太田述正コラム#11201(2020.4.2)
<高橋昌明『武士の日本史 序・第一章等』を読む(その1)>(2020.6.22公開)
1 始めに
昨日、大森駅ビル内の書店で買ってきた5冊の本(コラム#11200)のうちの1冊が表記なのですが、その序、と、第一章 武士とはなんだろうか–発生史的に、と、第三章 刀にかんするあれこれ、だけ、を取り敢えず読んで私のコメントを付すことにしました。
これは、順序が逆ではないかと言われそうですが、2回にわたって発表したばかりの、日本の弥生性の起源にについての私のオフ会「講演」原稿2篇を検証的に補完するのが狙いです。
この本の残りの部分は、必要に応じ、次回の東京オフ会「講演」原稿に反映させたいと思っています。
なお、高橋昌明(コラム#182、2200、4119、4142、4144)は、「1945年<生まれで、>・・・同志社大学大学院文学研究科修士課程修了。滋賀大学教育学部教授、神戸大学人文学研究科教授、2002年・・・大阪大学文学博士。・・・大阪府議会における「日の丸」常時掲揚・「君が代」斉唱時起立条例の強行可決に抗議する声明を連名で出した」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E6%98%8C%E6%98%8E
という人物です。
2 序について
「・・・江戸時代に入って戦争の時代は終わり、経済の発展を軸に人びとが豊かさを求めるようになると、収入に限りのある幕府や諸藩の財政が苦しくなる一方、城下町に居住する武士は泰平になずみ奢侈に流れ、士風を忘れ無力化するという事態が生ずる。
江戸前期の熊沢蕃山をはじめ多くの儒者が、武士帰農(土着)論<(注1)>を展開したのは、そうした事態への対応であった。・・・
(注1)「江戸時代の・・・帰農論<である>・・・農兵論とは、一般に「武士を知行地に帰農させることによって、武士の消費支出を押さえ、それによって武士を窮乏から救済しようとする議論」のことをいう。このような発想の基礎には、近世以降進んだ兵農分離への批判がある。農民と農業から分かれ、城下町へ集住し純消費者となり、奢侈に走り風紀を乱すとともに、商品経済への依存を深め、武士の貧困化、さらには重税による農民収奪の要因ともなったというのである。」
https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=4&ved=2ahUKEwi13cqAyMboAhVR7WEKHdPLD5cQFjADegQIARAB&url=https%3A%2F%2Fresearchmap.jp%2Fkmuramatsu%2Fpublished_papers%2F17143833%2Fattachment_file.pdf&usg=AOvVaw222KizPMvVkkcpIOU3XxOp
(村松研二郎「日本における帰農運動の歴史と現在‐系譜論的試論」(2017年)より)
村松は、名大修士(文化人類学)、オート・アルザス大博士(社会学)、リエージュ大博士(政治社会学)。埼玉大学教養学部非常勤講師(文化人類学)等を経て法政大学現代福祉学部現代福祉学科教授。
https://researchmap.jp/read0200017/association_memberships/6067632/?limit=150&offset=151
https://researchmap.jp/kmuramatsu
<武士帰農>論が続出し始めると、武士の農村居住とそこからの発生という観念が強調されるようになる。
たとえば江戸中期の儒学者荻生徂徠<や>・・・彼の弟子太宰春台<は、>・・・いまでは「公家のようなる武士」になってしまったが、武士のルーツは「惰弱」な都市民でなく質実な郷民だったと<主張したが、彼らが、>同じ農村でも華美ぜいたくの風に染まった近畿地方のそれではなく、なお未開の輝きを失わない素朴剛健の気風に満ちた東国農村こそ、武士の根源的なふるさとに違いない、と考えるのは自然な流れである。
そこから現代の「常識」になった・・・<日本に係る>単線的で機械的な<史的唯物論的>発展史観<までは、ほんの一っ飛びである。>
⇒「注1」で言及した村松は、「<史的唯物論的>発展史観」を所与のものとして受け入れた上で帰農論に言及しているようですが、高橋の場合は、(その政治的言動はともかくとして、)一味違うようです。
私は、江戸時代に、日本で初めて、(桓武天皇らの念頭にあったところの、)封建論争(コラム#11192)が公に戦わされた、と受け止めました。
考えてみれば、私自身、江戸時代の政治経済体制をプロト日本型政治経済体制と名付けているところ、それは、それまでの、(兵農分離がなされていない)封建体制(封建制)ではなかったという含意があるわけですから、そんな江戸時代に、封建制への回帰を訴える主張が登場するのは不思議でも何でもないですよね。(太田)
(続く)