太田述正コラム#11195(2020.3.29)
<2020.3.28東京オフ会次第(その2)>(2020.6.19公開)

3 質疑応答(Oは私。順不同)

A:コロナでの死亡率って、人種によって違うんじゃないか、つまり、アジア系の死亡率は白人系に比べて低いのではないか。
O:BCGを接種しているかどうかが影響を与えているという説もある。
< https://tanacoco.com/%E6%96%B0%E5%9E%8B%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%81%A8bcg%E3%81%AE%E6%8E%A5%E7%A8%AE%E7%8E%87%E3%81%A8%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%A0%AA%E3%81%A8%E3%81%AE%E9%96%A2/
  https://blogos.com/article/446483/ 
 ただ、これだけだと、日本とドイツと伊仏等の違いは或る程度説明できても、依然、日本と韓国の違いは説明できない。>
 私は、日本人の、平均寿命が長いこと、と、コロナ死亡率が低いこと、とは基本的に同じ理由によるのではないか、と考えている。
 例えば、日本の人口当たり病床数は世界トップクラスだけれど、医師数はそれほどでもない<(典拠省略)>が、では、病床は余っているのか、無駄に存在しているのか、というとそんなことはなさそうだ。
 日本の医療は、医者だけではなく、医療従事者全員が支えている、ということを、私は実体験を通じて知っているからだ。
 コラムに既に書いたはずだが、大動脈解離で半月入院した時に、看護師達が医師同等の気持ちで患者のために仕事をしていることに驚いた。
 突然入院させられることになり、コラム読者にその旨の通知ができないので焦って、コラム読者で一番近くにお住いのHNさんのところに連絡して、その件で助けを得ると共に、「ついでに」自宅の冷蔵庫内の長期保存ができないもの廃棄をお願いし、やってもらったのだが、看護師達には、HN一家が私の事実上の家族だと受け止められたらしく、数日間、同家から誰も私のところに来なかったところ、「次はいつ来るのか」という電話が(恐らくその旨の引継ぎを受けていた)看護師達のうちの一人から同家にあり、その翌日、HNさんの奥さんが私のところに来た際、笑いながら、太田さんが電話をかけさせたのか、と問われ、(自分の全くあずかり知らかったこととはいえ)恐縮しまくったことがある。
 同じことが、リハビリを担当してくれた療法士達についても言える。
 彼らも情熱をもって患者のために良かれと一生懸命だった。
 だから、日本の医療の人的キャパシティーを医師の数だけで見てはいけないのだ。
 つまり、日本の病床数の多さ(が象徴しているところの医療施設の充実)と日本の医師やその他の医療従事者達全体の志の高さ、が成就しているところの日本の医療のレベルの高さが、日本人の健康的な食事と清潔さ、等と相俟って、日本人の平均寿命の長さやコロナ死亡率の低さ、をもたらしている、と、私は思うのだ。
 ついでに言いたいのは、日本の医療従事者達の志の高さなんてことは、「長期」入院をしたおかげで分かったのであって、誰もそんなことを教えてくれなかった、という点だ。
 本件に限らず、日本の(ジャーナリスト達や)学者達がいかにさぼっているか、というわけだ。
 (さぼっているだけならまだしも、嘘を通説として流布させてしまっている場合すらある。
 例えば、日本が女性差別社会である、という「説」だ。
 その全く逆で、実は日本が女性差別社会どころか男性差別社会であること、に気付かされたのは、私自身が自分の離婚裁判の過程で苦渋の経験をさせられたおかげだ。)
 それはともかく、日本の医療従事者達にとどまらず、そもそも日本人の多くは人間主義者であるところ、概ねそのことと同値なのだが、私見では、日本人は、多かれ少なかれ、日本という共同体/国の機能の一端を担っているという意識を持っていて、彼らが属する地域や組織もまたそのような意識を持っている。
 例えば、町会の当番「ごとき」であっても、その志の高さは相当なものだ。
 私自身、前の住まいの時も現在の住まいにおいても、町会(正確にはその班だが)の当番をやった経験があるが、およそ町会というものは、「上層部」を除けば、末端の町会当番等は概ね女性が務めると相場が決まっているところ、現在の町会で当番を私に引き継いだ女性は、引っ越してきてから日が浅い私のために町会当番マニュアル的なものをわざわざ自分でパソコンで作って渡してくれたものだし、今現在の町会当番は、一週間ほど前に、年会費等の集金に月末までに行くので○○円を用意しておいてください、というパソコンで打った一枚紙を、ウチの郵便受けに入れておいてくれた、といった具合だ。
 (太田コラム読者は先刻ご承知のように、町会というのは、杉山元が事実上作ったところの、文字通り、日本の政府機構の最末端組織なのであり、ある意味、江戸時代における全国民を包含した政府機構的なものの復活だった。
 名古屋オフ会でも申し上げたことだが、)日本型政治経済体制のミソは、それが「経済」体制ではなく、「政治経済」体制であるところなのだ。
 すなわち、私見では、日本人が日本で所属する大部分の(企業等の)集団もまた、経済的機能のほか、政治的機能(政府機構の一員としての機能)も果たしているのだ。

(続く)