太田述正コラム#11151(2020.3.7)
<丸山眞男『日本政治思想史研究』を読む(その6)>(2020.5.28公開)
「身分社會(Standegesellschaft)における關係は最上層におけるそれを典型として、それに倣って下層身分の社會關係が形成される(例へば手工業における親方と徒弟、商業に於ける親方と徒弟、商業に於ける主人と丁稚等に見られる主從關係の如き)のを常とし、從つて意識形態もそれに應じて上より下への浸潤が行はれるといふ身分社會の一般的法則がこゝにも妥當して、儒教倫理は多少の變容を以てではあつたが庶民間の社會關係にも適用された。
要するにかうした近世封建社會の社會構成と儒教倫理の思想構造との類型的な照應こそ、近世において儒教が最も強力なる社會倫理として思想界に指導的地位を占めえた客觀的條件であつた。・・・
儒教が近世封建社會に對して有したイデオロギー的性格を認識してのみ、それが明治維新による新しい社會關係の形成と共に、多くの市民的思想家の攻撃を一身に引受けねばならなかつた歴史的根拠據を理解しうる。
かゝる批判の代表的のものとしてはなによりも福澤諭吉の『文明論の概略」「學問のすゝめ』『女大學評論』其他種々の評論におけるそれがある。
それはこゝに引用すべくあまりに廣汎多岐である。
⇒丸山の諭吉と儒教についての理解は全く誤りである旨、「丸山眞男『福沢諭吉の哲学 他六篇』を読む」シリーズの中で記したばかりであり、ここでは繰り返しません。(太田)
そのほか明治初期に続出した啓蒙書の類には「隠れ儒者」の封建禮讃が到る處で反駁されてゐる(明治文化全集、文明開化篇參照)。
なほ之と反對に、維新の四民平等に對する反動的な抗議が名分論<(注16)>を藉りて爲された例も少くない。
(注16)「正名論<とも。>・・・名称と実質の一致を求めて国家社会の秩序を確立しようとする儒家の思想。・・・名称は物の階級的秩序を反映しているので、名称を正すことによって階級的秩序を固定化しなければならないとする。・・・「論語」や「春秋」三伝に顕著で、のち宋代の学者が強調、日本の「神皇正統記」「大日本史」にも影響を与えた。・・・
<日本に関しては、>儒教の系譜に立つものと国学の系譜のものに大別される。前者にはニュアンスの差があるが,最高権威としての天皇と政権の行使者としての将軍との間に上下関係を認める名分論が基本となっていたといってよかろう。他方,国学の尊王論は記紀の神話を事実として前提し,皇祖神より血統的連続性をもつ天皇に絶対性を認める論理を基礎としていた。」
https://kotobank.jp/word/%E5%90%8D%E5%88%86%E8%AB%96-643190
「方今の御政體にては共和政治の悪弊に陥らせらるゝ事もあらん乎」とひたすら維新後の「開化」に反對して、「貴賤の分を明にする事」「嚴に淫亂を禁じて男女の別を明にする事」等の建議を繰返した島津久光のごとき、その典型である(「久光公記」<(注17)>・・・)。・・・」(10~11、17~18)
(注17)福地桜痴(源一郎)著。明20(1888年).12出版。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/781559
⇒「注17」から分かるように、久光の伝記を福地桜痴が書いたこと、その桜痴が、「<一時、>福澤諭吉と並び称されたような社会的影響力」を持ち、「福澤の死の際に両者の人物が比較され、福地は才において優る。しかし意思の強固さでは福澤が数等上であると評され・・・<、桜痴が>福澤諭吉の死によせて書いた記事「奮友福澤諭吉君を哭す」・・・は、・・・明治期でも指折りの名文とされる」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%9C%B0%E6%BA%90%E4%B8%80%E9%83%8E
といった人物であったことからしても、久光という人物やその論の評価は、一筋縄ではいかぬ(注18)、と思った方がよさそうですが・・。(太田)
(注18)松平春嶽 「久光卿は・・・中々才智よりも道徳を重せられ、尊王の志は却って斉彬公よりも超過せりと考えられたり。・・・この公の談話にもすこぶる感佩敬服のこと共多し」
伊藤博文 「世間では島津公を頑固の人のように云うて居るが、決してそうでない。公はかつて『己れは攘夷などと云う事はせぬ。それは西郷などが言うことだ』と云われたことがある。・・・」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E4%B9%85%E5%85%89
最近で言えば、町田明広は、「久光が・・・儒学・漢詩・和歌・書道に秀で、国学にも通じる類稀なる文化人・文学者であり、・・・久光あっての幕末史であり、また久光なくして幕末は語ることができない」と高く評価<している。>」
https://www.tkfd.or.jp/research/detail.php?id=1250
町田明広(1962年~)は、慶大文(史学)卒、佛教大院修士・博士の神田外大准教授で、日本近現代史(明治維新史・対外認識論)、特に幕末の薩摩藩が専門。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BA%E7%94%B0%E6%98%8E%E5%BA%83
(続く)