太田述正コラム#1080(2006.2.14)
<ムハンマドの漫画騒動(その4)>
(4)アングロサクソンのホンネ
東京新聞(http://www.tokyo-np.co.jp/00/kok/20060208/mng_____kok_____004.shtml。2月8日アクセス)は、エジプトのイスラム「聖職者」から、「キリスト教有力者も私への書簡で『風刺漫画は表現の自由の原則をねじ曲げている』と述べている。米政府や英紙などは私たちの主張を理解しているし、英BBCも放送で漫画部分(漫画の一部分?)を隠す配慮をしている。これが知恵だと思う。西欧(西側?)対イスラムではなく、西欧(西側?)の一部の問題だ。」という発言を引き出しています。(括弧書きは私が付した。)また、読売新聞は社説(http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20060210ig91.htm。2月11日アクセス)で、「ムハンマドの風刺漫画が、偶像崇拝を禁じるイスラム教世界でどれほどの怒りを買うか――。想定もせず掲載したとしたら、ユランズ・ポステン紙は「無理解」「無責任」のそしりを免れまい。風刺漫画を転載した仏、独など欧州のメディアにも、共感できない。イスラム社会の反発を拡大する結果となった。「読者に判断材料を与える必要があった」という釈明も聞かれるが、漫画を転載しなくても、記事だけで中身は十分、読者に伝わったはずだ。今回、英国と米国の有力紙は、漫画の転載を控えている。ブッシュ米大統領は「他者を思いやる責任」という言葉を使った。山内昌之・東大教授は、本紙への寄稿で「日本人なら『たしなみ』という言葉を使うにちがいない」と述べた。文明社会のマナーと言うこともできるだろう。」と主張しました。
イスラム世界の「良識派」も、日本を代表する新聞も、そして日本を代表するイスラム世界の専門家も、みんなアングロサクソンのことがまるで分かっちゃないな、と思います。
欧州諸国の人々は、今回の事件に関するイスラム世界の反応の中に、つい最近までの自分達の宗教・イデオロギーに拘束された姿を見出すからこそ、イスラム世界と正面から対決せざるをえないのです。
他方、英米(アングロサクソンと言い換えても良い)の人々は、欧州諸国の人々を野蛮人、イスラム世界の人々を野蛮人の中でも最底辺に近い野蛮人と見ている(注10)のであって、端的に申し上げれば、アングロサクソンはイスラム世界の人々をマインドコントロール下にある狂人視していると言っても過言ではないのです。
(注10)アングロサクソンの野蛮人観については、コラム#1005、1040、1043、1054等参照。
だからこそ、英米の新聞は、ムハンマドの漫画を転載してまでしてイスラム世界と対決しようとなどとはせず、転載した欧州の新聞の批判さえ行ったのです。
このことは、自分達が漫画を転載しないのは、イスラム世界への配慮でも何でもなく、単に映画監督のゴッホ(前出)のように、殺されたくないからだけのことだ、というめずらしいほど率直なワシントンポスト掲載コラム(http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/02/09/AR2006020901434_pf.html上掲)の一節とか、やはりワシントンポスト掲載のもう一つのめずらしいほど率直なコラム(http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/02/09/AR2006020901432_pf.html前掲)の、表現の自由の重要性を訴えつつムハンマドの漫画の転載を批判することは非論理的ではないかと訴えている一節から分かります。
つまりわれわれは、この二つのコラムからそれぞれ、「俺たちアングロサクソンは刃物を持った狂人を挑発するのは愚の骨頂だと考えている」、「それにしても、いくら狂人相手とはいえ、こんなに非論理的なことをよくもまあ俺たちは恥ずかしげもなく言えるもんだ」というアングロサクソンのホンネを読み取ることができるのです。
では、アングロサクソンは、イスラム世界の人々の「狂気」の原因は一体何だと考えているのでしょうか。