太田述正コラム#1107(2006.3.5)
<ブッシュ三題噺(その1)>
1 始めに
閉塞状況のイラク情勢の下、支持率低迷にあえぐブッシュ米大統領の現況をご紹介したいと思います。
2 港湾管理会社問題
(1)ア首連の港湾管理会社
この問題の「主役」は、アラブ首長国連邦(ア首連。United Arab Emirates)のドバイの首長が監督する港湾管理会社です。
そこでまず、「アラブ首長国連邦/ドバイ」及び「港湾管理会社」について説明しておきましょう。
ア首連は、アラブ側のペルシャ湾岸(湾岸)に位置しています。
19世紀前半、湾岸の入り口を扼していたラスアルハイマ(Ras al Khaymah)を根拠地としていたカワーシム(Qawasim)海賊等の湾岸の海賊の跳梁に、英国等とインド等の間を行き来していた英国の商船が悩まされ、英海軍が何度も出撃し、やがて湾岸の首長達との間で次々に休戦条約(Truce)を締結し、海賊行為の廃止と取り締まりを約束させます。
1853年には、これら休戦条約が一本化され、英国がこれら湾岸の首長達の外交・防衛権を掌握しますが、このような英国の勢力伸張の結果、トルーシャルコースト(Trucial Coast)と呼ばれるようになったアラブ側の湾岸地域は、オスマントルコと(勃興してきた)サウド家の支配下に入ることを免れることになります。
海賊は禁止されつつも、引き続きこの地域の人々は、湾岸を経由して行われていた東西中継貿易に従事していましたが、1869年にスエズ運河が開通すると、英国や欧州諸国が独占的に、地中海経由で東西貿易を行うようになり、中継貿易は廃れます。
そして、もう一つの「産業」であった奴隷貿易も、1900年に英国が禁止した結果、残されたのは天然真珠の採取・販売だけになってしまいます。
湾岸の天然真珠は、海水と淡水が適度に混ざった環境が幸いし、世界最高の品質を誇っていました。
しかし、これも、1930年代に衰退してしまいます。
原因は、世界大恐慌、日本の養殖真珠の出現(注2)、真珠貝の乱獲による真珠資源の枯渇、そして湾岸での石油油田の発見です。
(注2)御木本幸吉が真珠の養殖に成功したのは1893年のことだ。
油田の発見に伴い、真珠の採取・販売に携わっていた人々はよりカネになる石油の仕事に移り、また、廃油によって湾岸の海水が汚染され真珠資源は一層枯渇したのです。
ア首連は、アブダビ(Abu Dhabi)の首長が中心となって、1971年に湾岸の首長国(emirates)を束ねて英国から「独立」して誕生しました。
その時、バーレーン(Bahrain)とカタール(Qatar)はア首連に加わらないこととなり、他方、あのラスアルハイマが、翌1972年にア首連に加わります。
すなわちア首連は、アブダビ・ドバイ(Dubai)・シャルジャ(Sharjah)・アジマン(Ajman)ウムアルカイワイン(Umm al-Qaiwain)・ラスアルハイマ・フジャイラ(Fujairah)の7つの首長国が大幅な自治権を認められた連邦国家なのです。
ア首連の最高意志決定機関は、この7人の首長による首長会議ですが、重要事項に関しては5人以上の首長の賛成が必要であり、その中にはアブダビとドバイの首長が含まれていなければなりません。
ア首連では、「独立」以来ずっと、アブダビの首長が大統領兼軍最高司令官を、ドバイの首長が副大統領兼首相を務めています(注3)。
(以上、http://www.slate.com/id/2137275/(3月3日アクセス)、及びhttp://countrystudies.us/persian-gulf-states/13.htm、http://www.gemjewel.com/learn/pearl_area.asp(どちらも3月5日アクセス)による。)
(注3)1991年に私は、当時の防衛政務次官のお供で、英国経由でエジプト・サウディ・ア首連を歴訪した。ア首連では、アブダビで国防大臣を表敬した後、湾岸戦争後にペルシャ湾でドバイを拠点として機雷掃海に従事していた海上自衛隊部隊を視察し、激励した。
(続く)