太田述正コラム#11522006.3.29

<ビル・エモット・日本・日本経済>

1 始めに

バブル絶頂期の1990年に日本で出版され、日本のバブルの原因・崩壊とそれに続く長期低迷を予測したビル・エモット(Bill Emmott「日はまた沈む」(原著は、“The Sun Also Sets”1989年)予測の的中によって、日本の朝野を震撼させましたが、それから16年、今度はエモットが日本はついに復活したと主張する「日はまた昇る――日本のこれからの15年」が日本で出版され、ベストセラーになっています(http://www.sankei.co.jp/news/060327/boo011.htm(注1)。3月29日アクセス)。

 (注1)この書評は、あたかも小泉首相の改革路線をエモットが日本の復活要因の第一に挙げているように紹介しているが、エモットの主張を正しく紹介していない。エモットは、<日本の>政治について云々しても仕方がない。観察しなければならないのは政治の華麗なる見出しではなく、日本の経済と社会の構造の深部なのだ」と言っている(http://www.economsit.com/surveys/displaystory.cfm?story_id=4454244 。3月29日アクセス)からだ。また、この書評の後半は、エモットの靖国神社に係る提案の紹介だが、極めて限られたスペースの中で取り上げるべきものではあるまい。日本の新聞書評は、ほとんど参考になったためしがない。

2 エモットの新著の内容

 このエモットの新著は、彼が編集長として執筆した、昨年10月8日号のThe Ecconomistの日本特集 A survey of contemporary Japan "The Sun Also Rises"を邦訳したもののようなので(http://www.i-kit.jp/biz/item/553月29日アクセス)、当時の記事のうち無償公開されている範囲で、エモットの主張の骨子のさわりだけをご紹介すると次のとおりです。

 日本経済は復活した。日本経済の長期低迷を規定した企業債務・過剰設備・雇用という三つの過剰がほぼ解消したからだ。

 それは以下のような経過をたどった。

 日本経済が長期低迷期に入ると、企業は終身雇用制を維持しつつ、新卒の採用を減らし、その代わりフルタイム雇用者の半分以下の賃金であるパートタイム雇用者・・中心は非熟練・若年・女子労働者・・の数を増やした。1990年にはパート雇用者数は全雇用者数の18.8%だったが、2005年初頭には30%にまで増大した。

 この雇用の柔軟化による労働分配率の低下に加えて、中共向け輸出の増大、及び銀行の一時的国有化や合併による不良債権の償却によって、企業収益は大幅に改善され、企業債務は圧縮された。

 この結果、銀行が保有する不良債権は、2001年のピーク時の43兆円から2004年には20兆円以下にまで減少した。

 もっとも、雇用の柔軟化とは、家計収入の減少を意味するわけであり、国民は消費と、それ以上に貯蓄を減少させた。1990年には15%だった日本の貯蓄率は2005年には5%まで下がった。

 このような経過を経て、昨年4月からついにフルタイム雇用者数の増加率がパートタイム雇用者数の増加率を上回り出し、下がり続けていた賃金もようやく上昇に転じた。

(以上、http://www.economsit.com/surveys/displaystory.cfm?story_id=4454244 上掲による。)

 前回のエモットの予測が的中したのですから、今回の彼の主張も正鵠を射ている、と思いたいところです。

3 ビル・エモットについて

 エモットは13年前から英国のエコノミスト誌の編集長を務めて来たのですが、近々辞任することになりました。

 彼の編集長時代に、この創立163年の歴史を誇る経済誌(注2)は、発行部数が50万部から100万部に増えました。その約五分の四は英国以外の読者です。このことは、いかにエモットが記者としてだけでなく、編集者としても有能であるかを示しています。

 (注2)エコノミストは、著名人が匿名記事を書くことで知られる。英首相となったアスキス(H.H. Asquith1852??1928年。首相:1908??16年)や英国とソ連の二重スパイであったフィルビー(Kim Philby1912??88年)も記事を書いた。

 彼が編集長時代に犯した誤りの一つは、労働党ではサッチャリズムの承継はできないだろうとして、1997年の総選挙で、ブレアの労働党ではなくメージャーの保守党を推したことだといいます。

 問題があるのは、対イラク戦を支持したことだといいます。ブッシュ米政権が、あれほどやり方がヘタだとは予想しかねた、とエモットはこぼしています。

 最大の過ちは、1999年の3月に、石油がだぶついているので原油価格(当時1バーレル10米ドル)は下がるだろうと記したことだといいます。逆に年内に2倍以上に値上がりしたからです。

 以上は、エモットが、英ファイナンシャルタイムス(注3)に掲載されたインタビューで語っていることです。

 (注3)ファイナンシャルタイムスのオーナー・グループがエコノミストの株の半分を所有している。

 

このインタビュー記事を読むと、1980年代に三年間エコノミストの日本特派員を務めたエモットがいかに日本好きかが分かります。

このインタビューは、ロンドンのMatsuri St James’という日本料理屋で、箸を使って天ぷらや刺身を食べ、サッポロビールを飲みながら、しかも Emiko Terazono という日本人(日系?)の女性記者をインタビューワーとして行われたのですから・・。

 彼は今年中に、これまでに書いたコラムをまとめた日本についての本を出す予定だそうです。

(以上、http://news.ft.com/cms/s/49b5d87e-af37-11da-b417-0000779e2340.html(3月12日アクセス)による。)