太田述正コラム#11249(2020.4.25)
<末木文美士『日本思想史』を読む(その1)>(2020.7.16公開)

1 始めに
 
 中断している丸山眞男のシリーズに戻ることなく、今度は、(やはり、大森駅ビルの書店でたまたま求めてあった)表記のシリーズを始めたいと思います。
 現在、次の東京オフ会「講演」原稿にも取り組んでいるのですが、(名古屋オフ会を挟んだ)前回の東京オフ会「講演」原稿で結果的に飛ばした形になってしまっている厩戸皇子の仏教観・・聖徳太子コンセンサス中の仏教政策の方向性・・、もその中に織り込まなければならないと考えつつも、どう整理したらよいか苦慮している、ということもあり、仏教を中心とした日本思想史の専門家である末木文美士が、一体どのような日本思想史を展開しているのか、甚だ気になったからです。
 さて、この末木文美士(すえきふみひこ。1949年~(但し、私より一学年下))ですが、彼は、東大文(印哲)1973年卒、同大博士で東大文教授、国際日本文化研究センター教授、総合研究大学院大学教授併任、2015年定年退任という経歴で、「従来の日本における近代思想史研究は福澤諭吉や丸山眞男らの社会思想の側面でしか検討されてこなかった<ところ、>そういった表層の思想史ではなく日本人の基層にある精神史を読み解こうと模索している」ところの、「「東日本大震災は日本への天罰である」という主旨の論稿を発表し、これが激しい批判の対象となって論争が巻き起こった」、という人物です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E6%9C%A8%E6%96%87%E7%BE%8E%E5%A3%AB

2 末木文美士『日本思想史』を読む

 「「わが日本古(いにしえ)より今に至るまで哲学なし」とは、中江兆民が・・・書いた『一年有半』<(注1)>(1901)の中の名文句である。・・・

 (注1)「「民権是(こ)れ至理也、自由平等是れ大義也」の理義を堅持して帝国主義や明治国家体制を断罪するなど、政治、経済から思想、文学、科学、人物論に至るまで、社会百般にわたっての透徹した・・・亡国と国民堕落・・・批判・・・<というか、>罵倒<を行った著作。>・・・他方,義太夫・浄瑠璃の名人芸を堪能する至上の喜びを語る。」
https://kotobank.jp/word/%E4%B8%80%E5%B9%B4%E6%9C%89%E5%8D%8A-817900

 兆民は、当時の日本の「哲学者」に対して、「泰西某々(なにがし)の論説をそのまま輸入」したものと手厳しい。
 しかし、兆民は同時に、「哲学なき人民は、何事を為すも深遠の意なくして、浅薄を免れず」と、哲学の必要を誰よりも切実に認識していた。
 兆民のこの言葉は、その後、広く人口に膾炙されるが、兆民の切実な希求は見失われ、日本には哲学がない、ということが当たり前の事実として受容されるようになった。
 主要な帝国大学では、哲学と言えば当然のこととして西洋哲学が学ばれ、言い訳のように、それを補って支那(中国)哲学や印度哲学の講座が設けられたが、「日本哲学」が語られることはなかった。・・・
 西洋と同じタイプの哲学がないという理由で、先人の営為は無視され、その研究が放置されてきたのである。」(1)

⇒私は、兆民が喉頭癌で余命1年半を宣告されつつも、実際に亡くなるまでの8か月間に、『一年有半』『続一年有半』を書いた、彼の最晩年の生き様、とりわけ、宗教嫌いで通したこと、
https://kariyatetsu.com/blog/1003.php
こそ評価しないでもありませんが、引用された兆民の言をわざわざ紹介した末木の意図が、私にはさっぱり分かりません。
 まず、兆民自身が、ルソーの『社会契約論』なる「「泰西某々(なにがし)の論説をそのまま輸入」し」、翻訳出版して名前を売った
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%A5%91%E7%B4%84%E8%AB%96
人物であることもさておく(注2)として、兆民は末木自身の考え(後出)とは真逆に「わが日本古より今に至るまで哲学なし」と言い切り、しかも、「哲学なき人民は、何事を為すも深遠の意なくして、浅薄を免れず」とも言い切った以上、その「哲学なき人民」に兆民自身も当然含まれるが故に、彼は自分自身のことを「何事を為すも深遠の意なくして、浅薄を免れ」ない人間であることを自認してしまっているというのに、そんな人間の言を、末木は、自身の見解を裏づけるものとして、しかも権威あるものとして、紹介しているとしか思えないのですからね。

 (注2)「 中江兆民・・・は、我が国に於いて『東洋のルソー』と評されてきましたが、実際のところ、ルソーに対する兆民の評価は かなり批判的であり、ルソーに関しては、論理性に乏しく、往々にして奇を好む誇張癖があると指摘していました。・・・
 兆民は、君主の存在する国であっても『公義公道』の行われる国は『共和国』[République]であり、形は大統領制の国であっても、『公義公道』の行われない国は、真の意味での『共和国』[République]ではないとの旨を説いています。
 つまり、政治を『私物化』する専制政治がよくないのであって、君主の有無にかかわらず、『公論』が反映される政治をよしと考えたのでありました。
 兆民は『東洋自由新聞』(明治14年 創刊)に掲載した『君民共治の説』において、当時のフランス第三共和国よりも、国王の君臨するイギリスの方が、より健全な「共和国」であると論じています。
 『共和という字面に恍惚』として、フランス革命のような急進的な暴力革命を目指す、浅はかな考え方を退けている点に於いても、ルソーなんかとは違う思想を有した人物であることが読み取れます。」
https://ameblo.jp/s64h01a89/entry-12487151468.html

 典拠を付して論じるのは学者なら当然ですが、彼は、典拠を読み違えているか、非論理的であるか、その両方なのか、いずれにせよ、こんなちょっとしたことからも、遺憾ながら、末木に、私は、丸山/高橋的なニオイを感じてしまいました。(太田)

(続く)