太田述正コラム#1139(2006.3.23)
<またもフランスにおける暴動>
1 始めに
「フランスにおける暴動」というシリーズ(コラム#944、945、947、952、953、955、956、958?963、967、968)でフランスにおける移民青年達の暴動をとりあげたのは、つい昨日のような気がしますが、またもやフランスで暴動・・今度は学生が主役で労組も関与している・・が起こっています。
欧州文明の桎梏からどうしても脱却のできないフランスの悲劇的な姿をわれわれはまたもや目撃させられつつあるのです。
2 ことの次第
昨年10月末から11月にかけて燃えさかった、移民の若者達の暴動の大きな原因の一つであったところの、フランスの26最未満の若者の高失業率(注1)を何とかしようと、フランスのドビルパン(Dominique de Villepin)首相の政府は、26歳未満の若者を雇用した企業は雇用後2年経過するまでは無条件にその若者を解雇できる、という法律・・かかる内容の初雇用契約(Contrat Premiere Embauche =contract of first employment)の締結を認める法律・・を2月に制定したのですが、若者差別だし雇用の安定が失われるとして学生がこれに反発し、法律の撤回を求めた(注2)、というのがことの発端です。
(注1)OECDによれば、フランスの雇用規制の柔軟度は米国の約15分の1だ。このため、米国の失業率は5%以下なのに、フランスは10%近い。しかも、26歳未満の若者の失業率は23%近いし、移民の若者に至っては失業率は50%近い。
(注2) もともとフランスの学生暴動には通過儀礼的色彩があるが、1968年の学生暴動は、体制の古い体質に対する異議申し立てだったと言えるのに対し、今回の学生暴動は、体制の古い体質を守ろうとするもの・・移民の若者に比べて恵まれている自分達の雇用を守ろうとするもの・・であり、フランスの学生が退嬰化している印象は免れない。(少なくとも、学生達は、年齢による差別反対、の一点にしぼって闘争すべきだった。)
学生達は、ソルボンヌ等を中心にストに突入し、キャンパスを封鎖し、今度は機動隊が封鎖を突破し、学生達が行ってきたデモが大規模化(先週末には50万人超)し、その一部が暴動化して機動隊と衝突したり器物損壊等を行う、という具合に事態はエスカレートしてきています。
この学生達のデモに現在労組が加わっており、労組は近々ゼネストを打つ予定です。
18日には、労組員の一人が、機動隊とのこぜりあいで倒れ、昏睡状態に陥っています。
3 論評
学生達に対して、次のように最も手厳しい批判を投げかけているのは英オブザーバー紙です。
「<初雇用契約制度の導入は、>余りにもアングロサクソン的・自由主義的・個人主義的だと<学生達によって>受け止められている。われわれは文明的(cultural)悲劇が繰り広げられるのを目撃している。フランスの人々は彼らの集合的な頭の中で、何がフランス的であるかについて、ユートピア的な理想を抱いている。彼らは欧州の真の共和主義的美徳たる自由・平等・博愛の擁護者を自任している。彼らは自分達が欧州の指導者だと思っており、フランス国家は、フランスの理想を具現化した存在であるとともに、フランス国民の主たる人形遣いでもある。しかし、こんなことは2006年には通用しない。フランス国歌は、他のすべての欧州の諸国家がそうであるように、グローバルな市場の力に取り囲まれている。フランスはEU加盟25カ国のうちの一つの国でしかないし、1950年代以来唱えられてきたところの、自由・平等・博愛もまた改鋳(recast)されなければならないのだ。」
この論説が指摘するように学生も学生だし、この学生に追随しようとしている労組も労組ですが、実はフランス政府も同じ穴の狢なのです。
フランスの企業は外国の企業の買収に精を出しているというのに、3月17日には、フランス政府は、外国の企業がフランスの企業を買収することを一層困難にする法律を制定しました。また、フランス政府は、先だっても10の戦略産業の外国企業による買収を禁止する措置をとりました。
これらはすべて、EUの法律違反であり、フランス政府が政府間でやっていることは、学生達がフランスでやっていることと同様の、特権意識に根ざした既得権エゴイズムの発露以外のなにものでもないのです。
もう一点、つけ加えるべきことがあります。
それはいまだに、暴動化したデモを許容するムードがフランスにある(注3)だけでなく、大規模なデモや暴動化したデモがフランスの政治の進路を実際に変針させる(注4)、ということです。
(注3)フランス革命以来の伝統で、一見矛盾するようだが、フランスの人々は反政府的であると同時に政府依存的でもある。
(注4)こんなことは、アングロサクソン諸国では考えられないし、戦後の日本においてすら、1960年の安保闘争の頃以降は考えられない。しかも、安保闘争によって岸首相は退陣したが、政治の進路は変針することなく、新安保条約は発効した。
すなわち、21日、ドビルパン首相が、無条件で解雇できる期間を若干短縮する等の手直しを考えると発言したと思ったら、何と次にはサルコジ(Nicolas Sarkozy)内相が、24日に発売される雑誌のインタビューの中で、学生等の要求に事実上屈するような発言を行い、政治の進路の変針が決定的になっただけでなく、政府内の足並みの乱れまで露呈してしまいました。
また、そもそも上記初雇用契約制度を導入するにあたって、その意義や、併せて職業訓練や住宅政策も充実させること等を、事前に学生団体や労組に説明して了解を取り付ける努力をしなかったことも、通常の民主国家では余り考えられないことです。
つまりフランスの民主主義なるものは、手続き的妥当性を重んじる、アングロサクソン流の民主主義とは似て非なるものである、と言わざるをえません(注5)。
(以上、http://www.guardian.co.uk/Columnists/Column/0,,1734841,00.html(3月21日アクセス)、http://www.latimes.com/news/opinion/editorials/la-ed-france21mar21,0,6670122,print.story?coll=la-news-comment-editorials、及びhttp://www.nytimes.com/2006/03/21/international/europe/21cnd-france.html?pagewanted=print(どちらも3月22日アクセス)、並びに、http://www.csmonitor.com/2006/0323/p08s02-comv.html、http://www.taipeitimes.com/News/editorials/archives/2006/03/22/2003298638(上記オブザーバー論説を転載しているもの)、及びhttp://www.guardian.co.uk/france/story/0,,1737295,00.html(いずれも3月23日アクセス)による。)
(注5)現在のフランスの政治状況は、現在のタイの状況(コラム#1120、1121)と二重写しに見える。いや、タイのデモは暴動化していないから、フランスの政治の方がタイより、アングロサクソン流の民主主義からの逸脱度は一層大きい、と言えそうだ。