太田述正コラム#11132006.3.8

<満州国の遺産>

1 始めに

 戦前から戦後にかけての日本の高度経済成長は、日本主導で樹立された満州国(1932年建国)において日本の軍部と官僚達が手を携えて革新的な政治経済体制を試行し、これを踏まえて日本本土において日本型政治経済体制を構築したことによって可能になったことは、拙著「防衛庁再生宣言」の最終章で指摘したところです。

 現在の日本の繁栄は満州国なかりせばありえなかった、ということです。

 満州国の遺産には、このようなプラスのもののほか、マイナスのもの・・例えば旧日本軍の残置化学兵器・・もありますが、最近、中共と韓国で満州がらみの話題が出たので、ご紹介することにしました。

2 中共での高校生日本語コンテストの結果

6日に第5回「中国人高校生による日本語スピーチコンテスト」が北京で開かれ、中共全土から12人の代表が参加したのですが、長春市の男子が最優秀賞を受賞し、優秀賞を瀋陽市の朝鮮族の女子、吉林市の同じく朝鮮族の女子、そして吉林省の男子の3人が受賞しました(http://j.peopledaily.com.cn/2006/03/06/jp20060306_57981.html。3月7日アクセス)。

 第1回から第4回までのことは分かりませんが、今回のコンテストを見る限り、日本語を勉強している高校生、そして日本語が上手な高校生には旧満州の人が圧倒的に多いことが分かりますし、そのうち朝鮮族の人が多いことも分かります。

 朝鮮半島付近の満州には昔から朝鮮族が居住していたとはいえ、朝鮮族の本格的な満州移住は、日本の満州進出に伴って行われたものであり(典拠省略)、今回のコンテストの結果は、満州国の遺産の大きさを示している、と言えそうです。

3 明らかになった韓国国家作曲者の素性

韓国の国歌(注)は、作詞者は不明ですが、20世紀初頭から「愛国歌」として蛍の光のメロディーに乗せて歌われたところ、その後、安益泰(An Iktae1905?65年)が新たなメロディーを作曲して管弦楽曲「韓国幻想曲(Symphonic Fantasia Korea)」の終曲として発表すると、以来このメロディーで歌われるようになり、これが、戦後大韓民国の国歌として採用されたものです(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%9F%93%E6%B0%91%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%9B%BD%E6%AD%8C。3月8日アクセス)

(注)メロディーが思い出せない人は、http://www.egov.go.kr/symbol/AA130_song_tip.jspで試聴してほしい。とても良い曲だが、歌謡曲がそうであるように、まぎれもなくこれも、旧大日本帝国(=日本と朝鮮半島は一体だった)調のメロディーの曲だ。なお、北朝鮮の国歌は歌詞も曲も全く異なる。

安は平壌生まれであり、1919年3月1日の独立運動に参加して退校処分をくらい、日本本土にわたってチェリストとしての訓練を受け、1932年に渡米してフィラデルフィアでチェロと作曲の勉強を行い、1935年か36年に上記韓国幻想曲を作曲します。その後1938年頃にドイツに渡り、ベルリンでリヒャルト・シュトラウスに作曲と指揮を師事します。そして亡くなるまで、主として欧州で音楽活動を続けるのです。その間、安は200回以上オーケストラを指揮をしましたが、最後は必ず韓国幻想曲の終曲の演奏で締めくくったといいます。

国歌としては余り他に例を見ないことなのですが、韓国では、この十年来、国歌の現在の著作権者たる安の遺族に対して、使用料を払ってきており、それが安の死後50年が経過する2015年まで続くことになっていました。

ところが先般、韓国政府がこの著作権を買い取る方針を明らかにしたことを契機に、この事実が改めて広く知られるようになり、韓国国内で韓国政府と安の遺族を非難する声が沸き上がりました。

この動きを見て、現在いずれもスペインのマジョルカ島に居住するスペイン人たる、安の90歳になる未亡人と安の三女、及び安の孫の男子の三人の遺族は、韓国政府に対し、国歌の著作権を放棄することにし、その代わり、安を独立活動家と認定し、称えて欲しいと要望しました。

韓国政府は、この遺族の申し出に感謝するとともに、遺族の希望に添って、安を独立義士と認定し、韓国国立芸術大学の音楽ホールを安益泰ホールと改称する意向を表明しました。

ここまでは美談だったのですが、事態は意外な展開を見せました。

ベルリンでの1942年の満州国建国10周年記念コンサートで、安が作曲した祝賀曲(Festmusik)を演奏するベルリン・ラジオ交響楽団を、安が指揮しているフィルムが先般、ベルリンのフンボルト大学で韓国人学生によって発見されたのです。

安は独立義士だったのか、それとも日帝の走狗だったのか、韓国での議論の沸騰が予想されます。

果たして韓国の国歌が安の曲でいいのか、という議論にまで発展するかもしれませんね。

(以上、http://english.chosun.com/w21data/html/news/200603/200603070023.htmlhttp://english.chosun.com/w21data/html/news/200503/200503160027.htmlhttp://english.chosun.com/w21data/html/news/200503/200503160048.htmlhttp://english.chosun.com/w21data/html/news/200502/200502200033.htmlhttp://english.chosun.com/w21data/html/news/200502/200502200021.html(いずれも3月8日アクセス)による。)

ぜひとも一度、安の満州国祝賀曲を聴いてみたいものですが、いずれにせよ、ここでもわれわれは満州国の遺産に遭遇したわけです。