風靡し植民地に対する厄介視が支配的であったのに、一たび帝国主義時代に突入するや、前記の僅か15、6年の期間に、面積にして370万平方哩、人口にして5700万人の植民地を略取したのであるから、一般的な局面の激変がいかに甚だしかったかが分る。

 (注40)「1890年代初頭,時の[自由党第4次グラッドストン内閣の]外相ローズベリーによって初めて使われた<言葉>。・・・<英国>の植民地主義的な領土拡張に反対し,あるいは植民地に対する<英>本国の責任や負担をできるだけ少くしようとする主義。 <1899~1902年の>南アフリカ戦争前後に・・・貿易を重視するマンチェスター派がこの見解をと<り、>・・・グラッドストーンら自由党の政策基調<となった>。<そして、かかる>考え方への蔑称としてジャーナリズムで広く用いられた。
 とくに1895年の総選挙では、この立場をとる自由党内のハーコートWilliam Vernon Harcourt(1827―1904)やモーリーJohn Morley(1838―1923)が落選し、小イギリス主義者の敗北と評された。
 のちに歴史家は、19世紀中葉の時期を象徴することばとして使った<が>、最近では、同時期におけるインドの直轄植民地化や中国などでの非公式な帝国拡大の試みなどにかんがみ、19世紀中葉が小イギリス主義の時期であったということは「神話」であるとみなされるに至った。・・・
 <ちなみに、>18世紀初頭<においても、>・・・中・小地主を主体とした<、当時の>トーリー派は重商主義戦争に強く反対し<ている。>」
https://kotobank.jp/word/%E5%B0%8F%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E4%B8%BB%E7%BE%A9-78819
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%A0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA_(%E7%AC%AC5%E4%BB%A3%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%99%E3%83%AA%E3%83%BC%E4%BC%AF%E7%88%B5) ([]内)

⇒丸山は、「神話」(「注40」)を鵜呑みにしてこのくだりを書いてしまっているわけですが、彼は、時の欧米の通説に関しては無条件に信奉するタイプの人間であったようですね。
 まさに、日本的、というか、東大的、「学者」のカガミと言うべきか。(太田)

 しかも第二の環として、かくも激しい帝国主義の鉾先の対象となった東洋諸国の現実が加わる。
 「東洋の国々及び大洋州諸島の有様は如何ん、欧人の触るゝ処にてよく其本国の権義と利益とを全ふして真の独立を保つものありや。・・・
 自然法や国際法というのもその妥当範囲は結局「キリスチャン・ネーション」相互間に止まり、東洋世界に対しては斬捨御免ではないか(閉鎖論、明一七、全集九)。
 「バランス、ヲフ、パワー」にしても、「畢竟同種の人類相憐むの情あればこそ、此権力の平均説も実際に行はるゝことなれ。西洋を去て東洋諸国に於ては、西洋人が如何なる暴を逞(たくまし)ふするも、之を傍観して曾(かつ)て喙(くちばし)を容(い)るゝ者なきに非ずや」(時事小言、全集五)。
 嘗ては欧州におけるポルトガルのような弱小国が独立を全うしている事実が国際社会における道理の支配の実証とされた(福沢全集緒言、唐人往来、全集一)。
 いまやまさに同じ事実がクリスト教文明の一体性、従って非クリスト教諸国に対するそうした客観的保証の欠如を意味するものと考えられたのである。

⇒アングロサクソン文明と欧州文明とは、「同種の人類」に属さず、従ってまた、「キリスチャン」「ネーション」ないし「文明」として一括りにしてはいけないわけですが、諭吉はともかくとして、丸山までもが、欧米一体なる幻想を信じ込んだままであることは、私としては、理解に苦しむところです。
 例えば、丸山は、欧州大陸において、ポルトガルやオランダのような「弱小国」が、「独立を全うし」えてきた最大の理由が、自然法でも国際法でもバランスオブパワーでもなく、欧州統一を妨げ続けたところの、イギリスの欧州政治軍事介入にあった、という認識をどうして持てなかったのでしょうか。(太田)

(続く)