太田述正コラム#11189(2020.3.26)
<丸山眞男『日本政治思想史研究』を読む(その20)>(2020.6.16公開)
「その意味に於てオプティミズムは人性論のみでなく、朱子學全體のいはば體系的特性にほかならぬ。
かうしたオプティミズムが維持し難くなるや、上の様なもろもろの連<←之繞を二点之繞に(太田)>續は斷ち切られる。
そこにヨリ近代的な、ヘーゲルのいはゆる「分裂せる意識」が忍び寄つて來るのである。」(28)
⇒この「分裂せる意識」とは一体何ぞや、と、首を捻り、調べてみたのですが、そのものズバリについて説明したものないし論じたもの、をネット上ですぐには見つけることができなかったところ、竹内章郎(注49)の1989年の論文である「ヘーゲルの有用性論」の下掲のくだりが私の記憶を呼び起こしてくれました。
(注49)1954年~。一橋大社会学部卒、同大博士課程単位修得退学。岐阜大講師、助教授、教授。哲学者。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%86%85%E7%AB%A0%E9%83%8E
「ヘーゲルは 『精神現象学』の精神の章において, 近世の啓蒙主義が分裂的且つ相互補完的な理神論 と唯物論とを自らの内に孕んでいる点を論じつつ, この啓蒙主義が中世的な信仰主義に対して持った歴史的意義, 即ち, 現世主義的人間主義を, この信仰主義との相互連関を踏まえて確定している。そして更に, この啓蒙主義を有用性論として論じながら, 有用性の論理構造を詳細に描写するだけでなく, 有用性論を近代の人権思想の一原型たるフランス革命思想の抽象的な自由論へと「止揚」する叙述様式を通じて, 有用性の世界が乗り越えられるべき世界であることを示している。」
https://repository.lib.gifu-u.ac.jp/bitstream/20.500.12099/47791/1/reg_040025002.pdf
というのも、私は、大学の教養課程の一年目にとったところの、城塚登先生の「社会思想史」を含む3つくらいの科目の答案に、ヘーゲルに代表されるドイツの観念論哲学における弁証法(注50)の正・反・合(注50)とは、「欧州的なもの」と「欧州が継受したアングロサクソン的なもの」という二つのものを総合しより高次元のもの、にすることを主眼とするものであったが、それは、アングロサクソン的なものは人間に疎外(注51)をもたらしているとの認識に基づいていた、的なことを、それぞれの科目の講義内容に応じて味付けや力点を少しずつ変えて書いたのですが、それと似たようなことを竹内が言っているな、と思ったからです。
(注50)「ソクラテス<・>プラトン・アリストテレス<により、>・・・「ディアレクティケー」(弁証術)は、「対話」「質疑応答」「問答」という元々の素朴な意味から発展し、対象の自然本性に沿って、自在に概念を綜合(総合)・分析(分割)していける、「緻密な推論の技術・能力」を意味するものとして洗練されて<行った>。・・・
英<語における>dialectic・・・は、哲学の用語であり、現代において使用される場合、ヘーゲルによって定式化された弁証法、及びそれを継承しているマルクスの弁証法を意味することがほとんどである。・・・
ヘーゲルの弁証法を構成するものは、ある命題(テーゼ=正)と、それと矛盾する、もしくはそれを否定する反対の命題(アンチテーゼ=反対命題)、そして、それらを本質的に統合した命題(ジンテーゼ=合)の3つである。全てのものは己のうちに矛盾を含んでおり、それによって必然的に己と対立するものを生み出す。生み出したものと生み出されたものは互いに対立しあうが(ここに優劣関係はない)、同時にまさにその対立によって互いに結びついている(相互媒介)。最後には二つがアウフヘーベン(aufheben, 止揚,揚棄)される。このアウフヘーベンは「否定の否定」であり、一見すると単なる二重否定すなわち肯定=正のようである。しかしアウフヘーベンにおいては、正のみならず、正に対立していた反もまた保存されているのである。ドイツ語のアウフヘーベンは「捨てる」(否定する)と「持ち上げる」(高める)という、互いに相反する二つの意味をもちあわせている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%81%E8%A8%BC%E6%B3%95
(注51)独: Entfremdung、英: alienation)。「人間が作った物(機械・商品・貨幣・制度など)が人間自身から離れ、逆に人間を支配するような疎遠な力として現れること。またそれによって、人間があるべき自己の本質を失う状態をいう。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%96%8E%E5%A4%96
そして、そう思った瞬間、「分裂せる意識」とは、この疎外状況を反映した言葉ではないか、という気がした次第なのですが、果して、この私の受け止め方は正鵠を射ているのかどうか。(太田)
(続く)