太田述正コラム#1146(2006.3.26)
<冷戦の復活?(その2)>
<その後の経過>
米国防省の報告書について、ロシアの海外諜報機関である対外情報局(Russian Foreign Intelligence Service)の報道官は25日、「同様の根拠のない非難がこれまでもロシアの諜報に関して行われたことがある」(下述)とした上で、これも「根拠のないでっち上げであり、コメントする必要はない」と語りました(http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/03/25/AR2006032500404_pf.html、3月26日アクセス)。
3 冷戦の復活?
(1)背景
ア 蜜月時代
冷戦の終焉、そしてソ連の解体の後、米国はロシアを友邦とみなしてきました。
(以下、(以下、特に断っていない限りhttp://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/03/05/AR2006030500022_pf.html(3月6日アクセス)、http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/4827354.stm(3月21日アクセス)、及びhttp://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/03/21/AR2006032100744_pf.html(3月21日アクセス)による。)
ロシアを積極的にサミットのメンバーに引き立てたのも米国でした(注4)。
(注4)ロシアが入ったことで、7カ国サミットは8カ国サミットとなった。ちなみに、今年はロシアでサミットが初めて開催される。
9.11同時多発テロの時に、ロシアは米国に連帯の手をさしのべ、米露関係の緊密化はこの時に頂点に達します。
イ 暗転
この関係が暗転するきっかけになったのが、2003年の対イラク戦です。
ロシアは、強硬に対イラク戦開戦に反対しました。ロシアはフセイン政権から得た、石油権益・イラクがロシアに負っている巨額の債務・国連の石油・食糧交換プロジェクトのキックバック等の経済的権益を失いたくなかったのです。
そしてロシアは、最後の最後まで積極的にフセイン政権を支援しました。対イラク戦開戦わずか10日前にロシアの退役将官2名がバグダッドを訪問して勲章をもらいましたし、在イラクのロシアの諜報諸機関が毎日のようにイラクの政府関係者と会っているという報道がなされ、また、米国政府は当時、ロシアのいくつかの会社が対戦車ミサイル・暗視ゴーグル・電子妨害機器等の国連決議違反の武器を輸出した旨の声明を行っています。結局、対イラク戦で米軍がバグダッド攻撃を開始した日まで、在バグダッド・ロシア大使以下はイラクにとどまり、脱出の際、米軍にロシア外交官搭乗の車が誤射されて負傷者が出る、という事件まで起きました。
(ここまでは、http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,,1739407,00.html前掲及びhttp://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/03/25/AR2006032500404_pf.html前掲にもよった。)
ウ 関係悪化へ
その後、米露関係は、つるべおとしに悪化して行きます。
プーチン政権が、反自由・民主主義的国内政策を追求しており、かつ腐敗していることが誰の目にも明らかになってきたこと、米軍を中央アジアから追い出す画策を始めたこと、エネルギー輸出を弱体な隣接諸国をコントロールする手段として用いるようになったこと、パレスティナ選挙に勝利したハマスの幹部をロシアに招待したこと、そしてこのところの急速な露中の緊密化(後述)、が原因です。
米国防省の報告書が公開された日(3月24日)がプーチン訪中(3月21、22日)の直後であったことは、いかに米国政府がこの露中の緊密化に不快感を抱いているかを示している、という分析が米国でもロシアでも米露関係の専門家から出てきています。
露中両国は、2004年に国境紛争を最終的に解決し、2005年には露中両軍による初めての共同演習を実施しました。また、両国の貿易は急速に増えてきており、中共はロシアの武器の最大の売り込み先になっています。この両国は、対イラン政策でも、核開発を押しとどめようとする欧米に対し、共に慎重なスタンスをとっています。
露中両国の緊密ぶりは、この一年弱の間に、プーチンと胡錦涛が会ったのが、今回で5回目であることが何よりも良く物語っています。
特に今回のプーチン訪中が特筆されるのは、シベリアの天然ガスを中共に供給するパイプラインを5年以内に敷設することが、両国間で取り決められたことです。
(続く)