太田述正コラム#11089(2020.2.5)
<丸山眞男『福沢諭吉の哲学 他六篇』を読む(その47)>(2020.4.27公開)

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[「一方に凝」らないことを慶應義塾のウリの一つであるとしていたと思われる理由]

 表記について、念のために少し説明しておく。
 諭吉自身が(彼のように儒教を齧った人間であれば当然とも言えるが、)中庸を旨とする人間であった(下の引用参照)以上、諭吉とほぼイコールであるところの、慶應義塾、もまた、中庸、すなわち、「一方に凝」らないこと、を、ウリの一つにしていたと見てよいからだ。↓

 「・・・1879年に出版された『民情一新』・・・において、福沢は鉄道や蒸気船などの交通システム、あるいは郵便制度・電信・印刷技術など情報通信技術の進歩が人民の知見を拡大してきたことを指摘する。しかし同時に、それらは無政府主義や社会主義など急進的・反政府的な思想の拡大を伴っており、ロマノフ王朝政府・ナポレオン三世の第二帝政政府・ビスマルク政権など、ヨーロッパ各国の政府がそれらの拡大と社会秩序の動揺を危惧して専制的姿勢を取り、全面的に「官民衝突」が起こり、かえって混乱と不安定をもたらしていることを引証し、人民の開化のネガティブな副作用にも警鐘を鳴らすのである。・・・
 このように、ヨーロッパ各国<は、>専制的な政府と急進的な人民との衝突に見舞われ<た。>

⇒とまあ、かほどさように、19世紀において、欧米中の少なくとも欧州は、「動(やや)もすれば一方に凝るの弊あり」、と、諭吉自身が指摘していたわけだ。(太田)

 <こうした>中、急進的で暴力に訴えることのない「改進派」と専制に陥らない「守旧派」が国会においてその代表者同士で議論を行い、円滑に対立を政治過程に落とし込んでいる国として福沢はイギリスを取り上げる。こうして福沢は人民の不満と政府の懸念が正面から衝突することなく、穏健な形で党派対立を政治過程に吸収する二大政党制・議院内閣制を、「官民調和」の政治体制のロールモデルであるとして注目するのである(『福沢諭吉著作集』第6巻)。・・・

⇒「イギリス<で>・・・議会政治(責任(議院)内閣制)が確立した<のは>・・・ウィッグ党のウォルポール<の時で、>・・・1721年<である。>」
https://rekishi-memo.net/sekaishi/englands_revolution.html
と日本では言われており、この点については私(わたくし)的には言いたいこともあるが、いずれにせよ、諭吉だって、英国(イギリス)もまた、かつては、「動(やや)もすれば一方に凝るの弊」と無縁ではなかった、と考えていたはずだ。(太田)

 <明治維新以降、>自由民権運動の名のもとに、やや急進的な主張が跋扈することもあった<、日本の>言論状況を憂いつつ、時に漸進的、時に頑迷な明治政府に対しても改革を求め続けた<諭吉の>中庸的な姿勢・・・」
https://apipress.net/issues/2019/11/06/post-948/

⇒この文章の筆者である、佐橋亮(注50)は、諭吉は中庸的な姿勢をとり続けた、という見解であるということだ。

 (注50)「イリノイ大学政治学科留学を経て、国際基督教大学教養学部卒。東京大学大学院博士課程修了、博士(法学)。オーストラリア国立大学博士研究員、東京大学特任助教、神奈川大学准教授、教授を経て2019年度より・・・東京大学東洋文化研究所准教授・・・。東京大学未来ビジョン研究センター准教授(兼任)。
 スタンフォード大学アジア太平洋研究センター客員准教授、メキシコ自治工科大学吉田茂チェア、ジャーマン・マーシャル・ファンド研究員、参議院客員調査員などを歴任。専攻は国際政治学」
https://ryosahashi.jimdofree.com/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB/

⇒もう一つあげておこう。↓(太田)

 「中庸と均衡を重んじ「惑溺」を排した福澤」
https://blog.goo.ne.jp/koheitendo550815/e/eb3aa353411f4afb451e9ad3f0886bef

⇒これは、小浜逸郎(注51)の『日本の七大思想家』(注52)からの引用だが、小浜も、諭吉は中庸を重んじた、という見解であるということだ。

 (注51)1947年~。「横浜国立大学工学部建築学科卒業。・・・学習塾経営。・・・1992年、学習塾経営をやめ、フリーの著述業に。・・・白百合女子大学講師。・・・国士舘大学21世紀アジア学部客員教授。・・・横浜市教育委員」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B5%9C%E9%80%B8%E9%83%8E
 (注52)この本は、七大思想家として、丸山眞男、吉本隆明、時枝誠記、大森荘蔵、小林秀雄、和辻哲郎、福澤諭吉、を取り上げているらしい(上掲)が、私がよく知らない時枝
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E6%9E%9D%E8%AA%A0%E8%A8%98
と最後の3人はともかく、後の3人はいかがなものか。丸山についてはもはや説明を要しないだろうが、大森壮蔵(1921~97年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%A3%AE%E8%8D%98%E8%94%B5
は、彼の哲学概論を教養学部当時にとったもののその講義は全く鼓吹的ではなかったし、吉本隆明(1924~2012年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E6%9C%AC%E9%9A%86%E6%98%8E
もその言動を断片的に知るのみながら、私は全く評価していない。
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(続く)