太田述正コラム#11336(2020.6.7)
<末木文美士『日本思想史』を読む(その44)>(2020.8.29公開)

 「・・・また、そこには、「祈っても心が曲がっていれば天道(てんとう)に見放される」<(注135)>と、天道思想が表明されていることも注目される。

 (注135)このくだりが出てくる、第五条の全文は次の通り。(現代語訳が若干異なっている。)
 「常に素直で正直な心を持ちなさい
 礼拝をすることは、身をただすことだ。心を正しく柔和に持ち、正直を信条にして上の者を敬い、下の者を思いやり、あるものを受入れ、ないものを求めず、ありのままの誠実な心掛けは仏神の思いにかない、礼拝をしなくても加護がある。礼拝をしても心が歪んでいれば天道からみはなされる。」
http://www.city.odawara.kanagawa.jp/kanko/hojo/p09809.html

 「天道」は、もともと『易』や『荘子』などの中国の古典に出る言葉である。
 しかし、この時代には神仏儒などの融合の中で形成された観念で、キリスト教とも結びつく要素を持っている。
 中世前期の「道理」の観念を承けて、曖昧だが、倫理の根源となる超越的な存在と考えられる。
 江戸期にも重視され、後には太陽信仰との一体化から「お天道様」として信仰されるようになった。」(94)

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[天道]

 「日本では、太陽を天道様(おてんとさま)とも言う。世界各地で太陽は神として祀られ、太陽神の存在はよく知られる。日本の場合は、天照大神(アマテラスオオカミ)が太陽の神格化とされている。・・・
 平安時代末期以降の本地垂迹思想の展開によって、神仏習合の考えが深まると、本地は大日如来、垂迹は天照大神となった。中世には神仏習合が天照大神を中心に展開し<た。>・・・
 戦国時代には、「天道思想」として仏教・儒教に日本の神道が結合した統一思想になり、戦国武将に広がり、「天運」「天命」を司るものと認識された。
 歴史家神田千里<(注136)>はそれを進め、戦国時代後半に、天道思想を共通の枠組みとした「諸宗はひとつ」という日本をまとめる「一つの体系ある宗教」を構成して、大名も含めた武士層と広範な庶民の考えになり、日本人に深く浸透したとする。

 (注136)かんだちさと(1949年~)。東大文卒、同大博士。高知大を経て東洋大文教授、退任。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%94%B0%E5%8D%83%E9%87%8C

 個人の内面と行動が超自然的な天道に観られ運命が左右され、その行いがひどければ滅びるという、一神教的な発想があり、日本人に一般的に広がっていた。キリスト教の宣教師からも、キリスト教に似たものだと受け止められ、布教のため神を「天道」と意訳同一化して仏教僧や武士、庶民と論議することで宣教しようとした。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E9%81%93
 「天道の摂理は人間に理解しえないとの認識から、自らの信仰を他者に強要すべきではないという考え方が生まれ、宗論(宗派どうしの論争)は規制されることが多くなった。・・・
 秀吉が発布した伴天連追放令<は、>・・・「天道」の論理に従い、イエズス会による信仰の強制と、日本の諸信仰への排撃を処罰しようとしたと考えられる(日本の僧侶との協調を受け入れるなら、退去を強要はしていない)。」(神田千里『戦国と宗教』の要約紹介より)
https://blog.goo.ne.jp/jchz/e/ecf3a54bd4afb482c5f037ec4bc40091

参考:大日如来について

 「大日如来(だいにちにょらい・・・)は、真言密教の教主である仏であり、密教の本尊。一切の諸仏菩薩の本地。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E5%A6%82%E6%9D%A5
 「仏教の開祖は<結果論で言えばですが(太田)、>釈迦で・・・すが、大日如来はその釈迦をも創りだした創造主といった考え方に近いです。・・・
 <もとより、>釈迦自身は大日如来という存在を根本の信仰対象として考えて<おらず、>大日如来という存在を考えだしたのはもっと後世の人々<で>・・・す。・・・
 大日如来はそもそも仏教が人々の間に浸透し、幾つかの宗派に分かれていく頃に出来た密教によって生み出された存在であり、仏教の中でも真言宗では信仰対象として崇められています。
 真言宗では大日如来をご本尊としていますが、「すべての仏様は大日如来が姿を変えたものである」という考えから、様々な仏様もまつられています。
 また天台宗では、「さまざまな仏様は、釈迦牟尼仏が縁によって我々を救うために姿を変えて出現したもの」といった考えをもつため、大日如来も他の仏様と等しく尊信しています。
 浄土宗や曹洞宗といった宗派では、大日如来についてその考え方を広めたりという事はあまりないようですが、大日如来が森羅万象であり宇宙の全てであるという考え方に関しては概ね信じ、物事の摂理の根本として考えているようです。」
https://en-park.net/words/7441
 ここ↑に日蓮宗が登場しないことに注目。(太田)
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⇒「自らの信仰<である日蓮宗>を他者に強要すべき」と主張した日蓮宗を秀吉が弾圧しようとしなかったこと一点をとっても、神田千里説は(すぐ上の囲み記事参照)行き過ぎでしょう。
 なお、日蓮と天道説とが相いれない理由について、次回東京オフ会「講演」原稿で説明するつもりです。
 とまれ、江戸時代の天道思想に関しては、別途検討する必要がありますが、少なくとも北条早雲の「天道」に関しては、私の言う人間主義以上の意味はなさそうに思います。(太田)

(続く)