太田述正コラム#11099(2020.2.10)
<丸山眞男『福沢諭吉の哲学 他六篇』を読む(その52)>(2020.5.2公開)

 「・・・福沢は芝居を・・・あんまり見ていないのです。
 明治20年になって初めて、もちろん歌舞伎ですけれど、芝居を見ています<(注61)>。・・・

 (注61)「歌舞伎は、その名が「傾く」(かぶく)から来ているように、元来反権威、体制批判的なニオイを背景とした庶民の娯楽、猥雑でアウトローな存在で、役者の社会的地位も低かった。・・・
 このような問題を解決することを目的に、明治19年8月、政府の肝いりで、演劇改良会なる組織が結成された。この動きに反応して、『時事新報』も立て続けに社説で演劇について論じ始めた。・・・
 改良会の動きが一つの実を結ぶのが、翌年4月に麻布鳥居坂の井上馨邸で行われた天覧歌舞伎である。明治天皇はじめ皇族の前で歌舞伎が披露されることによって、梨園の地位は飛躍的に向上した。天覧に値する文化芸術であることが内外に示されたわけだ。福沢が初めて新富座に足を運んで観劇したのはその天覧の前月のことであった。福沢の性分として、歌舞伎の空気を知りもしないのに、天覧を云々することは良しとしなかったのだろう。・・・
 以後の福沢はたびたび芝居小屋へ通い、役者もしきりに福沢を訪ねるようになった。福沢が中津の旧友に送った手紙に「団十郎、菊五郎、左団次など申す者どもを拙宅に呼び、芝居の芸談に及び、随分味あるが如し。何芸にても日本一と申す者は微妙に入るもの多し」(山口広江宛福沢書簡、明治23年7月8日付)と書いたものがある。随分熱が入っている書きぶりだ。以後『時事』と梨園の関係も急に深みを増していった。」
https://www.keio-up.co.jp/kup/webonly/ko/jijisinpou/32.html

 <そして、>芝居よりは、自分が過ごしてきた生涯のほうがはるかに斬新ではないかということを、芝居を見た感じとして言っています。・・・

⇒丸山、「注61」の中に出て来る話の一端くらいは紹介しないと片手落ち、というものです。(太田)

 自分の生涯を一つのドラマ・・・<福沢自身は、>ここでも「遊戯」<(前出)>という言葉をつかっております・・・として、その中で自分が一つの役を演じたということが、彼自身の自己認識でもあったわけです。・・・
 「浮世を軽く視るは心の本体なり」、軽く見るその浮世を、あたかも真面目に、活発に渡るのが心の働きである。
 「内心の底に之を軽く見るが故に、能く決断して、能く活発なるを得べし。棄るは取るの法なり」。
 ここには彼の解釈した一種の仏教哲学的な考え方があります。・・・
 <彼は、>こういうふうに、浮世を軽く見て、戯れとみないということになると–「事物の一方に凝り固まりて、念々忘ること能はず。遂には其事柄の軽重を視るの明を失ふ」と言っています。・・・
 惑溺からの解放ということの、ぎりぎりの底を突きつめていくと、人生哲学というのは、人生は戯れであるという命題に行きつくということになります。」(207~208、210)

⇒「福澤は、浄土系仏教のような彼岸的世界を肯定せず、終始一貫、此岸的独立自尊と此岸的無常観を主張していた。・・・<これは、>・・・武士の死生観<と>言うことができ・・・朱子学の体用論<(注62)における>・・・「体」を佛教的無常観に置き換え、「用」を独立自尊と物理学的宇宙観の見解に置き換えた<のだ。>」(小泉仰(注63)「福澤諭吉と宗教」より)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sbp/34/0/34_2011_005/_pdf

 (注62)「現象の内奥にその根源者・本質をみようとする考え方はもと老荘思想にあ<ったところ、>・・・六朝以後,仏教において頻繁に用いられた概念である<。> (したがって,元来は「たいゆう」と読む)<。>宋以後には,いわゆる宋学や明学の儒者にも多用された。基本的な意味は,本体<(実体)>と作用 (または現象,属性) で,両者は表裏一体とされる<が、>・・・もっとゆるやかに〈体とは根本的なもの,第一次的なもの,用とは従属的なもの,二次的なもの〉としておく方がよい<かもしれない>。・・・宋学では,「理」を体,「気」を用として,その理気説の重要な概念としている」
https://kotobank.jp/word/%E4%BD%93%E7%94%A8-92130
 (注63)たかし(1927年~)。慶大文卒、ミシガン大修士、慶大(?)博士。慶大、国際基督教大、北京日本学研究センター、目白大、で教鞭をとる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B3%89%E4%BB%B0

⇒諭吉の人生観(死生観)について、丸山は諭吉の言葉をそのまま紹介し、また、小泉は理論的に構成、祖述し、ていますが、私には、諭吉独特の「芝居」がかった言い回しはともかくとして、典型的な武士の人生観(死生観)・・「仏教と無縁ではないが・・・<それに>独自の意味を込めているのが・・・特色といえる<のであって、それ>は命に執着することを「恥」とし、この世における「名」を重んじるものであ<るところ、>これは・・・儒教にも連なる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E7%94%9F%E8%A6%B3
・・にしか見えません。

(続く)