太田述正コラム#11131(2020.2.26)
<丸山眞男『福沢諭吉の哲学 他六篇』を読む(その68)>(2020.5.18公開)
「・・・福沢を「拝金宗」の高唱者とみたり<(注87)>、あるいは江戸時代の「町人根性」<(注88)>のたんなる継続と拡大と解釈するような、戦前日本にあった福沢への皮相で浅薄な誤解は、敗戦とともに影がうすくなり、逆に「天は人の上に人を造らず」の名文句が、戦後の焦土の上に洪水のように氾濫して、福沢は日本民主主義の先駆的思想選手としてもてはやされるようになった。
(注87)「福澤の新聞『時事新報』の記者であった高橋義雄(箒庵)<(コラム#10860)>は、その福澤の考えを盛り上げようと本を書きます。タイトルは『拝金宗』[(第1篇1886年、第2篇1887年)]。この言葉は、高橋がAlmighty Dollarという語から思い付いて使った造語でした。世を覚醒するために、激しい言葉を使うという福澤のスタイルをまねたわけで、序文に「時弊を矯める」ための本で、長期的な視野で語っているものではない、ということが書かれていますが、タイトルからして非常にラディカルであったため、「拝金宗」という語は、福澤を批判するための代表的な言葉の一つとなりました。
この本の続編の表紙というのが、これまた何とも過激です。ご覧のように画面の右下に、はりつけにされたキリストと、後ろ手に縛られた孔子と釈迦が描かれています。山高帽をかぶった紳士や着飾った淑女は、彼らに目もくれず(中にはアカンベーをしている者もいる)、後光の差す大黒様に殺到している、という絵です。」
http://keio150.jp/fukuzawa2009/blog_t/2009/01/post-4284.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E7%BE%A9%E9%9B%84_(%E8%8C%B6%E4%BA%BA) ([]内)
「福沢諭吉の言に「文明男子の目的は銭にあり」というのがあるが、・・・福沢諭吉・・・の婿養子になった福沢桃介は・・・「予は拝金宗なり」と言ったり、『予の致富術』などという本も大正5年<(1916年)>に著した。・・・電力の鬼とは松永安左衛門のことを人は言うが、その原資は福沢桃介の投機の儲けにあった」
https://books.google.co.jp/books?id=cW4LAgAAQBAJ&pg=PT31&lpg=PT31&dq=%E7%A6%8F%E6%B2%A2%EF%BC%9B%E6%8B%9D%E9%87%91%E5%AE%97&source=bl&ots=an6fG7M3LF&sig=ACfU3U19uTPv3ZdrPw0YlN-e_WWz7zDdrg&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwiLlaDMyO7nAhWaFIgKHVvwDmsQ6AEwBnoECAcQAQ#v=onepage&q=%E7%A6%8F%E6%B2%A2%EF%BC%9B%E6%8B%9D%E9%87%91%E5%AE%97&f=false
「拝金宗は福沢論吉氏の過去三十年間ほど公然と宣言してきたところである。氏はわが国におけるその使徒の中心者である。氏は学校を所有し、自分の保護の下におかれた若者たちに氏の邪悪な原則がしみこむことも意に介さないでいる。氏はまた新聞、上流階級を支持者とし日本最大と宣伝する有名な『時事〔新報〕』を所有する。こうして、わが国における氏の影響力は小さくない。氏は日本社会全体の尊敬を得ている。「三田聖人」というのが、氏にたてまつられた称号だ。氏はわが金銭愛好の同胞にうやまわれ称讃されて、新日本が生むことのできる最も立派な紳士として通っている。氏には財産があり、氏の弟子も財産を築き、師弟一体となって、その奇妙な信仰により幸福を獲得したということで、拝金宗の「真理を証明」してきた。われらすべて、氏と氏の弟子たちがなしたごとくなすべきではなかろうか――武士道〈サムライズム〉をすて、金を得る「最良の策」になると見きわめた限りでのみ正直であるべきではなかろうか。
だが、いまやついに、恐ろしい事実が暴露された。使徒おんみずからの養子――名は福沢桃介〈トウスケ〉――が、偽りの電報を捏造し、それを父の新聞『時事新報』にのせ、株式取引によって三万円をもうけることに成功したのだ。この詐欺行為は『万朝報〈ヨロズチョウホウ〉』の耳に達し、われわれは四日前の本紙〔万朝報〕上に事件の全貌を公表した。だがいままでのところ、『時事』はわれわれの記事に対し明確な否定をしていない。社会に加えた重大な侮辱にも気づいていないといった恰好で、自己流の言い逃れ話を続けるだけである。」(内村鑑三の無署名による『万朝報』1897年5月9日の英文記事)
https://blog.goo.ne.jp/514303/e/7ab50c3dbd4676e018641f333a356616
(注88)「道義を手段とし自家の利と福とを目的とする・・・「町人根性」が、欧米の「ブルジョワ精神」の導入という形に発展したのが、1930年代の初頭の和辻<哲郎>によれば、「文明開化」の実相であった。したがって、・・・福澤の『学問のすゝめ』に関する表現はこうである。「この書・・・も亦文明開化の精神を鼓吹するについて極めて有力であった。しかしその内容は功利主義的・個人主義思想の通俗的紹介に過ぎなかったのである」<(和辻哲郎『続日本精神史研究』より)>
https://books.google.co.jp/books?id=Zrx3zGd2Q44C&pg=PA223&lpg=PA223&dq=%E7%94%BA%E4%BA%BA%E6%A0%B9%E6%80%A7%EF%BC%9B%E7%A6%8F%E6%BE%A4%E8%AB%AD%E5%90%89&source=bl&ots=zNGIbLHnjB&sig=ACfU3U3IaAGzrcpZQeBIyayuVkXmLLdyXg&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwil2py41e7nAhX5xosBHR_8DCIQ6AEwAXoECAwQAQ#v=onepage&q=%E7%94%BA%E4%BA%BA%E6%A0%B9%E6%80%A7%EF%BC%9B%E7%A6%8F%E6%BE%A4%E8%AB%AD%E5%90%89&f=false
⇒このくだりの、丸山による戦前の福沢評(の一端)の紹介ですが、「注87」をご覧いただけば分かるように、「拝金宗」については、そもそも、福沢の命名であって、高橋は諭吉に直接命ぜられ、また桃介は福沢の薫陶を受け、この言葉を世に広めることに「尽力」したわけですし、「町人根性」については、和辻が、丸山同様、諭吉を学者であると勘違いをして筋違いの批判を行った文脈で諭吉の考えを形容した言葉であるところ、丸山は、少なくとも、「拝金宗」の方くらいには一言註釈を加えてしかるべきでした。
それにしても、内村はともかく、和辻まで諭吉を誤解していたことにはいささかがっかりさせられました。
和辻にしてそうだったのだとすれば、丸山の諭吉への誤解も余り厳しく咎めるのは酷だということになりかねないからです。
なお、諭吉が、(とんでもないことに、)「日本民主主義の先駆的思想選手としてもてはやされるようになった」のは、丸山の「功績」であった(注88)ところ、彼には、そのことも率直に告白して欲しかった、と思います。(太田)
(注88)「丸山<は、>・・・日本思想史研究における生涯の大半を福沢の研究に費やした。丸山の福沢諭吉論(『「文明論の概略」を読む』など)はそれ以降の思想史家にとって、現在まで見過ごすことのできない金字塔的な存在となっている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E7%9C%9E%E7%94%B7
そうした「個人崇拝」は、福沢の肖像が一万円札に刻印されるようになって絶頂に達したかのように見える。
けれども、こうした「転換」の内実は、福沢思想の真の意味での普及からは遠かった。
むしろ、極言するならば、戦前日本にあった歪められた福沢イメージの消滅にかわって、戦前にはほとんど存在しなかった新しい–しかし歪んでいる点では同様な–イメージが急速に流通し始めた、というのが、事の実相とさえ言える。・・・」(279)
(続く)