太田述正コラム#10642006.1.29

on the job training・実学・学問(その6)>

6 アングロサクソン流大学とは

せめて日本の私学は、アングロサクソン流の学問の府としての大学をめざして欲しかった、と申し上げてきたわけですが、ここで、アングロサクソン流の大学とはいかなるものかを、オックスフォード大学を例にとって簡単にご説明しておきましょう。

なぜオックスフォード大学なのか?

それは、この大学が、アングロサクソン世界で最も古い大学(注15)であるだけでなく、現在引き続き世界一の大学とされている(注16)からです。

(注15)いつ始まったのか分からない、という古さであり、少なくとも1096年には教育活動が行われていた、ということが史料に出てくる。

(注16)英ガーディアンとタイムスのそれぞれの世界大学ランキングに拠れば、このところオックスフォードは常に世界一の座を譲っていない。もっとも、両紙のランキングの基準にはアングロサクソン世界の大学に有利なバイアスがかかっている、という批判が絶えない。

    ちなみに、オックスフォードは、40名を超えるノーベル賞受賞者と、25名の英国首相を輩出している。

オックスフォード大学の歴史は次のとおりです。

1167年に時のイギリス国王ヘンリー2世は、フランスとの関係悪化を背景に、イギリス人の学者・学生がフランスのパリ大学に在籍することを禁じるのですが、これを契機にオックスフォード大学の本格的な発展が始まります。

1190年には、外国人の受け入れが始まります。

1214年には、総長(Chancellor)職が設けられ、大学に自治権が付与されます。初代の総長は、あのグロセテスト(Robert Grosseteste1175?1253年)(コラム#46)でした。

この13世紀からは、学生の寮としてのカレッジ(college)が設けられ始め、やがてそれぞれのカレッジ単位で研究・教育が行われるようになります。

1379年からは、それまでの学者の卵の教育(大学院(graduate)教育)に加えて、一般高等教育(学部(undergraduate)教育)も始まります。

16世紀に入ると、それまでの7つのリベラル・アーツ(seven liberal arts。文法(grammar)、修辞学(rhetoric)、論理学(logic)、算数(arithmetic)、幾何(geometry)、天文学(astronomy)、音楽(Music))に加えて、人文科学(humanities)の研究・教育が始まります。

1571年には、大学の正式の名称が、Chancellor, Masters and Scholars of the University of Oxfordオックスフォード大学の総長・カレッジ長・学者)と定められます。

1603年からは、オックスフォードからイギリス下院に2名の議員を送るようになります。(1949年に廃止。)

1636年には、オックスフォード大学規約(Laudian Code)が策定され、イギリス国王チャールス1世によって裁可されます。

1878年から、女性の入学が認められるようになり、1920年に至って、女性にも学位が授与されるようになります。

20世紀に入ってから、自然科学と医学を含む応用科学の研究・教育が行われるようになります。

以上から、オックスフォードは、国産の学問を、対外的に開放しつつ行う、自治権を持った研究者集団(研究者の卵を含む)として始まり、やがてそれまでの大学院教育に加えて学部教育が開始されたこと、また、研究・教育分野については、経験科学的(つまりは近代科学的。コラム#46)志向を持ちつつ、学問方法論の研究・教育から始まり、やがて人文科学の研究・教育を加え、更に理学や実学(工学・医学・法学・社会科学(経営科学を含む))の研究・教育を加えて現在に至っていること、が分かります。

(以上、http://www.ox.ac.uk/aboutoxford/history.shtmlhttp://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Oxfordhttp://www.oxford-info.com/University.htm、及びhttp://www.localhistories.org/oxuni.html(いずれも1月29日アクセス)による。)

 これに対し日本の大学は、官学も私学も、初期のお雇い外国人教師以外には外国人に門戸を閉ざしつつ、教育としては学部教育のみを行う形で、しかも極めて弱い自治権しか持たないまま発足していますし、研究・教育分野もまずは実学からスタートし、しかも研究は外国の学問の輸入、教育は外国の学問の注入を旨とした、というわけですから、オックスフォードとはあらゆる意味で似て非なる存在であることがお分かりいただけると思います。